第53話 熱

  医者を頼んで戻ると、着替えた楓が寝室のベッドに潜り込むところだった。私は彼女に布団を掛けながら尋ねた。

「鼻は平気みたいだけど、喉は?」

「痛い。」

「今日、何か食べた?」

「あんまり食べてない。」

「...食欲は?お粥とかなら食べれるかな。」

「わかんない。」

「そっか。とりあえず作ってみるね。...熱測って。」

体温計を手渡した。熱を測っている間、少し赤い顔をして、短めの呼吸をする彼女の頬に触れた。やはり、熱かった。

「朝から辛かったなら、出かける前に言ってくれたら良かったのに。」

「言ったら、レイ、心配するから。」

「...心配くらいさせてよ。一緒にいるんだから。」

楓が力なく笑った時、体温計が鳴った。

「やっぱり結構、熱高いね。寒くない?」

楓は頷いた。


  医者が到着して診察が終わり、風邪との判断て薬を受け取った。3日後も高熱か続くようなら、また呼びなさいと言って医者が帰った後、お粥を作って楓に食べさせた。いつも溌剌としている楓の、初めて見せた弱々しい姿が堪らなかった。

「...辛くなったら、いつでも呼んで。寝てたら起こして良いからね。」

「ごめんね。迷惑かけて。」

「迷惑じゃないよ。私こそごめんね。朝、気づかなくて。」

朝の時点で楓の不調を感じ取れなかったことが悔しかった。私に心配をかけないように、無理して元気に振る舞っていたんだろうな、と思うと何だか泣きたくなった。

  エジプトの冷却グッズはそれほど性能が良くなかった。とは言え、既に薬局も閉まっていてそれすらも手に入らない時間だったから、熱に浮かされる楓を見ながら、どうしようかと悩み、ひとまず濡れタオルで代用した。眠っている楓の額に絞ったタオルを乗せると、少し表情が和らいだ。明日薬局が開くまではこれで対応だな、と思った。

  深夜、翌日の仕事の準備を終えて寝室を覗くと、薬が効いているのか、楓はよく眠っていた。少し熱が収まったらしく、落ちついた呼吸をしていて安心した。何度か取り替えた濡れタオルを外し、私も隣で眠りについた。

  明け方、楓がうなさている気配を感じて私は目を覚ました。薬が切れてきて熱がまた上がり出しているのだろう、と思った。既に外は明るくなりはじめていた。

「楓?」

そっと声をかけると、うっすらと目を開けた。

「大丈夫?辛くなってきた?」

「うん...。」

楓の額に再度濡れタオルを乗せ、

「薬飲めるように、ご飯作るね。」

て言って寝室を出た。

  

  パートナーが風邪だから、と仕事を休める筈もなく、昼から楓を1人にしなければならなかった。体調を崩して弱っている時に1人でいるのは心細いものだと、私も知っている。エジプトに来て数週間経った頃、所謂『エジプトの洗礼』を経験し、高熱は出るわ、吐くわ、下痢だわの悲惨な数日を寮の部屋で1人耐えた。その時、1人の辛さを思い知ったのだ。だから、朝食を取った後、再度寝室で横たわった楓の枕元に彼女の携帯を置き、

「出来るだけ早く帰ってくるから。何かあったら仕事中でも構わないから電話して。傍にいられなくてごめんね。」

そう言って家を出たものの、仕事をこなしている間も、気が気では無かった。

  講演の後の撤収作業をしていた間も、気もそぞろだった。講演会の打ち上げに誘われたが、早々に辞退した。いつも比較的、仕事関係で次の仕事に繋がりそうな誘いは断らないようにしていたから、周りは驚いた様子だった。敢えて理由を聞かれることもなかったので説明はしなかったが。私は講演会場を出ると薬局へ立ち寄り、日本で言うアイスノンのようなものを手にいれ、帰路についた。


  帰宅して楓の様子を覗くと、ぐっすりと眠っているようだった。ホッと安心し、いつも楓がしていた家事をこなし、夕食の準備をした。モロヘイヤをふんだんに使用した栄養満点の夕食は、私がエジプトに来てから体調不良を感じる度に食べて、体調を回復させてきているものだ。モロヘイヤは古代エジプトで、ムルキーアと呼ばれていて、それが訛ってモロヘイヤと呼ばれるようになったらしい。クレオパトラもよく食べたと伝えられている。その真偽は定かではないが、モロヘイヤは現代において、ビタミンやミネラルを豊富に含んだ野菜の王様といえる存在であることに変わりはない。

  夕食が出来上がる頃になり、お腹が空いた、と楓が寝室から出てきた。食欲が普通に出てきたらしく、ひと安心だった。

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