第51話 一緒にいる意味

  シラントロの扉を開くと、いつもの店員が出迎えてくれた。私は挨拶もそこそこに店内を見渡すと、奥まった席に楓がいるのを見つけた。

「楓。」

私は近づいて声をかけ、彼女の肩に手をおいた。

「レイ、迎えに来てくれたの?」

「レイさん、昨日はありがとうございました。」

2人がほぼ同時に言った。

「志乃さん、こちらこそ、昨日はどうも。」

私はそう言って、精一杯の営業スマイルを浮かべた。

「じゃあ、志乃さん、私はこれで。」

楓がそう言ってお金をテーブルに置き、バッグを手に立ち上がった瞬間だった。

「楓ちゃん、レイさんに折れたってことはさ、私にもチャンスあるってことだよね?」

「...志乃さん。」

楓が何か言葉を発するより、私が先に反応した。

「悪いけど、私、自分の恋人を口説かれて黙ってられる程、寛容じゃないんだよね。」

営業スマイルを浮かべたまま言った。いくら営業スマイルでも、目は座っていただろうが。楓が私の怒りを察して、

「レイ、帰ろうよ。」

と慌てて私に促した。私はそこで楓が志乃に対して何も言わないことに、苛立ちを覚えた。


  店を出た瞬間、私は苛立ちを隠せず言った。

「あいつ、私の目の前でよく言ったな。...だいたい、楓!だから言ったじゃん!あいつは楓のこと、そういう対象だと見てるって。」

「ご、ごめん...。」

「私に折れたなら自分にもチャンスある?ふざけんな。」

「レイ、お願いだから、落ち着いて...?」

私は立ち止まり、目を閉じて大きく深呼吸をした。怒りが収まったわけでも、苛々が落ち着いたわけでもなかった。タクシーを止めると、楓を押し込むように乗せてから私も乗り込んだ。家の場所を告げた後、

「煙草吸っていい?」

とドライバーに尋ねた。ドライバーが良いというので、煙草に火をつけ、思い切り吸い込んだ。煙草を吸い終わった後も怒りは収まっていなくて、ただ無言で窓の外を見ていた。


  家に入ると、ごめんなさい、と楓が最初に言った。

「何に対して謝ってんの?」

楓にとっては、初めて見る冷たい目で、初めて聞く冷たい声だったのだろう。完全に怯えているのが判った。

「志乃さんのこと、大丈夫だと思ってたこと...それから、勝手に今日、志乃さんと会って話そうとしたこと...それから...ちゃんと

自分で断らなかったこと。」

私はソファに座ってため息をついた。わかってはいるんだな、と思い、怯えた様子の彼女を見ていると胸が痛んだ。

「最初のは判らない人は判らないだろうし、仕方がないかもしれない。ただ、私が言ったことを、少しは頭に置いて行動して欲しかった。」

楓は俯いて私の話すのを聞いていた。

「今日、仕事が長引いたり携帯の充電がなかったりしたら、メール見るのは夜だったかもしれない。そしたらさ、楓を迎えに行けなかった。」

俯き、今にも泣き出しそうな楓の様子を見ている間に、怒りも苛立ちも収まっていた。

「何の危険も感じないまま家について行って、襲われたらって思うだけで、怖いんだよ。別に、楓が誰かと会ったり、遊びに行ったりするのは自由だけど、無防備にだけはならないで欲しい。」

楓は静かに頷いた。

「...私は確かに、楓の弱ってるとこにつけ込んだような形になって、楓が私に折れたって言われても、否定出来ないと思ってる。でもさ、あそこで、楓が否定しなかった事が引っ掛かって...私は楓にとって何なんだろうって思った。」

「...何て言えば良いかわからなかったの。レイと付き合ってるって話したのに、わかってくれてないのかなって。レイの前でまたあんなこと言うから、どうしたら良いか判らなくなって...ごめん。」

思わずため息が出た。

「そういうハッキリしないとこがさ、志乃さんに期待させたと思うよ。」

そう言って私は立ち上がり、前にいる楓の頭にポンと手を乗せた。

「ねぇ、楓。怒らないから、正直に答えて。楓は、私に流されて、私と一緒にいる?私の事が好きというよりも、一緒にいる人が欲しくて、私を好きって錯覚してない?これだけ怒った後で言うのも変だけどさ、楓が志乃さんに惹かれてるなら...私に止める権利はないから。」

「最初は流されたのかもしれないけど、今はちゃんと自分が好きで、レイと一緒にいる。錯覚なんかじゃない。」

「じゃあ...楓に言われた言葉、そのまま返す。頼むから不安にさせないでね、楓さん?」

冗談ぽくそう言って、私はベランダに出た。

「レイ、ごめんね?」

私の後ろから楓がそう言った。

「もう、良いよ。私も大人げなかったからね、嫉妬してさ。」

「レイ、呆れるかもしれないけどさ。こんなに怒ってくれて、不安に思ってくれて、考えてくれて嬉しい。レイがそこまで妬いてくれると思わなかったし。」

「...怒ったらお腹空いた。」

楓は笑って、夕食作るね、とベランダから離れた。

(昨日から煙草の減りが早いな。)

そう思いながら火をつけ、ゆっくり煙を吐き出した。

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