第41話 昔の女
眠りにつこうかという時、楓が突然、ごめん、と言った。
「何が?」
何を謝られたのかが分からなかった。
「...一方的過ぎたかなって。反省してる。レイの気持ち考えずに、感情的に話しちゃった。レイにどんな苦しい過去があるのか、ちゃんとわかってもいないのに。...ごめんなさい。」
「いや...楓の気持ちは解るから。楓がそうしたいなら、構わないよ。それに...話してないのは私なんだから、楓が謝ることじゃないでしょ。」
「...昔の、彼女の話ってことだよね?」
「うん。初めて女性とお付き合いした時のこと。まだ日本にいた頃の話だよ。...聞きたい?」
「聞きたいような聞きたくないような...。」
「じゃあ話さない。楓、妬くしな。」
「聞く!」
「妬かない?」
「うん、妬かない。」
じゃあ、と私は話し出した。その人と出会って、付き合って、自然消滅するまでの一部始終を話した。どんな虐めや差別を受けたのかも、包み隠さずに。話し終えて深呼吸をした時、楓が言った。
「レイが周りを警戒する理由も、気持ちも、よくわかった。さっきいっぱい言ったこと、反省してる。...だけど!今のレイはもっと強いと思うし、私は同じことがあっても、負けたくない...。あと、ごめん。私、その人に今、すっごく嫉妬してる!」
「えぇ?!妬かないって言ったじゃん。」
「だって!それだけレイの中に大きく残ってるなんてずるい。しかも、その人が色々最初とか、無理...耐えらんない。てっきり男性が最初なのかと!」
「...別に気持ちが残ってる訳でも、未練がある訳でもないよ?ただのトラウマ。」
「どんな形でも、残ってるのが嫌。忘れてよ、その人のこと。」
「そんな無茶な...。」
私は思わず笑ってしまった。
「でもさ、楓。それから付き合うのは男性だけにしようって決めてた私を覆したのは、楓だよ?」
宥めるように言うと、膨れた楓はベッドの中で私に抱きついてきた。
「なんか不完全燃焼だけど、許すことにする...。」
私は、自分が話した暗い思い出を、楓が明るく終わらせようとしていると感じていた。その優しさが嬉しくて、楓を抱きしめた。
「今の私が好きなのは、楓だから。楓が会ってっていう相手には、ちゃんと恋人として会うから。」
楓は私にキスをして、ありがとう、と言った。私はなんだか堪らなくなって、強く彼女を抱きしめた。同じ女性なのに、楓の肩幅が小さく、すっぽりと私の腕の中に収まっていて、これ以上腕に力を入れたら、壊れてしまいそうな気がした。
そう言えば、日本のあの人は、私が水泳部だと知って、『バタフライとかするでしょ。だから肩幅広いのね。』と言っていた。それを楓に言ったら、思い出したことに妬いて拗ねるだろうな、と思ったら、可笑しかった。
「ね、レイ...シたい。」
楓が珍しく自分から言うから、聞き間違いかと驚いて彼女を見た。
「え...今、何て言った?」
「2回も言わせないでよ、恥ずかしいんだから。」
「あ、いや...ごめん。聞き間違いかと...。」
楓は少し拗ねたように、私の腕の中から抜け出し、纏っていたロングシャツを脱ぎ捨てて下着だけになると、早く触って、と私を急かした。
「積極的...。」
私がそう笑うと、うるさい、と背を向けた。
「旅行前からしてなかったもんね?」
私は、後ろから彼女の身体に指を這わせた。
「積極的なのは、そのせい?それとも、前の彼女に嫉妬したせい?」
「両方...っ」
その返事が少し嬉しかった。
翌朝、朝食を取りながら楓に尋ねた。
「幼なじみは夏休みのいつ来るの?」
「7月か8月ってメールには書いてあった。」
「そっか。じゃあ、それまでにシナイ山と紅海から帰って来ないとね。」
「いつから行くの?」
「いつからにしようか?紅海でどれくらいゆっくりしたいかによるけど。まあ、6月末とか7月最初かな?」
「楽しみ!6月末まではカイロにいる?」
「うん、その予定。バイトもそれまで忙しい時期だからねぇ。」
日本からの観光客が比較的少なくなる夏場のローシーズンは、エジプト在住で観光業に従事する日本人にとっては自分達の時間を持てる季節でもある。また、発掘作業なども止まるので、先生方にも余裕があり、比較的講演が増えるのだ。
「楓、幼なじみに詳しい日にち聞いておいてね。8月から、イギリスに行きたいと思ってたから。」
「うん、わかった。...驚くだろうな。話してた恋人が、彼氏じゃなくて彼女だって知ったら。」
楓は楽しそうにクスクス笑った。私は少しばかり複雑な気分でそれを見ていた。
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