第35話 矢車草
楓の感想が的を得ていて嬉しかった。
「この時代を、アマルナ時代って呼ぶんだ。首都がテル・エル・アマルナにあった時代だからね。楓が言った通り、この時代に作られた像も描かれた絵も全て、リアルに近いものだって言われてる。」
楓は部屋の中を見回した。
「さっきまで見てきたファラオは、見分けがつきにくいってのは楓もわかったでしょ?」
楓が頷いたのを見て続けた。
「それは、ファラオが理想とする顔や表情、肉体を表したからなんだ。ファラオとは、強く逞しく、力溢れる凛々しいものなんだっていう理想をね。でも、アマルナ時代は違った。」
「これだけ大きな像がリアルな顔してると、迫力があってちょっと怖いかも。」
「うん。その怖さがクセになる。自分でも呆れるけどね。ねぇ楓、この部屋の中にあるもののほとんどに、神様が描かれてるんだけど、わかる?」
「神様...?」
楓はキョロキョロと見回し、首を振った。
「さっきまで見てきた、鳥とか牛とか、全然居ない。どれが神様なの?」
私は壁画の一部を指差した。
「これだよ。アテンっていう太陽神で、アマルナ時代にはこの神様しか居ないんだ。」
「この、太陽の光みたいに、沢山伸びてる手が神様?でも、古代エジプトは多神教で日本と同じなんじゃないの?」
「うん。アマルナ時代以外はずっとそうなんだ。でも、この時代のファラオだったアクエンアテンは、多神教を一神教に変えようとした。太陽そのものがアテンという神様で、太陽を崇拝した。首都も移して、新しいエジプトを作ろうとしたんだ。」
「そんなの、国民が許すの?」
「ファラオは神様も同然の存在だったから、アクエンアテンが王位にいた間はそれで何とかなってたけど、国民や大半の王族が反対してたんだ。だから、アクエンアテンの死後、首都は戻され、宗教も戻された。そして、アテンに関わった物は消され、迫害を受けることになった...。」
「なんか...悲しいね。」
「ミイラの名前も消されて、王様の名前すら忘れ去ろうとしたんだよね。名前は古代エジプトでは命そのものと言って良いくらい大切だったのに、抹消されようとしていたの。...悲しいよね。」
楓は目の前にある像や壁画をしんみりと見つめていた。
「それで...レイは、この時代の何を論文に纏めようとしてるの?」
楓はふと私を振り返って言った。
「ツタンカーメンの死因と死に隠された真相、かな。」
「ツタンカーメンが、この時代に関係あるの?」
「このアマルナ時代の最後の王がツタンカーメンなんだ。元々、ツタンカーメン...トゥト・アンク・アメンは、トゥト・アンク・アテンって名前だったんだ。アテン神の名前からね。でも、多神教に戻す過程で改名したんだ。アメン神の名前に。」
「知らなかった!」
「彼は若くして死んだ。事故に見せかけて暗殺されたとも言われているの。私は、その暗殺説が正しいという結論を歴史的背景から書きたいと思ってるんだ。」
「なんか...凄い。」
「そんなことないよ。私が面白いと思ったことを書きたいだけだからさ。」
「でも、どうしてちゃんと宗教を戻そうとしたツタンカーメンが暗殺されるの?」
「そこが論文の醍醐味!詳しくは、またアマルナに行って話そう。アクエンアテンが愛したネフェルティティについてもね。」
私は笑いながら言った。
「さて、じゃあその少年王ツタンカーメンのマスク、見に行こうか。それから、偉大なファラオ、ラムセス2世のミイラにも会いに。」
私は楓の背中を押して、博物館の2階へ上がると、特別室のツタンカーメンのマスクを始めとして、2階の大半をしめるツタンカーメンの墓から発見された遺物をひとつひとつ楓に説明をして回った。
ドライフラワーになった矢車草の前で、ツタンカーメンの妻、アンケセナーメンについて楓に話した。幼くして結婚し、結婚後まもなく未亡人となった少女だということ。2人の子供を生んだが、どちらも生後まもなく、または流産であったこと。ツタンカーメンの棺に矢車草を添え、別れを悲しんだのかも知れない、と。それを聞いた楓が言った。
「アンケセナーメンは可哀想かもしれないけど、幸せだったと思うな。短い間でも好きな人の妻になれて、一緒にいられて、最後にお別れもちゃんと出来て。」
その感想が私には新鮮だった。そして、私の話す内容から、そこまで古代の王妃の感情を汲み取れる楓を凄い、と思った。
ミイラが集められた特別室も、怖がる楓を宥め、連れて入った。ラムセス2世のミイラの前で、
「この人が、ラムセス2世だよ。私達考古学部な仲間じゃ、通称、ラムセスおじいちゃん。90歳くらいまで生きたらしいよ。当時じゃ、考えられないくらいのご長寿だ。」
と言うと、楓は私の後ろから恐る恐るミイラを見て、寝てるみたい...と言った。
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