第34話 考古学者の卵

  「次、レイのフィールドワークの所へ行くんだよね?私、それまでに、その時代のことちゃんと知っておきたい。教えてくれない?」

楓がふと言い出したのは、地中海の旅から戻ってしばらく経った日の夕食に、行きつけの韓国料理屋で焼肉を楽しんでいた時のことだった。

「どうしたの、突然?」

「アレキサンドリアの博物館見てる時に思ったのよ。レイの知識には遠く及ばなくても、ある程度古代エジプトの歴史を知っていたら、もっと楽しいんだろうなって。」

「まあ、それはあるかもね。...教科書見ながらってのもつまらないし、考古学博物館でも行って、その頃の歴史話そうか?」

「うん、そうしたい。」

「じゃあ、明日行こうか。...楓、考古学博物館は1回くらいは行った?」

「うん。エジプトに来てすぐに行ったんだけど、あんまりよくわからなくて。」

「そっか。じゃあ、一通り全部案内するよ。」

「何だか得した気分。」

「何で?」

「だって、ガイドさん雇うのと一緒...というか、むしろ更に良いじゃない?専門でやってる人に案内してもらえるなんて、なかなかあるものじゃないでしょ?」

「あぁ、まあ確かに。」

「恋人が考古学者っていいね。」

「卵だけどね。」


  翌日、私達はカイロ考古学博物館に訪れた。博物館は年中、世界各国からの観光客で溢れ返り、エジプトが観光大国であることを思い出させた。チケットを買い、中に入ると左右にある巨大な石像が迎えてくれる。その出迎えの石像すら、本物の遺物であるというのが、エジプトの凄さだ。この博物館で、唯一のレプリカは、ロゼッタストーンだった。いずれ、エジプトに返還される日が来るのかも知れないが、様々な歴史を経て、本物は大英博物館にある為、レプリカを飾るしかないのだ。

「イギリスに行ったら本物は見られるけど...ロゼッタストーンはね、エジプトのロゼッタで見つかった石版で、古代エジプト語のヒエログリフと筆記体みたいなデモティック、それからギリシア文字の三種類で同じ内容が書かれているの。これが切欠になって、古代の文字が解読されたんだ。」

「じゃあ、これがなかったら?」

「古代の歴史を知ることは出来なかっただろうね。今、全世界が知っているツタンカーメンだって、名前すら読めなかったかもしれない。」

楓は目をキラキラとさせて、私の話を聞いていた。じゃあ次、と私は有名どころの遺物や、考古学上貴重とされているもの、珍しいものをピックアップしながら説明した。

  アイシャドウが、元は虫から目を守る為の薬で、魔除けの意味があったこと。あのギザにある巨大なピラミッドを作ったクフ王の姿は、たった1体の7.5センチしかない小さな像でしか見られないこと。そして、古代エジプト人の信じた冥界、神々の名前や役割、その神話...死者の書の話。古代エジプトには沢山の神様がいて、日本の八百万の神と似ていること。太陽神が毎日生まれ変わると信じられていたことや、肉体と魂の行き先、ミイラの作り方に至るまで、説明しながら歩いた。既に大学で楓が学んだ事も入ってるとは思うけど、と前置きを入れながら。


  「サンエルハガルで見た像、どんなのだったか覚えてる?」

「うん、なんとなくだけど...。」

「これ、同じ人だよ。」

と、わたしは大きなラムセス2世の像の前で立ち止まった。

「同じ顔してるでしょ?...あの像も、あっちの首だけのもそう。同じファラオ。ラムセス2世。」

「あれは?」

私が指差さなかった像を指し、楓が聞いた。

「あれは、セティ1世。ラムセス2世のお父さんだよ。」

「違いが判らないんだけど。」

「セティ1世の方が、優しい顔立ちだと思うんだけど。...見慣れないと、わかんないかもな。」

「まさか...レイは、石像の顔だけで誰か判るの?」

「全部がわかるわけじゃないよ。わからない時は、名前のヒエログリフを読むんだ。でも、見慣れたファラオは判るかな。ラムセス2世は特に顔が残ってる像が多いから判りやすいんだ。」

「流石、専門にやってるだけあるね...。ね、いつも横にいる女性が、ラムセス2世の奥さんでしょ?」

「そう、ネフェルタリ。綺麗な人だったらしい。ラムセス2世は彼女にベタ惚れで、色々なところに彼女の像を作ったり、女神に喩えたりしたんだよ。」

「へぇ...ロマンチック!」

「...他にも奥さんは沢山いたんだけどね。」

「...残念...。」


  そして、私達はアマルナ時代と呼ばれた頃の遺物が収められた部屋にたどり着いた。

「この部屋の時代が、私の専門なんだ。」

そう言って、私はその部屋に足を踏み入れた。この部屋に来ると、いつも、胸が高鳴り、そして締め付けられるような苦しさがある、と気付いてこの時代を専門にすると決めたのだ。部屋に入った瞬間、楓が言った。

「なんだか...すごくリアルだね。この部屋の像はちゃんと見分けがつく。」

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