第30話 甘美な空想

  その日最後の場所、カーイト・ベイの要塞に到着した。世界の七不思議『ファロス島の大灯台』の跡地と言われる場所にある、15世紀マルムーク王朝時代にスルタン・アシュラフ・カーイト・ベイによって建てられた真っ白な要塞だ。私達は、要塞の中から、また上から地中海を眺めた。海風が心地良かった。

  私は古代エジプト史には心酔していたが、それ以降の歴史には明るくない。だから、マムルーク朝と言われてもピンとは来ないのが残念ではあった。だからこそ、むしろ要塞が立つ前の、ファロス島の大灯台に興味を惹かれた。14世紀の地震で倒壊したというが、それは高さ130mもの巨大な灯台だったらしい。

「灯台が今もあったら、どんな風景だったのかなって想像しちゃうなぁ。古代の人はどんな景色を見てたんだろうね?」

そう言ったら、楓が笑い出した。

「レイってやっぱり、ロマンチストなんだね。まあ、ロマンチストじゃないと考古学はやらないかぁ。」

「そうかな。」

そう返事をしながら思った。ロマンチスト。現実を離れた、甘美な空想などを好む人。もし本当にそうなら、こんなに度々不安になったりしない、と。甘美な空想にだけ耽っていられたら、どんなに良いだろう、と。


  その日の夕食はホテルでのブッフェだから、とディナーチケットを渡し、私と楓をホテルまで送ると、ムハンマドとムスタファはホテルを離れて行った。彼らは別のホテルに宿を取っているからだ。夕食の時間が迫っていたので、私達は部屋に戻らず、そのまま夕食へ向かい、空腹を満たした。

  流石に動きまわったせいか、2人とも疲れを感じていて、部屋に戻るとベッドに身を投げ出した。

「今日、どうだった?楽しかった?」

「うん、楽しかった!お墓は怖かったけど...レイが悪戯してこなくて良かった!」

「しようかと思ったんだけどさ、あまりにも怖がるからできなかったんだよね。」

「もう...。でも、なんか、旅行してるって感じが良いよね。大学に行ってる時とは全然違って、伸び伸びできる感じ!」

「そうだね。エジプトを満喫してるって気分になる。」

「これがまだまだ続くって思うと、ワクワクするわ。」

本当に楽しそうに彼女が笑った。彼女が休学すると言い出した時はどうしたものかと焦ったが、結果的にこれで良かったかな、と思った。


  明日は博物館巡りか、と楽しみに思いながらベッドに潜り込んだ。博物館にいると時間を忘れてしまう。カイロ博物館でも、開館から閉館まで食事もしないでうろついているので、帰宅した後いつも楓に「またどうせ何も食べずに最後までいたんでしょ」と呆れられていたくらいだ。明日はそうはいかないな...と、そんなことを考えていたら、ベッドに入ってきた楓が言った。

「ねぇ、明日は博物館で入り浸りは禁止だからね。」

「わかってる。...今日も一緒に寝るの?」

「駄目?よく寝れるんでしょ、私が抱き枕だと。」

さも当然の様に言うと、前日と同じ体制になった。

「あぁ、眠い...」

と呟いて、間もなく寝息が聞こえ始めた。

(寝るの早いな...)

半ば苦笑しながら、手を伸ばし、枕元のライトを消した。


  朝、早めに目覚めたらしい楓が淹れている珈琲の香りで目が覚めた。外はもう明るかったが、時計を見るとまだ早朝だった。私は、窓際で珈琲を飲みながら海を眺めている楓を、ベッドの中からぼんやりと見つめていた。少し微笑を湛えたような柔らかい表情だった。大人びた顔だちなのに、幼く感じられるのは、私が彼女の素を見てきたからなのかも知れなかった。

(何を考えているんだろう...?)

まだ寝ぼけてはっきりしない頭で考えた。彼女の表情からは何も読みとれなかったが、穏やかな表情であることに、私はどこか安心していた。ふと彼女がこちらを見て、目を見開いた。

「レイ、起きたの?」

「うん。」

「起こしちゃった?」

「いや...早いね、起きるの。」

「熟睡したみたいで、スッキリ早起きしちゃったの。レイ、まだ寝てていいよ?」

「うん。」

少し冷たい彼女の手が私の頬に触れ、心地よく、私はまた眠りに落ちた。

  次に目覚めた時、楓は部屋におらず、ソファテーブルの上に、ホテルの中を見て回ってくる、とメモが残っていた。

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