第28話 クレオパトラの夢

  サンエルハガルを離れた私達は、アレキサンドリアへ向けて出発した。カイロから直接行くなら列車に乗る方が早いが、寄り道をしたのだから仕方がない。それに、旅の車内は意外と楽しかった。アレキサンドリアへの長い道中、ドライバーのムスタファには、来月5歳になる息子がいるとか、コーディネーターのムハンマドは去年結婚してラブラブなんだとか、彼らとも話は盛り上がった。

  彼らは、私達のプライベートには一切踏み込まなかったが、プロフェッショナルとしてのスタンスなのか、薄々感づいてのことなのかは、判断が付かなかった。


  地中海沿いの街アレキサンドリアは、プトレマイオス朝時代の首都で、女王クレオパトラが愛した土地と言われている。女王クレオパトラは、考古学に精通しない者でも多少の興味さえ有れば、名前やその人生はある程度知っているだろう。映画などでも取り上げられた、美と才に恵まれ、愛に生きた悲劇の女王だ。美貌が故と言われてはいるが、実際には、その才でローマの王者カエサルを虜にしたとも、彼女は愛嬌溢れる可愛らしい女性だったとも言われている。

  『クレオパトラの夢』というバド・パウェルのピアノジャズがあり、エキゾチックなメロディが印象的なのだが、自宅でもたまに流していたから、アレキサンドリアに向かう道中、「アレキサンドリアはクレオパトラの街だから、夢があるよね」と楓に言った時、その曲を彼女は連想したらしかった。

  私は、初めて楓がその曲を聞いた時、「私、これ好きかも」と言ったのを思い出した。彼女がジャズにそんな反応をすることが珍しくて、嬉しかったことも思い出した。そして、クレオパトラという魅力的な女王を楓に重ねたことも、そして楓はクレオパトラというよりも...と、古代エジプトに生きた、ある王妃を連想したことも思い出した。

  アレキサンドリアには2泊滞在し、のんびりと観光し、ゆっくりと過ごすつもりでいたから、アレキサンドリアの観光は翌日からにして、初日の夜はホテルで過ごすことにした。海の目の前に立つ、『パラダイスイン・ウィンザーパレスホテル』に宿を取った。アンティークな内装の、アラブの宮殿を連想させるようなホテルだった。案内された客室は、シングルベッド2台とテーブル、ソファセットがある広めの客室だった。

「あ、ツインルームか。...まあ、そりゃそうか。」

私は客室に入り、思わずそう呟いてしまった。つい、通常女性2人の旅で用意されるのが、ベッド2台のツインルームだということを忘れていたからだ。

  

  ここからカイロに一度戻るまで、私は完全な休日だった。私のフィールドワークの対象となるものはほぼ、この地中海沿いには無い。だから、楓の行きたい所に行き、楓のしたいことをしようと思った。よく彼女を見て、彼女の気持ちに添おう、と思っていた。ソファに寝そべりながら、窓の外に広がる夕刻の海を背にガイドブックを捲り、明日の行き先を悩んでいる楓を見ていた。彼女のことを大切にすると、誕生日の夜に改めて思ったのだから。

「レイは?行きたい所ないの?」

「楓の行きたい所に行きたい。」

「何それ。...ねぇ、カタコンベってどうなんだろう?」

「どうって?...お墓だから、ミイラとかあるんじゃない?」

「だよね...。」

楓は残念そうに眉をしかめながらベッドに身を投げ出した。

「怖いの?」

「知ってるじゃん、私がそういうの駄目だって。」

「私が一緒にいるから大丈夫じゃない?」

「だってレイ、私が怖がるのをいつも楽しそうに笑ってるじゃん。...悪戯とかしない?怖がらせたりしない?」

「しないしない。」

「その軽い感じが信用できないんですけど?」

「大丈夫だって。ちゃんと怖がりのお姫様は守ってあげるから。...もしミイラが動き出したり、骸骨がカタカタ言ったりしてもさ。」

「...さらに信用できなくなった...。」

楓の反応が楽しくて軽口を叩いていると、部屋のドアがノックされた。ドアを開けると、ムハンマドが夕食の時間だよ、と呼びに来ていた。今日の夕食は地元のレストランでシーフード三昧だよ、と聞いて、楓の目が輝いた。海から遠いカイロで暮らしている私達にとって、御馳走に違いなかった。

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