第23話 ワイン

  楓が課題に取り組んでいる間、私はキッチンにいた。昼食が遅かったから、夕食も遅くて良いというので、煮込み時間が気にはなったが、ビーフシチューを作った。1人で暮らしていた時以来の料理だったが、流石に5年間ひとり暮らしだっただけにスムーズだった。食べられる状態になり、ダイニングにいる楓の様子を伺うと、電子辞書を片手に、分厚いハードカバーの教科書と睨めっこをしていた。

  私の視線に気がついて、彼女は言った。

「日本語でならすぐに読めるのに、英語だと苦戦しちゃう。私、再来年にレイみたいに論文が書けるようになる気がしないわ...。」

「自分からそういう大学に編入して来たんでしょうが?」

「そうだけど。」

「単語がわかんないの?」

頷く楓に、毎度のことだと思いながら、ひょい、と教科書を覗き込んだ。考古学の教科書だった。

「私の専門分野じゃん...言ってみ、わかんない単語。」

彼女は、やった!と喜び、単語を指差した単語に、私はため息を付いた。

「楓、この単語そろそろ覚えてくれないかな...何回目よ。Enthronement...『即位』だってば。」

膨れる楓に思わず笑ってしまった。

  それから約1時間ほどして課題と翌日の授業の準備を終え、お腹すいた、と楓は立ち上がり室内をウロウロし始めた。

「レイとやると、スパルタだから疲れちゃうんだよね。」

「何言ってんのさ。そのおかげで次の日の授業は楽でしょ。」

「そうだけど。全教科なんだもん...。家庭教師されてる気分。」

「そのつもりでやってます。」

ダイニングテーブルを片付けながら答えた。

「授業料出ないのに?」

「支払って貰ってるよ?身体で。」

楓はため息とも悲鳴とも取れるような声を上げて、ソファに倒れ込んだ。

「ほら、ご飯食べよ。」


  ダイニングテーブルにシチューとサラダ、パンを並べた。料理で使って残った赤ワインと、ワイングラスも。楓は緊張した面持ちでテーブルに座った。

「なんか、レイの手料理初めてだと思ったら緊張する!」

「不味くはないはず。」

「そういう意味じゃなくて!...いただきます!」

私はグラスにワインを注ぎ、ひとつを楓の斜め前に滑らせ、彼女の斜め向かいに座った。シチューに口をつけた彼女が、

「美味しい...」

て声を出し、正直ホッとした。

「良かった。まだあるから。おかわりでも、明日でも。」


  あとは寝るだけ、となった深夜。私はリビングでテレビを見ていた。

「寝ないの?」

楓に声をかけられ、テレビを消して立ち上がった。

「レイって、ずっとニュース見てるよね。」

「うん、言語の勉強になるからね。さ、寝よっか。明日は大学だし。」

「...今日から同じベッドなんだ...なんか緊張...。」

「楓がそうしたいって言ったんじゃん。」

「そうだけど。」

ベッドに入り、電気を消すと、月明かりすら入って来ず驚いた。

「この部屋、真っ暗なんだな...。怖い話出来ちゃうね?」

「...怖い話したら、本気で怒るからね。」

「はぁい。...あ、目が慣れてきた。楓の顔見える。」

「真っ暗かと思ったけど、軽く明るいんだね。」

「うん...じゃあ、おやすみ。」

「...え、寝るの?」

「寝ようって言ったの楓じゃん。...あ、もしかしてシたい?」

「...っ。べ、別に。」

「へぇ。たまには、自分から襲ってくれば?」

「...もう、知らない。」

「すぐ拗ねるんだから。素直になればいいのに。」

私は彼女を抱き寄せて首筋に顔を埋めた。

「朝もしたのに、足りなかった?」

「そうじゃないけど...やっと、2人で暮らしてるって感じがして...」

「期待しちゃったんだ?...可愛いなぁ...」

思わず心の声が漏れた。暗闇の中でも、彼女が照れて横を向いたのがわかり、笑ってしまった。彼女を悪戯に焦らしながら、私は彼女に質問を投げかけた。

「引っ越して良かった?」

「...うん」

そっか、と返事をして、彼女の泉に触れた。切なげな声を漏らして抱きついてきた彼女に、熱いね、と伝えると、彼女はワインのせいにした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る