第22話 甘い罪

  それほど量が多い訳でもなかったから、昼過ぎには引っ越しの荷物も片付いた。遅めのランチを食べようと家の周りを散策していると、家のすぐ近くにお洒落なカフェを見つけた。『コーフィーオロジー101』という名前に惹かれた。日本語なら、基礎珈琲学、と言ったところか。101という数字の並びは、海外大学の学生にとっては親しみのある数字だ。その学問の最初に受ける授業、つまり基礎を学ぶ授業を意味する。実際、楓が受けている考古学の授業も101だった。珈琲やサンドイッチをメインとする軽食のカフェで使い勝手が良さそうだと思った。

  軽く食事を済ませて、さらに散策を続けた。家の周辺には、ビネガーなどの発酵食品を扱う専門店や蜂蜜の専門店、オーガニック食品だけのスーパーマーケット、エジプト綿の高級製品を扱う店など、木々が美しく茂る中にポツポツと建っていて、マアディらしく快適だった。

  可愛いトルコの雑貨を扱う店があり、楓が気になったようだったので入ってみた。アクセサリーや魔除け、バッグなど、センスの良いものばかりが並べられていた。トルコタイルのコースターに楓が目を奪われているのがわかって、覗きこんだ。

「可愛くない?」

「うん、可愛いね。...買う?」

「どうしようかな...」

「...引っ越した記念に2枚買おうか。買ってあげる。」

「いいの?」

真剣に模様を選ぶ楓を可愛いな、と見つめていた。それに気づいた彼女が、ボソッと言う。

「その発言とか態度とか空気とかが、甘い感じ、本当に罪だから。」

「え?なんで?」

「自分で解ってないあたりが、さらに罪。はい、コースター、これにする。」

「ん。」

コースターを買って外に出ると、空が暗くなってきていた。

「そろそろ帰ろうか。」

家に向かって歩き始めた。

「今日の夜何する?」

「楓、授業の課題終わってるの?」

「...まだ、でした...。」

「じゃあ、勉強だね。明日も朝から授業なんだから、頑張らないと。」

「何でレイがそんなに早く課題終わってるのか、意味がわからない。テスト前も普段と変わらず遊んでるし。しかも私より上のクラスばっかりなのに。」

「ん?あぁ、私は...天才なんじゃない?」

笑いながら言うと、楓は拗ねたような顔をした。

「なんか、その差を見せつけられてる感じがして凹むなぁ。」

「要領だよ、要領。コツ掴めば誰でもできるって。」

「それができれば苦労しないわよ。」

肩を落とした楓を見て、

「夕食は私が作るから、その間に終わらせられるように頑張って。」

と、オーガニック食品の店で買った袋を見せた。

「え、でも、ご飯は私が作る約束じゃん。」

「恋人になったんだし、もうその交渉内容は忘れよ?作れる人が作れる時にする。それで良くない?」

「でも、家賃はレイが払ってるし...」

「それくらい、尽くさせてよ。」

「...レイ、私に甘いなぁ。」

「そりゃ甘いよ。大事だからね。」

「ああ、駄目、そういうこと言うの反則。」

「あ、照れてる?」

「もう...!でも、ご飯は出来る限り私が作りたい。でも、今日は甘えることにする。」

「わかった。」

「私、レイのご飯食べるの初めてかも。」

「あぁ、確かに。そう言われるとプレッシャーだなぁ...。」

「何作るの?」

「ん?...内緒。」

空が完全に暗くなっていた。街は日中以上に静かだった。ポツポツと点いた電灯と、洋館風の建物の窓に灯りが見えていた。

  何気ない会話が幸せだった。数ヶ月前は、こんな風に同じ帰路を楓と歩く日が来るとは思っていなかったし、こんな風に恋人らしい会話をするなんて考えられなかったのに。そんなことを考えていたら白い野良猫が目の前を悠々と通り過ぎた。

「...今日買ったコースター、使うの?飾るの?」

「使う!青と赤のが私、青と黄色のがレイね。」

「わかった。」

もうそれも決まってるんだ、と笑いそうになった。

「いつか、トルコも一緒に行きたいね。」

「そうだね。」


 (いつか、か...。)

いつか、って言えるほど、長く一緒にいられれんだろうか。楽しそうに前を歩く楓を見ながら、また私は言い知れない不安を感じていた。幸せだと感じれば感じるほど、楓を大切だと思えば思うほどに、不安は大きくなる。必ず、近い未来に終わりがある、そんな気がしてならなかった。

  その不安が拭えなくて、私は前を歩く楓の手を掴んだ。

「手、繋ごう?」

楓は目を見開き、驚いたように言った。

「珍しい。誰か知り合いに見られたら面倒だって、いつもくっつくと逃げるのに。」

「誰も見てない。」

「わかんないじゃない?」

「...いいの、今、繋ぎたいんだから。」

楓を大切にしよう、と思った。

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