砂の小瓶
二条 礼
第1話 砂の国
-これから話すのは、今から15年前。24歳の私の、激しい恋の記憶-
考古学を本場でやりたいからと、周りの反対を押しきって、単独憧れの地へ足を踏み入れた。空港で最初に嗅いだのは、焼けた砂埃とシシカバブの臭いだったことを、鮮明に覚えている。
スーツケースには衣類と明日から始まる大学で必要なものがいくつか、それとカップラーメン。背負ったサックには、ガイドブックと飛行機の中で読んでいた推理小説、貴重品、あとは日本を出る時に買ったM&M。そんな身軽な到着だった。
カイロ、エジプト。テレビや本の中でしか見たことのない遺跡が点在する歴史の国。英語には自信があったものの、アラビア語では挨拶すらできなかったが、そんな事はどうでも良かった。これから始まる未知の、アラビアンナイトを連想させる国での生活に胸を踊らせていた。
日本を出る前の私は、自分を知る人が誰もいない場所で息をしたいという焦燥感に追われていた。確かに考古学を学びたかったからエジプトを選んだ。でも、自分を開放できる土地、大声で叫んでスッキリできるような、カラリとした熱い場所に行きたいというのが一番の願いだった。
私、アズマ・レイは、セクシュアルマイノリティーだ。いまでこそ一般的に知られ、認められつつあるが、私が学生だった頃、日本でそれは嫌悪の対象と言って良かった。イジメのターゲットにもなり得た。気持ち悪いと避けられる対象だった。だから、日本から飛び立ちたかったのだ。
私は性同一性障害ではないが、中学生になった頃から、自分が女性だということに違和感があった。かと言って、男性というわけでもない。日によって、時間によって、脳内が女性になったり、男性になったりする、そんな感じ。大人になって、「不定性」という言葉を知った。まさにそれだった。
「レズビアンなの?」「バイセクシュアルなの?」という質問にも上手く返答できなかった。頭が女性の時は男性が好きだし、頭が男性の時は女性が好きだから、よくわからなかった。性格や好み、恐怖を覚える対象、握力、声の高さ、ありとあらゆるものが異なっていた。まるで、二重人格になったような錯覚すら覚えた。「レイ君」と「レイちゃん」の狭間で苦しんだ。不安定な自分と向き合うことすら怖くて逃げていた。
新しいカイロでの生活は刺激的で、日本を出る時に抱えていたそんな悩みも吹っ飛ぶほどだった。むしろ、自分の脳内性別や性的指向なんて忘れて暮らした。
大学での授業にも慣れ、アラビア語もある程度理解するようになり、多国籍な友人達に囲まれ、大学生生活を満喫していた。毎晩、路上の喫茶店でシーシャを吸い、トルココーヒーを飲みながら、友人達と馬鹿な話をして過ごした。英語とアラビア語をチャンポンして話す、滅茶苦茶な言葉が仲間内の当たり前だった。
大学の寮を出て、一人暮らしを始め、カイロの日本人会にも顔を出すようになり、駐在員ばかりではあったが、日本人の知り合いも増えた。自分のことをさらけ出す必要もなく、同じ異国で生きる日本人、というだけで良かった。通訳のアルバイトを頼まれたり、翻訳の仕事を引き受けたり、日本人会の会報の記事を書いたりと現地に馴染み、生活費くらいは自分で稼げるようになっていた。いつの間にか、自宅は新しくカイロに来る留学生たちの駆け込み寺のようになっていた。
初めて空港に降り立った日から5年目の晩夏だった。晩夏とは言っても、昼間太陽に灼かれて乾燥した空気が喉を焦がす気すらするような夜だった。大学の長い夏休みも、まもなく終わろうかという日のことだった。
日本人会で知り合った駐在員の奥様に、日本人会の祭りに誘われて、いわゆる高級住宅地の一角にある巨大な公園に出向いたのだった。奥様が挨拶周りをするからというので、その間、公園の木にもたれて盆踊りを眺めていた。
日本から持ってきたのであろう浴衣を着た駐在員の子供達がはしゃいでいたり、かき氷を頬ばっていたり、奥様方や留学生達が盆踊りを楽しんでいたり、まるで日本の夏祭りだと思った。
公園の芝生の上に、浴衣姿の女性が2人、くつろいで座っていた。
(日本人とアジアの、多分シンガポールあたりかな)
となんとなく眺めた時、2人と目が合った。会釈をすると、アジア人らしい女性がにっこりと笑った。魅力的な笑顔だと思った。なんとなく、忘れていた心の中の何かが騒ついた気がした。
-それが、彼女との出会いだった。
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