もう一人の自分

U・B~ユービィ~

もう一人の自分

会社からの帰宅中、

僕はいつものように電車のドア付近に立ちながら窓の景色を眺めている。

まもなく電車は「××トンネル」に入った。


一瞬にして窓の景色は、墨をぶちまけたような暗さに変わる。

見慣れた景色なのだが、いつも嫌な感じがする。

憂鬱な気分になるのは僕だけではないはずだ。


「気持ち悪いな」

いつもは心の中でとどめている言葉が、口からポロっとこぼれた。

かすかに呟いた程度なので、「周囲の人」には聞こえていなかった。

…はず。


窓に映る「もう一人の自分」は黒いスーツに疲れた顔。

長方形の窓に収まっている自分の上半身が「遺影」のように見えた。

(もし自分のお葬式があったらこんな感じになるのかな)

不吉な事を考えているが、別に自殺願望というのはない。


もう一人の自分を僕はじっと見る。

(あれ?身体が黒いモヤで覆われている?気のせいか)

得体の知れない違和感を覚えた時、もう一人の自分の口が動いた。


(え?)

僕はビックリして反射的に目を閉じた。

(何かの見間違いだ)

心の中で何度も自分に言い聞かせる。


恐る恐る目を開くと、もう一人の自分はやっぱり何かを呟いている。

何故だが目が離せない。

口の動きを見る限り「三文字の言葉」。

ゆっくりとはっきりとした口調。けれど、もちろん音は聞こえない。


その動きは、だんだん…だんだん速くなっていき、

もう一人の自分の表情も鬼気迫る険しいものになっていく。

憎悪を込めるような睨み。


なぜか僕の聴覚はどんどん研ぎ澄まされていく。

やがて、はっきりと言葉が聞こえた。

その瞬間、僕はゾッとした。


『コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、

コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス』


もう一人の自分は、さっきから「殺す」と呟いていたのだ。

怒りに狂ったよう形相。白目を剥いて、今すぐにでも襲ってきそう。


(や、やめろぉぉぉ!!)

必死に心で叫んだおかげなのか、窓の視界が一気に開ける。

電車はトンネルを抜けたようだ。


今、僕の目に入ってきているのは、

閑静な住宅街が放っている柔らかい光。


(助かった…)

僕は、ハァという長い息を吐いた。

そして、深呼吸を何度かして気分を落ち着かせた。


(なんだったんだよ…さっきの…)

僕は座席の衝立にもたれかかる。

この世のものとは思えない、もう一人の自分の表情。

ホラー映画によく出てくる悪霊に取り憑かれた人の表情みたいだった。


(考えてもムダか…とりあえず寝よう。疲れによるただの幻覚さ)

降りる駅は終点。だから乗り過ごすことはない。

僕は電車の振動に心地よさを感じながら、ゆっくりと目を閉じた。



終点の駅に着いた僕は今、

改札を出て駅前の交差点で信号待ちをしている。

赤く光っている歩行者用の信号を眺めながら、

自宅での過ごし方で頭を悩ませる。

(映画も観たい、ゲームもしたい。でも最優先はお風呂かな。今日はゆっくり浸かろう)

そんな事を考えていると、

目の前を黒の軽自動車が猛スピードで横切った。


(え?信号無視かよ)

そう思って、僕は左の方に視線を動かした。

視界の中心には軽自動車。

ちょうどその時、「ドンっ」という激しい衝突音が聞こえた。


無謀にも赤信号で交差点に進入した軽自動車は

大型トラックに衝突された。


大型トラックは軽自動車を吹っ飛ばしており、

その黒い鉄の塊が僕めがけて突っ込んでくる。


(あ…)

突然の出来事に身体が強張って、動かない。


迫りくる黒い塊の中に人影が見えた。

僕にはその顔が「もう一人の自分」のように見えた。





「××トンネル」は戦前に掘られた。

現在では工事における安全管理は徹底されている。

しかし、当時は安全面への配慮が行き届いていなかった。

皆無に等しかった。


トンネルの工事現場は過酷で、倒れる人間が続出。

倒れた人間をトンネルの外まで運んでいたら、

人手と時間がかかってしまう。


では現場の人間はどうしたか?


「トンネルの地面に穴を掘って、そこに倒れた人間を埋めた」


このように多大な犠牲のもとで「××トンネル」は作られたのだった。

「気持ち悪い」、その一言が犠牲者達の逆鱗に触れてしまった。


電車に乗っていてトンネルに入った時、

窓に映る自分の姿を眺めてみてください。


もしかしたら、何か呟いているかもしれません。

何か失礼があったのかもしれないので、

とりあえず謝りましょう。


助かるかわかりませんが。

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