君に飼われたい

秋生

君に飼われたい

穏やかな日が差し込む一室。窓から陽光が透けて、私が顎を乗せているテーブルに反射した。

より強調されて輝くのは、ほとんど白紙の進路希望用紙。氏名欄には雑に「仁科 葵」と書き殴られていた。

「葵ちゃん。進路希望の用紙、進んだの?」

肩まである栗色の髪、少し垂れた目尻にどこかふわふわとした穏やかな声。

ゆるくほどけていって、地面から離れていきそうになるくらい浮遊していく平常心。

目が合うだけで嬉しい、声を聞くだけで愛しい、傍にいるだけで狂おしい。

幼馴染という肩書きでは足りないと感じたのは、いつの事だったかもう思い出せない。

「...やりたいこと、特に無いし」

目の前の幼馴染、春河白瀬さえいればそれだけでいい。それでは我儘過ぎるだろうか。

「そっか。でもね、きっと葵ちゃんなら何だってなれるよ」

だって、葵ちゃんは器用だから。ふふん、何よりこの私がそれを知ってるんだよ。

「おお...あ、ありがとう」

白瀬の言葉は純度100%の優しさで出来ている。彼女の言葉には悪意も、誰かに向けた毒も何一つ含まれていない。甘ったるいくらいの優しさに包まれた言葉が耳に入って、そのまま心に溶けていく。どんな時も、嫌でも心が穏やかになる。

幼稚園の時、一匹狼だった自分がこんなにゆるゆるになるくらいには彼女に影響されている。好きな人に変えられていく自分のことはなかなかに気に入っている。

白瀬の欠片が私の底にあるように、私も白瀬の中に居られたら。

ピン、ポーン。

「あ」

インターホンが鳴らされた。白瀬はどこか嬉しそうな足取りで玄関へ向かった。

「あ、葵ちゃん。荷物受け取るついでになんか飲み物も持ってくるからちょっと待っててね!」

「荷物運ぶの手伝う?」

「ううん、大丈夫。ありがとね」

た、と階段を駆け下りていくスリッパの音。開けっ放しにされたドアがきぃ、と軋んだ。

ほんの少ししかないドアの隙間から、三毛猫がにゅるりと部屋に入ってきた。

猫に対してにゅるりという擬音は正しいのかと思ったが、実際そんな感じで入ってきたのだからまあそれでいいだろう。

「あー、お邪魔してます、あーさん」

白瀬の飼い猫である「あーさん」に挨拶をする。挨拶をしなかったら引っ掻かれるし、挨拶をしたとしても結局睨まれる。なんなんだこの理不尽の塊は。

そもそも猫に挨拶ってなんなのだろうか、私は猫界のルールに適応してやるつもりは一切無いぞ。

あーさんは何故か私にだけ冷たい。他の友人と一緒に白瀬の家を訪れた時もそうだった。他の女子にはごろごろと喉を鳴らして甘えていたのに、私の時はがぶりと手に噛み付いてきた。しかし、白瀬にはでろでろに甘えている。私も飼い主の幼馴染補正とかなんかであーさんからの評価が上がったりしないだろうか。多分しないけど。

大体何がいけないのだろうか。他の人とは違うものを感じ取っているのだろうか。

それにしても。

「当たり前だけど白瀬の部屋、めっちゃ白瀬の匂いするなぁ...」

瞬きをして、次に目を開けた時には、もふもふの肉球が私めがけて飛んできているところだった。

「あいたっ」

急に何するんだよ。私何もしてないのに。ずももももと不穏なオーラを背中に忍ばせて、私の膝にぽん、と手を乗せた。少し爪を立てている。

まさか私の下心を察知しているのか。なんて有能なんだ。

あー、白瀬のことめっちゃ触りたい。

「いったぁ!」

めり、と爪が太ももに食い込んでいる。あーさんがそうするのなら、私だって文句の一つくらい言ってやる。

「あーさんは良いよな...!毎日白瀬と一緒に寝れるんでしょ?撫でてもらえるし、抱きしめても、それこそキスしても怒られないんだ」

「私がそんなことしちゃったら、もう友達でなんかいられないのによぉ!本当あーさんは良いなぁ、...羨ましい」

私が白瀬に初めて会ったのは十二年前のこと。

あーさんが白瀬に拾われたのは今から六年前のこと。

私、あーさんが知らない白瀬いっぱい知ってるからな。猫相手に恥ずかしくないのかって?恋愛にそんなもの関係ないんだよ!猫だってライバルに成りえるんだから。

「今に見てろよ...絶対振り向かせてやるから」

私だって、白瀬を優しさで包んでやりたい。一生笑わせてやりたい。性別とか世間体とか面倒なことは色々あるけれど、いつだってそれ以上に白瀬が大事だ。

野良猫と一匹狼、どちらも白瀬に救われた者同士。

「待たせちゃってごめんね、葵ちゃん。ジュースあるけど飲む?」

不意に聞こえた声に振り向く。彼女は右手にペットボトル、左手に赤い首輪を持っていた。

「それ首輪?」

「そうなの!あーさんに似合うと思って頼んでたのが届いたんだ」

おいで、あーさん。

彼女はあーさんに向けて両手を広げた。あーさんはちょこんと膝に乗る。

「うん!偉いねーあーさん!」

細くて小さい指があーさんに頭に這う。とても羨ましい。

あーさんはどこか誇らしげに私のことを見つめてきた。

悔しい。その赤い首輪、私にだって似合うと思うんですけど。私だって撫でられたい。

ああ、私が猫だったら、スキンシップだって簡単に出来て、溢れた愛しさを四六時中白瀬に伝えられたのかな。

「...進路決まったわ」

「え!何にしたの!」

「秘密」

「何でよも~」

白瀬が頬を膨らませて私の元に近づいてくる。教えろ~と唸り声に似た声を上げて私の頭をあーさんの肉球で小突く。おい猫、若干爪を立ててるんじゃねぇ。

猫とその飼い主の強烈な連携プレーを交わしてさっと紙を片付けた。

さっとリュックに仕舞った紙に書かれた内容は私しか知らない。



二年B組 仁科 葵 進路希望用紙 第一希望

「白瀬の家の猫になって白瀬に飼われたいです!!!!!」




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