掴む

柿.

愛に触れると誰でも詩人になる。

「ねえ、お弁当何がいい?」

「うーん、何でもいいけど」

「何でもは困るよ~」

「そーだなあ・・・ 玉子焼きとたこウインナーいれてよ」

「おっけ!」

 たたたたたた。彼女が足早に去っていく。

「お熱いですなあ」

不意に肩に重みがかかる。振り向けば案の定クラスメイトのたかしだった。

「あしたのお弁当作ってくれるんだ。いいねえ」肩にかかった腕を払う。

「まあ、はじめて食べるから楽しみではある」

 ひゅうひゅう、そう言っておれの肩にぐーぱんして奴は去っていった。

「どーれ帰るか」カバンを持って教室を出る。彼女は前に調理部だったが今は辞めてしまって手芸部に入っている。物凄く家庭的な彼女だ。帰宅部のおれとはとてもじゃないが釣り合わない。だが彼女はそれでもいいといってくれる。これほど幸福なことはないと思う。そういえばなんで彼女が調理部をやめたのか教えてくれなかったな。明日聴くか。

 寄り道して川辺に向かうとそこには野良猫が数匹いた。みんなおれをみるなり寄ってくる。カバンに忍ばせていた猫用のエサを取り出し与える。食べている間不用意に触るとひっかかれるから距離を置いて食べている様をじっと観察する。しばらくしてエサ皿に群がった猫の輪に一匹だけ入れない猫をみつけた。近づいて前脚の付け根を掴んで胸に寄せた。

――そして猫の顔に自分の顔を近づけた。


   ♢


 昼休みになり体育倉庫に向かう。朝おれの下駄箱に手紙があってここに来るように言われた。どうやら渡すのを見られるのが恥ずかしいらしい。このことを知っているたかしには休み時間に誤情報でかく乱させたから邪魔が入ることはないだろう。体育館には昼練習の連中がいるがここは案外死角になっていることは何回かの密会で把握済みだ。

「おまたせ」

「もーおそいよ。昼休み終わっちゃう」ささっどーぞ、とハート柄の布で包まれた弁当箱を差し出す。

「あ、ありがと」顔が少し熱くなっているのが感じる。

「ここで食べるの?」

「うん! 恥ずかしいし持って帰ったらそれで昼休み終わっちゃうもん」ここで食べれば予鈴なってもダッシュで間に合うよ。あ、あたしは軽く早弁してるから大丈夫。

「そっか。じゃあいただきます」

 包みをほどき弁当箱を開ける。たこウインナー、玉子焼きはもちろんレタスの上に見えるミートボール。ハンバーグのこの肉感、溢れ出す肉汁。食べるまでもなく冷凍食品ではないことが見てとれる。白米も純白でどういうことなのか冷めていない。そして大好きなのりたまがかかっていた。とても色合い豊かで何より高いクオリティの家庭的な弁当だった。愛を猛烈に感じる。正直涙が出そうだった。ありがとう。

「あ、お味噌汁もあるヨ!」

そう言って保温器を座っているブロックの上に置く。感涙する。おれは母親に弁当でお味噌汁なんて持たされたことがない。こんなことってあるのか。感動のあまり声が出ないから強くうなずいて応じた。箸を手に取る。

「おいしそうだね」

「わーありがと! 君からだ弱くて学校休むこと多いからさ。結構気を使ったんだよね」

物凄く幸せだ。食べる前から。

「いただきます!」改めて言う。

まず玉子焼きを口に運んだ。ほどよく甘い。おれの好みの甘さだ。食べさせてもらうのは初めてのはずなのに好みを把握されているのがとてもとても驚異的だ。よく味わって嚥下した。

「うん。うん。おいしいよ」たこウインナーを取る・・・・・・・取れない?

「あ、がぁあ」カランカラン。箸を落とした音だ。く、苦しい。なんだこの感じ。みぞおちが熱い・・・思わず倒れる。彼女のいない方に倒れたからブロックに頭を強く打った。

「くっ、くぅ・・・」

「よかったおいしかったみたいね」彼女は立ち上がりおれを平然として見下ろす。どういうことだ・・・ 毒を盛られたのか? おれの彼女はヤンデレだったのか・・・?

「気に入って貰って嬉しい」彼女は続ける。口角をにんまりとあげ、目はどこか向こう見ずだった。なんだ? 毒じゃないのか? 話がなんだか嚙み合わない気がする。

「いま、どんな感じ?」しゃがみこんで顔をおれの顔に近づける。どうって・・・

「くぅう・・・ 胃が、胃がく、苦しい・・・」

「嬉しい。よかった」微笑んだ。どうやら本当に嬉しいらしい。

「あたしはね、〝胃袋を掴む〟ことができるの。発動条件は対象が異性でかつあたしの手料理をひどく気に入ってもらえたとき。だから発動できてうれしいわけ」

なるほど・・・そういうことか。この感じたこのない胃の圧迫感。掴まれているのか・・・ 確かに彼女は手を後ろにやっている。どちらかの手で今まさにおれの胃袋を掴んでいるのだろう。

「こうなることを知っててどうして・・・」

「だってこの先いろんな女の人の料理を食べることが出てくるでしょ。そんなの嫌だもん。あたしの料理で最初の最後にしたいじゃん」

確信した。こいつかなりのヤンデレだ。殺される。

「い、いつから。こんなこと」

彼女は小首を傾げた後、ややあって意味を汲み取ってくれたらしく口を開いた。

「能力に気づいたのは調理部のころに、ね。部の同級生にやってしまったの。彼は今も入院はしているけどピンピンしているから大丈夫だよ」

「つま、つまりか、解除できるんだろ・・・?」声を絞り出す。

「うん。あたしの手料理以外の食べ物を飲み込めばいいよ」

視線を彼女から外して自由がきく範囲で辺りを見渡す。畜生、このためにだったのか!

「場所はなんていうか、保険だよ。他のものなんて食べさせないもん。そんなことになるくらいならいま握り潰すし」とても楽しそうに言った。

「もう時間ないし教えて。あたししかいないとこであたしのつくるものだけを食べるか、いまそのまんまの意味であたしの手で死んでしまうか」

こうなったらやるしかないか・・・

「わかった。キスしよう」努めて表情を変えないように言う。

「へ」

対して彼女はみるみるうちに赤くなる。

「ぐっ、はあっ」とうとう吐血した。手に力が入ったのか。

「まった。ち、力入ってる! 入ってるから!」はっとした彼女は思わず手を前に出しもう少しで完全にグーになるところまでいった右手をパーにした。

「お前に監禁されるのはいやだ。じゃあ死ぬしかないだろ・・・。どうせ死ぬなら最後にそういうことしてもいいだろ・・・。だめか・・・?」

「え、ええいやあの、はい」

「おれはこれ以上動けないから頼むよ」圧迫感はさっきと比べてずいぶん解消されたが痛みは一切ひかない。

「わ、わかった」しゃがんで真っ赤にした顔をおそるおそる近づけてくれる。こうなってしまうのはとても残念だ。

 唇が重なる。どうやら緊張しているらしく震えが伝わってくる。いや、おれが震えているのか。胃痙攣? 遠くで予鈴の音が聴こえた気がした。すこし経って彼女の唇に舌を当てるとわずかに開いて受け入れてくれた。本来であれば恋人の刺激的なイベントだろうがいまのおれはそれどころではなかった。頭の中は痛みでいっぱいだった。ぐっと耐え左手で虚を掴む。

「がっはっっ、あっ」

吐血した。だ液だけでなくおれの血液と彼女の血液が一緒になる。おれのほうから唇をはなす。薄い紅色の糸引き。

 彼女はそのまま崩れ落ちた。手の甲で唇を拭き立ち上がる。だいぶ回復できたようだ。

 おれは〝心臓ハートを掴む〟ことができる。条件は対象が異性かつどちらかの舌が相手の粘膜に触れること。解除の仕方は・・・当然知らない。

この異性っていうのがこのご時世でかなり時代錯誤も甚だしい。

 彼女はもう完全に動かない。握り潰してしまった。

「殺してしまったな」

不思議なことに涙は出てこなかった。息を正しながらどうするか考えようとするがなかなか考えがまとまらない。こんな力を持ってはいるが人を殺したことはこれが初めてでなんならファーストキスもこれが初めてだった。とんでもないな、これ。

「おい! そこでなにしてる!」

振り向くと体育教師がいた。目が合ってしまう。教師はずんずん近づいてくる。

「こんなところで白昼堂々不純異性交遊か!」

そう言っておれの胸倉を掴んで視線を彼女に移す。

「な⁉」血を見たのかおれの胸倉をはなし彼女に近づく。

「死んでる・・・」

これはどういうことだ、と訊いてきた。口調は努めて冷静だった。

「なにがあったんだ」おれの横に立ち両肩に手を置きおれを軽く揺らす。諭すように言ってきた。ふと涙がこぼれる。

「お、おれがっああ・・・!」

「詳しいことは向こうで聴くから」肩を軽く叩いてくる。

「あ、あれ・・・」

視界がぼやける。涙のせいじゃない。こ、これは・・・?

 刹那、急なめまいに襲われる。思わず座り込んでしまう。

「効いてきたか」

教師の声が聴こえる。だが、さっきより遠い。どこか強制力を感じる声だ。

 とうとう横になってしまう。ものすごく気持ち悪い。視界に影がかかる。焦点が合わないがおそらく教師の頭だ。

「成功だな。これはお前がしたのか?」

彼女がいる方を指さした。死人を指で指すなんて失礼な人だな、と思いながらも頷く。あれ、なんで失礼なんだ? 当然じゃないか。

「これで二人目か。〝心を掴んだ〟のは」

はははははははははははははははっ! どこからか笑い声が聴こえる。異様に眩しく感じ目を閉じてしまう。なんだか意識が遠のく。

 

――以後おれが覚醒することはなかった。

                                             了

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掴む 柿. @jd2020

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