最終節終項「わかものたちとりゅう」

 ――突然の手紙という非礼を許してほしい。


 たぶん、これから記す内容はきみにとって全く関わりの無いことだと思うかもしれない。だけどようやく戦線が安定し、そちらへ手紙を送れるようになったのと、俺自身の整理がついて、やっと書き留められるようになった。ただの身勝手だし、困らせるだけだと判っていても、どうしても伝えたい事があったんだ。



 ファスリア皇国とデトラニア共和国の全面戦争が始まってから五年、アラウスベリア全土の各国は概ね両陣営に収まり、大陸を二分する戦火は日に日に広がっている。


 結局、ファスリア、デトラニア共に第四龍礁への進駐は果たせなかった。というよりも龍脈を失った第四龍礁に戦略的、資源的価値は無きに等しかったし、龍礁事変の直後に勃発した第二次クレーヴランド会戦でそれどころではなくなったのだろう。


 ロンカサートもデトラニアの度重なる攻撃を受けていると聞いたが、音に聞こえた君主、デルアリューヴ公の活躍と大国相手に引けを取らない防衛戦略は、ここファスリアでも語り草になっている。彼がいる限りひとまずは安泰だろう。俺も安心していられるよ。


 『あの時』、一基を残して楊空艦隊を失ったデトラニア軍の戦力低下は著しく、もしあの空軍戦力が健在ならこの戦争はあっと言う間に決着していただろう。第四龍礁の制圧に失敗した上、直ちに展開したファスリア皇国軍の反撃を受けたデトラニアは、楊空艦の運用に不可欠な龍族素材を確保できず、結局地上戦主体での戦いを余儀なくされた。


 この戦争を泥沼化させ、アラウスベリア全土に戦禍をもたらしたのは、実は俺たちなのかもしれない。しかしあの時楊空艦隊を壊滅させていなければ、デトラニアは先ずファスリアを蹂躙し、そして他国も亡ぼしていたかもしれない。


 あの日、第四龍礁で起きたことはジャフレアム――というよりもファスリア法皇庁から口外を硬く禁じられている。勿論、俺も吹聴する気はない。第四龍礁の終焉に現れた者の正体が知れ渡れば、アラウスベリアの多くの国が準ずるアトリア教そのものの根幹が揺るいでしまいかねないから。


 しかし、どんなに隠そうとも、龍礁事変の影響は既に出始めている。

 解き放たれた龍脈と龍たちの力は、アラウスベリアそのものにも変革を起こした。


 あの日以降、各地で新たな法術式が次々と発現し、これまでの法術理論が悉く覆されている。それは直ちに戦場で応用され、日々一進一退を繰り返す両国の戦況図をいとも簡単に塗り替える程のもの。それ故に戦線は更に混迷を極め、停戦の兆しすら見えない状態が続いている。

 

 更に重要なのは、先天的にある種の法術を履行する能力を備える子供たちが産まれ始めていること。それは龍礁監視隊員レンジャーの資質に近いようにも思う。


 見えないものを観て、聞こえないものを聴く。誰にも教わらなくても自然と跳ね駆ける術を識る。そんな子供たち。世界に新しい価値観を見出せる彼等が成長したとき、きっとこの世界を良い方向へ導いてくれると、俺は信じる。


 ……長くなって本当にごめん。語りたいことが多すぎて、上手くまとめられなかったんだ。


 俺は今、法皇庁直属の魔導資源管理局の事務職員として働いている。言い方は悪いけど、ジャフレアムとのコネのおかげ。タファールの言う通りだったよ。仲良くしておいて助かった。あいつはみるみる昇進して今では魔資管最年少の部長。人事権を悪用してくれたおかげで、脚を悪くした俺でも人並の給金で働けている。


 仕事は特に忙しい訳じゃないけど、車椅子での移動は大変だ。あまり設備も整ってないし、いちいち階段の上り下りで手間と時間を掛ける俺を、同僚たちは煙たがっているのも判ってる。最近はもう最初から居ない者として目も合わせてくれない。幽霊ってこんな気分なんだろうな。俺の足がどんなに凄い奇跡を起こしたのかを教えてやりたいよ。信じないだろうけど。言ったら足だけじゃなく頭をやられたと思われるだけだよな。それもある意味正しいけど。


 マリウレーダ隊の仲間で、今でも親交があるのはジャフレアムだけだ。


 ピアスン船長とは、きみと同じ様に南部港湾基地で別れたきり。多分自国に戻って奥さんたちと船釣りを楽しんでるんじゃないかな。

 レッタとエフェルトは半ば亡命に近い形でファスリアに入国した。レッタはファスリア大工廠のスカウトを受けて、噂ではファスリアが接収した楊空艇ラムタエリュトを基に、全く新しい楊空艇の建造計画に絡んでいたとかいう話だったけど、ある日突然辞退して、故郷のムーベリアに帰ってしまった。まあレッタのことだからどうせ、上司と大喧嘩して飛び出してったんだろうな。一度だけ短い手紙が来たよ。今はムーベリアの学院で工学を教えてるらしい。絶対に生徒を泣かせてる。


 エフェルトは……ある時までファスリアの港街、黒都で飲んだくれてたみたいだけど、いつの間にか消えていた。大丈夫なのかなアイツ。色んなとこでお尋ね者になってるんじゃなかったっけ。今のアイツなら大抵の追っ手に勝てるだろうし心配しなくてもいいか。


 そうそう、もう一つ大事な話があった。ジャフレアムは結婚した!

 相手はやっと十六になった許嫁、クレオメーユちゃん。結婚式には行けなかったけど、一度会った事がある。黒髪の可愛い子だったよ。もうおめでたらしい。あの二人の子供なら相当な美形になりそうだ。



 第四龍礁の仲間たちも、その多くがそれぞれ、自国に帰っていった。デユーズ副局長は龍礁管理局の復活を目指して政治活動を続けているみたいだけど、どの国も今は戦争で忙しい。他にも受付のマリーや、給仕のおばちゃんや……皆、友達だった。元気にしてるといいな。


 ……友達と言えば、昨夜、古い友人が戦死したとの報せがあった。ジョシュ=パウル。ファスリア皇国騎士団へ入団した学友で、卒業した後は一回も会ってなかった。あいつが死んだと聞いて、あいつとの最後の思い出の光景が浮かんだ。酒場でのどんちゃん騒ぎ……俺にもし画才があるなら描き留めただろうと思う光景の一つだ。


 第四龍礁で龍礁監視隊員レンジャーとして過ごした日々は、一日一日がそんな光景で溢れていた。流石に全部は思い出せないけどね。


 話が前後するけど、きみに手紙を送ろうと思ったのは、ジョシュの死で思う所があったことともう一つ。仕事の合間に少しずつ書き進めていた絵本が出版されることになったからだ。題名は『わかものとりゅう』。第四龍礁での出来事を外に漏らす訳にはいかなくても、それでも、あの日々で得たものを、どんな形であれ、どうしてもえがいて遺しておきたかった。


 それを手紙と共に贈る。お子さんは三歳かな?そろそろ文字も読める頃だろうし、読み聞かせてあげてほしい。パシズの様に。


 そう、パシズ=バルア。懐かしい名。

 俺たちにとって、父親以上に父親だった男。

 思い出すのは、いつも仁王立って腕を組んでいる立ち姿。


 今なら、パシズが抱えていたものを理解できる。

 誰から愛されても、誰かへの愛が届けられないことが一番哀しくて、辛い。


 人は、何かを愛さなければ生きていけないんだ。


 だからパシズは第四龍礁を愛さなければならなかった。

 

 皆、何かを愛していた。

 きみは龍を。

 船長は船を、ジャフレアムは法を。レッタは楊空艇を。

 エフェルトは良く知らないけど、タファールだって演じることを愛してたとも言える。 

 

 だから俺も、自分を確かめる為に、そうしなければいけなかった。

 だけどそれはもう、思い出の中にしかない。


 共に駆けた沃野の緑の匂いも。

 共に見上げた空の青さも。

 共に迷った森の騒がしさも。


 その全部に、いつでも俺の先を行くきみの背中が映ってる。

 そしていつでも、その風景には龍たちが居た。


 

 龍礁に関わった者は、多かれ少なかれ龍というものに触れた。龍と対峙して戦ったり守ったり、時には殺し、追ったり追われたり。そして直に龍と対峙しなくとも、その素材を扱ったり、研究したり。皆がそれぞれの形で龍というものの一部に触れてきた。


 それは多分、この絵本を読んで、ほんの少しでも心に触れた人の中にも宿る。且つてのきみがそうだったように。俺達がそれを信じたり、恐れたり、愛せば、そこにまた新しい龍は産まれる。世界を描ける。そうであってほしいと、心の底から願う。



 そしてそれ以上に、きみときみの家族の無事と幸せを、心から祈ってる。

 きみが見上げる空と同じ空の下で。

 


 あの日、きちんと告げられなかった別れを込めて。 

                  

          "おてんばミリィ"ミルエルトヴェーン=Y=ローエン夫人へ

                     ティムズ=イーストオウル                     

                   


 ―――――――――――――――――――――――――  



 ティムズは、何度も書こうして諦めてきた手紙を、ようやく書き終えた。


 それを送るには、それ相応の理由と勇気が必要だった。

 記した内容に嘘はない。

 が嘘だというなら、それも正しい。

 

 深く、溜息をつく。


 本当にこれで良かったのか、自問自答する。

 もっと書くべきことがあったのではないか。

 伝えなくてもいいことを書いてはいないか。


 ただ、本心で紡いだもの。

 それでいいはずだ。

 何処かでケリをつけなければならないとしたら、きっと今だ。

 そうだろ?




 車椅子を下げ、書斎の窓から臨むファスリア央都の遠景を、そして秋空の青さを観る。

 郊外の少し高まった地区にある古い家屋で暮らし始めてから二年。とても快適な棲み処とは言えないが、空が広く見えるという理由だけで選んだ。


 薄暗い部屋には、文机と粗末な本棚以外に、余分な調度品は置けなかった。木製の車椅子での行き来の邪魔だからで、窓額に名も知れぬ花の鉢植えを置くのが、この殺風景の、せめてもの賑やかしだ。


 涼しくなってきた風を楽しむために開け放していた窓から、秋が吹き込んで来る。

 風は薄青のカーテンを撫でて、そして文机に乱雑に置かれた紙の束を散らした。


 折り重なった紙の間から顔を覗かせた原稿用紙の一枚に、目を留める。



 『わかものとりゅう』は、末文が続くはずだった。


 それは編集者の「子供相手にそんな難しい話をしても通じないよ。バッドエンドの方がインパクトがあるしウケるって」という心無い意見で添削され、日の目を見る機会がないものだった。


 偶然知り合った彼に、ティムズの方から多少の無理を言って出版にこぎつけた以上、文句は言えない。


 ティムズはその顛末を思い出し、ふと笑うと、書き終えたばかりの手紙を便箋に収め、封をして。「今日は疲れた。ここまでにしておこう」と、散らかった文机をそのままにして、部屋を去った。



 ―――――――――――――――――――――――――――――――



 文机に置かれたままの原稿用紙の末尾には、こう記されている。




 ――こうして、人間達は、お互いを殺し合う呪いをかけられてしまったのです。



 だけど、それは、お互いを愛し合うという呪いでもあり、祝福でもありました。


 りゅうを殺すように命じた村の男は、娘のことをとてもとても愛していました。

 愛していたからこそ、娘のために、りゅうを殺さねばならなかったのです。



 人は、人であることの道を歩み始めたその時からずっと。

 何か、を愛さずには生きられない憐れな生き物でした。


 愛するからこそ、争い、奪い、憎み合わずにはいられません。

 その愛を、心の中に留めたままにはしておけません。

 


 そして、これからも、そうやって生きていくしかないのです。








          

          第四龍礁テイマーズテイル

        

      最終節『愛さなければ生きられない、ヒトたちへ』

                   

                    了

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