第八節22項「勝者の墓標」
北部山岳基地の死力を尽くした防空火術砲は、複数の翼を駆使して高速且つ自由自在に飛ぶリガーレ・ヤオナの機動力を確実に削いでいった。
体躯の三倍はあろうかという複翼の一つを破壊されたことで、亜音速での飛翔能力を失ったリガーレ・ヤオナもまた、退路を断たれた者となる。
空を満たす弾幕を厭い、空中で身体を捩ったかと思うと、それまでの相手だった楊空艇を無視して古城目掛けて飛び掛かり、憤怒に任せて術牙と術爪を振るった。
癇癪を起こした子供のように地響きを轟かせて暴れ狂う龍に、眉間に皺を寄せるリタエラにネフトが振り返る。
「火術砲を潰すつもりかい……!?」
「船長、今の内に
「いいや、ここで押す!全砲門最大出力、地上目標に収束固定!デカいのをお見舞いするよ!」
「だけど、基地がっ……皆はどうするんですか!」
「動きを止めた今がチャンスだ。マリウレーダでさえも逃げられた相手。ヤツを仕留められるのならやるしかないっ!」
楊空艇アダーカは、基地施設を叩き崩さんと荒れ狂うリガーレ・ヤオナへ、そしてアダーカ隊の第二の故郷とも言える北部基地へと砲光を撃ち下ろした。静的目標に絶大な効果を発揮する収束光術砲が、古城の麓に広がる城塞ごと、敵龍に叩き込まれていく。
降り注ぐ光弾を浴びるリガーレ・ヤオナは拷問を受けているかのような、おぞましい苦悶の呻きを上げて城塞へと倒れこむ。激しい震動と地響き。ここぞとばかりの追撃と、更にまだ数基が残る基地の火術砲が集中し、その肉体は爆ぜ、削がれていった。
「いける……!そのままやってしまえっ!!」
息を切らしたゼェフが、城壁の向こう側で吹き荒れる光弾の嵐に目を奪われる。しかしそれは隙を生み、射線を掻い潜った一体のアロロ・ファナトの突破を許してしまった。
「……!」後方の無力な生存者たちは、身を竦ませた。アロロ・ファナトが目掛けるのは幼子を強く抱き締めた母親。それをまとめて噛み千切り、引き裂くのが、この邪龍にとっての糧で、歓び。
しかし次の瞬間、眩い閃光と共に、術弩よりも数段強力な光矢が、その頭部と胸を貫き、吹き飛ばした。
「!」どうっと音を立てて地に落ちたアロロ・ファナトの肉体が崩れ去る。
霊基の尽きた術弩の代わりに、術弓を開いたアルハが息を荒げていた。
「馬鹿なことを、その術は負担が――」
「っ……そんな事はどうでもいいっ……。次が来ますッ!」
あれだけ止めたのに、というゼェフに叫び返しながらアルハが次の術矢を番えるが、激しく咳込んだ。先日の最高位化による後遺症は、人間の魂を形作る霊基構造自体に傷を与えている。例え威力を抑えた射撃様式でもその負荷は身体を蝕み、激痛を伴うものだった。
そんなアルハを気遣う暇もなく、砲光に悶えるリガーレ・ヤオナの慟哭を共有して一斉に咆哮を上げたアロロ・ファナトたちが、遮二無二に飛び込んで来た。
構え直したゼェフとアルハは共に迎撃を再開する。だが、苦痛と憎悪に呼応した狂信者たちのなりふり構わない捨て身の攻撃に、防衛線を押し込まれる二人と生存者たちは徐々に後退し、宙へ突き出した桟橋の
「再装填!これで私の矢符も最後だ」
ゼェフが交換した術符を投げ捨てて舌打ちをした時、術弓を構えていたアルハが突然に呻き、蹲る。
「!……ぐッ、うっ……!」
その両腕からは、ぼたぼたと血が滴り落ちている。
術弓を無理に使ったことで、腕が裂け始めていたのだ。
「アルハっ!」
ロロ・ファナトたちの猛襲は振り返ることすら許してくれず、ゼェフはひたすら前を向いて撃ち続ける。二人掛かりでようやく押し返せていた包囲が更に狭まり、ただ一人では、同時に襲い来る十数体を凌ぎきれそうにはなかった。
焦りとは裏腹に、ゼェフの頭は冷静で、身体に通う血も冷えていく。これは『詰み』だ。張り巡らされた物量の先手。退路も力も尽きた現状を覆えせる手札は—―。
「――皆、伏せろ!!」
諦めかけたゼェフの眼に、急速に降下してくる真珠色の楊空艇の姿が映った。
「きゃああっ!?」「うわあぁっ!!」
「……ッ!」
その場に居る全員の頭上を掠めた楊空艇アダーカが飛び抜けざまに砲火を叩き込み、一斉に迫ってきていたロロ・ファナトは爆炎と光の壁に吞まれ、塵と消えてゆく。
その雄姿は、いっときの絶望に吞まれたゼェフにとっては、まさに天から舞い降りた使者の
「……ありがとう、アダーカ。真珠色の天使」
『ゼェフ!接岸する。乗船の準備をしな』
開いた伝信から、女船長の落ち着いた声がした。地上の危機を察知した彼女らは判断を覆し、生き残りの救出に動いたのだ。
『あんた達を見捨てて勝っても意味がないからね。四の五の言わずに乗りな!』
残りのロロ・ファナトを制圧砲火で退けつつ、桟橋に取り付いた楊空艇アダーカの貨物室に生存者たちが乗り込んでいく。
細い渡し板から一歩踏み外せば山腹へと真っ逆さまだが、悠長にもしていられない。少人数ずつ慎重に、しかし出来るだけ早急に。
「さあ、アルハ。私たちも」
「……はい」
最後までそれを助け、桟橋に残っていたゼェフが、腕を抑えるアルハを支えて搭乗しようとした時、古城の方から巨大な黒光が放たれ、波紋と衝撃が広がった。
黒い雪の様に舞った粒子が渦を描き、一点に集っていく。
その螺旋の終着点に居るのは、破壊された城塞の霊基機構を吸収し、更に禍々しい変貌を遂げようとしているリガーレ・ヤオナ。
復元していく術翼ををあらん限りに広げながら立ち上がると、深紅の術光
すんでの所で離陸したアダーカだったが、多層の防御結界を一瞬で破られ、機体側面に直撃を受けた。外殻装甲版と翼の一部が一気に吹き飛ばされた機体は大きく揺らぎ、致命的なエラーメッセージの洪水が乱れるブリッジは混乱する。
「今のはリガーレ・ヤオナからか!?」
「……っの野郎、火術砲も再構築しやがった!」
リガーレ・ヤオナは勝利の快哉を上げ、再び膨大な術砲式を展開した。動きの鈍った楊空艇アダーカへの止めを刺す一撃は、然して、基地に僅かに残った切れ切れの火術砲で阻止される。
窮余の火砲を浴びてぐらついたリガーレ・ヤオナの首が、古城の最上部へぐるりと振り返った。
『……アダーカ。こっちで引き付けている間に離脱してくれ』
法術機構を制御する管制室の所在を察知されたカルツからの伝信は、限りなく冷静だった。
「何を言ってるんだい、おめおめと逃げられるか。今のヤツを放置すればそれこそ一巻の終わりだよ!」
『いいから、行けって』
「……まさか。いけない。もしかしたら、カルツは」
逼迫のさなか、達観したような冷静で穏やかなその口調に、激しい揺れと痛みに呻いてたアルハは、自分を片腕で抱くゼェフの顔を見上げた。貨物室はぎゅうぎゅう詰めで、身動きもままならない。
「先輩、カルツは基地ごとあいつを吹き飛ばすつもりです!」
「……最初からそのつもりだったのか」ゼェフは目を瞑った。
「バカか!何を英雄気取りで!」
「このツンツン頭!その髪、脳までぶっ刺さってんのか!」
アダーカの面々が口々に制止を叫ぶが、尚も平静なカルツはむしろその反応を面白がっている様子でもあった。
『止めようとしてくれるなよ、愛されてんのは有難いけどな』
『ちまちま削り合っていてもどんどん手に負えなくなっていくだけだ。クソでけぇ霊基放出で一気に片をつける。術符系の扱いなら俺が一番ってとこを見せてやんよ』
『異論は無し。アイツが向かってきてる。何にせよ北部基地はもう機能しない。引き換えにこいつを葬れるなら釣りが出るってもんさ』
『時間はねえぞ。行け、アダーカ!』
カルツの言葉通り、リガーレ・ヤオナは最後の火術砲とその制御を担う大元を破壊しようと、古城に爪を立ててよじ登っていく。楊空艇の体勢を立て直して再射撃する猶予はなく、撃てたとしてもカルツの居る管制室を巻き込む。
「……………」
「ババア。あのバカは、意地を見せるっつってんだ。命令しろ、あんたの仕事だろ!」
拳をぶるぶると震わせて、愕然としているリタエラに、ナココが声を振り絞る。
数舜を置いて、リタエラは努めて冷静に、命令を下し。
「……戦域より離脱。北部基地から出来るだけ離れる。出来るね?あんた達……」
「…………」「はい」
顔を青褪めさせた操舵士たちは、感情を切り捨てて、乱れた操舵式を立て直す事に集中し、楊空艇を空の向こう側へと送る。
―――――――――――
「おーおー、必死になっちゃって。そんなに俺の嫌がらせが気に入ったのかな?」
既に殆どの防衛機構を突破され、無力化されつつある管制室は迫る震動と崩落音に包まれて。カルツは最後の決め手を使う瞬間を、待っていた。
カルツは管制室に向かう傍ら、要所の霊基機構の中枢に光爆閃術符を仕掛けていた。対龍防空兵装や
それはもう間も無くだ。途切れがちな術式の表示が、なんとか機体を持ち直したアダーカがゆっくりと空域から離れていくことを示している。
「……こんな時、何かを語るべきかな」
カルツは点滅する光点を見つめてぽつりと呟いた。
今、巡るのは仲間たちとの思い出だけだった。一人一人の顔と、共に闘って駆け巡った日々が、色と音と匂いとなって蘇る。しかしその殆どはもう、殆どは今迫りくる邪龍とその尖兵によって潰えた。
出来ることならこうして、いつまででも浸っていたい。
そう願っても、数秒後に最後の防壁は破られる。
「……じゃあな、ナココ。ちったあ女らしく愛嬌良く笑えるようになれよ」
立ち尽くしていたカルツは最後に思い浮かべたひとへの言葉を囁いて、手に開いた術式を握り潰した。
―――――――――――――――――――――――――――
光。
基地全体から立ち上った幾つもの光筋が、やがて嵐に砕けて逆巻くような光の海となり、古城の最上部を吹き飛ばそうと術砲を開いたリガーレ・ヤオナを呑み込んだ。
天を貫く程の太く巨大な光柱が立ち昇り、北部基地、そして岩山と、全てを巻き込んで蒸発させながら、まばゆい白光が広がっていく。
「……っ!」
際限なく、膨大に広がる術式が空一面を満たし、その爆光に煽られる楊空艇アダーカの機体は揺さ振られ。クルーと生き残りたちはただひたすらに身を守ろうと伏せ、お互いに、誰かに、何かに、しがみ付いていた。
祀龍の四柱のひとつ、リガーレ・ヤオナは北部山岳基地とその守護者たち、そして一人の男の犠牲と引き換えに、消滅した。
それは、名も知れぬ雑兵たちの覚悟と命が打ち立てた、光の墓標。
―――――――――――――――――――――――
「――追撃はありません。アロロ・ファナトも殆どが巻き込まれて……あいつらも『ヤツに殉じた』と言っても良いんですかね」
爆光が止み、表示が戻ってきた各種観測式を手繰るネフトが呟いた。
「このまま本部へ帰投するよ。とにかく先ず、皆を安全な場所まで連れて行く」
俯いたままのリタエラが静かに応えると、貨物室から上がってきたゼェフとアルハが呆然とした面持ちでブリッジに現れた。二人とも憔悴し、魂が抜けたようにブリッジを見回す。
リタエラとナココは肩を落とし、それを振り返りもしなかった。特にナココは肩を震わせて、嗚咽を噛み殺している。
「ゼェフ!お袋は――」
「――……」
ぱっと立ち上がったネフトに、ゼェフはただ、静かに首を振った。
ネフトは崩れ落ちる様に椅子に沈み、放心しながら天井を暫く見つめ、それから顔をくしゃくしゃにした。「……ッ!!」
飛翔音の中に、くぐもった嗚咽だけが忍ぶ。だが誰も、差し伸べる手も言葉も持ち得ない。全員がそれぞれ近しい者を失い、もうぶつける相手の居ない後悔と怒りの中に沈んでいた。
『二十人しか救えなかった』のではなく『二十人も救えた』と誇れれば、どんなに気が楽だろう。あの惨禍から全滅を免れて、生き残りを誰一人欠かさずに救出し、更にリガーレ・ヤオナを抹殺したことは奇跡に近い御業だった。
だがそれも結果論に過ぎない。彼等にとって、失ったものは余りにも大きく。
そして何より、これからのリガーレ級との戦いもまた、犠牲が避けられないものとなるという予感に打ちのめされたのだった。
失意をどうにか挫き、楊空艇アダーカは本部への
――――――――――――――――
第四龍礁全域に及んでいる戦線は甚だ広く、錯綜する状況を把握する事は誰にとっても困難。北部基地の消滅の報を受けた第四龍礁は更なる混乱に陥り、善後策も見出せぬまま、全面的な撤退戦を続けていた。
かつてのロロ・アロロとの夜戦とは比べ物にならない程の規模、範囲。そしてリガーレ級と眷属の遊撃は悉く防衛線を破断し、本隊を失った
そしてそれはヒトだけに在らず、戦う力を持たない龍たちも同様であった。
漆黒の旋風の様に渦を巻くリガーレ級と眷属の
「――この先は緑象龍の群生地だぞ!このまま侵攻を許せば今まで以上の犠牲が出る!出来る限り数を減らすんだッ!」
身命を捧げて追撃を食い止めようとする
だが、彼等は後方に群れるアロロ・ファナトの壁を殴り散らしながら、一際巨大なリガーレ級が疾走して来る姿を見た。
ヤヌメットに近しかったリガーレ級『セノン』の体躯は、更に凶悪に変貌していた。体高十エルタほどで、小さい頭部はそのままに。背と肩が異様に発達して膨れ上がっており、貧弱な足腰に反比例した、力漲る前腕に走駆の殆どを頼っている。
群れなすアロロ・ファナトたちをただの邪魔者扱い。薙ぎ倒し、吹っ飛ばし、叩き潰しながら
そして更に、その首の付け根から、もう一つの醜悪な『あたま』が生えつつある。どんな龍を捕食したかまでは定かではないが、ありとあらゆるものを捕食して我が物とする悍ましい生態を持つこの龍が、多くの『
力の差は歴然だった。しかし
単騎で突っ込んで来た猛龍に半数近くを即滅された時、側方の森から一つの白い影が飛び出してきた。
「……ヤヌメット!」
恐らくは賢狒龍の中でも最大級の成体が、猛然とリガーレ・セノンに体当たりを仕掛け、背から術式で構築した『腕』(術椀)を用いて戦い始める。
が。既に中級のF/III龍を凌駕する力を得たリガーレ・セノンの拳は、一撃でヤヌメットの頭部を粉砕し。
そして、斃れた身体を、喰い始めた。
「………ばかな……」
その身体がまた新たに変異していく。
凶行に為す
そして。
暴虐に全てを支配されたこの
外殻装甲の殆どをパージし、最大戦速を発揮した楊空艇マリウレーダが到達したのは、まさにその瞬間だった。
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