第八節『欺劇再幕』

第八節1項「ムーン・リバー」

 半島の最東端のレベルA領域を隔てる、『中央断絶線』と呼ばれる一帯には、高さ千エルタを超える断崖に切り裂かれた都市が、いくつもの高さ、区画に分散して広がっている。それはまるで巨大な段々畑の様であり、人々の侵入を阻む断崖が建物の様に立ち並ぶ、龍たちにとっての『みやこ』であった。


 その点在する都市跡の区画を一つずつ確保し、徐々に奥地へと。高みへと。


 登山者が高峰の天辺を目指すが如く、経路を見定め、拠点を確かにし、首都深央へ到達する道を探るマリウレーダ隊の『第一回』の調査飛行は、特に大きな事件もなく、順調な出足を示していた。


 事前の調査で判明していた断崖北部の崩れた地点を越え、レベルA領域の外縁へと侵入したマリウレーダ隊は、前人未到の未知なる領域を慎重に進む。


 ―――――――――――――――――――――――――――


 廃墟と化した都市を頂く、幾つもの台山は、その眼下に広がる層雲の海に浮かぶ島々の如く。

 

 その中の一つ、標高八百エルタ程の都市廃墟の郊外に辿り着いた楊空艇マリウレーダは一時的に着陸し、ティムズたちは、マリウレーダを新たな高度帯へ進める為の作業に赴くところだった。


「――付近に高位の龍の反応はないけど、一応気を付けるのよ」

「ええ。三十分くらいで戻れると思う。パシズが起きたらそう伝えておいて」

「判った。それじゃ……”デート”を楽しんでおいで」

「……そんなんじゃないって何度も言わせないでよ。仕事なんだから」


「ミリィ、何やってんだよ。早く行こう。霧が濃くなりそうだ」

「う、うん……今行く。じゃ、またあとでね」


 出発を待つティムズに聴こえない様に、小声でからかうレッタを軽く睨みつけたミリィは、先行したティムズを追って跳ね駆け出した。


「……まったく」

 マリウレーダの昇降口で腕組み立ち、二人を見送ったレッタは溜息をつく。


「どっちもどっちよねえ……遠慮というか照れというか。下手にけしかけても意地を張るだけだしな」


 レッタの目から見ても、先日の『ダンスパーティー』で二人の距離がぐっと縮まったのは明らかに思えた。しかし、それ以上にどうこうなった気配はない。色々と気を遣っているのも判るが、お互いに良い歳なんだからもう認めてしまえば良いのに。


「ねえ?マリウレーダ。あんたもそう思うわよねー」


 二人の姿が霧の中に消えたのを見届けたレッタは、休憩中の楊空艇を見上げた。



 ―――――――――――――――――


 航路座標ウェイポイントの設定に用いる術符を仕込んだ石杭を携え、中央の都市部へと駆けていくティムズとミリィ。


 断裂した都市が広がる台山の周囲には、更に途轍もなく巨大な断崖が切り立ち、その間に満ちる白雲が流れていく。


 これまで第四龍礁で目にしてきたどんな光景よりも、現実味のない絶景だった。

 

 真冬の高地にも関わらず、辺りには高山植物らしい小さな花に彩られた草地が広がっており、夢の一場面の様な感覚すら与える。深緑に溢れた龍礁の森林も見事だったが、儚く淡い緑に満たされたこの地もまた美しい。


 大いなる破壊が造り上げた荘厳な地形に、ティムズとミリィは目を奪われがちになりつつも、航路座標ウェイポイントの設置に適したポイントを探す事に集中する。


「ティムズ、手分けしようか。私は南を回る。都市東端で合流。五分後ね」

「ああ、五分後。了解」


 気軽な調子で別れを告げた二人は、軽やかに建物の屋上へ跳ね登っていった。


 ――――――――――――


「よっ、っと……!これで良し」


 都市の外れの、少し高くなった城壁の跡らしき石壁の上に、航路座標ウェイポイントの特殊な術符を打ち込むティムズ。


 人の腕ほどの長さの石杭は、測量機構も兼ねている。埋設を終えて起動すると、この台山の高度や座標を示す術式光が展開し、そして閉じた。


 座標符は、楊空艇の探査機構レーダーが放った信号を受けると反応し、航行の補助になる情報を送り返す。その誤差を極力抑える為に、基本的に三点一組で用いられる、楊空艇の為のしるべの一つだった。初めて飛ぶ未知の高度、空域では尚更重要になる。


 この地とも空とも言えない領域には、みちを示すしるべは無きに等しく、自分達自身で、一歩一歩踏みしめた跡をわだちとしていく他ない。



 ティムズが合流地点に向かうと、既に三つ目の航路座標ウェイポイントの設置を終えたミリィが、崩れた壁の上で得意気に立っていた。


「遅いなあ。今日も私の勝ちねっ」

「……余計な事に拘らず、正確な設置に集中しろってパシズに怒られてただろ?」

「じゃ、確認してくる?」

「いいよもう。どうせちゃんとしてるんだろうし」


 ティムズは色々と呆れる。晩餐会以降、ミリィは以前の調子あかるさを取り戻しつつあったが、若干調子に乗る悪癖も共に戻って来ていた。正直、多少の慎ましさを残してくれた方が可愛げもあったのにとも思う事もある。


 そして、今にも崩れそうな薄い石壁の端で高空の風に煽られる姿は、危なっかしくて仕方がない。バランス感覚が良いのは承知しているが、今ミリィが立つ石壁は浮島の端にせり出しており、崩れたり、足を滑らせでもしたら、遥か地表に真っ逆さまだ。


 しかしミリィは気に介さず、周囲に立つ断崖の都の光景をじっくりと見渡して、堪能している。最も良い景色を眺められる場所を見つけられるのも、彼女の才能の一つであるかもしれない。ただ、本当に見ててひやひやするのだ。


「なあ、やっぱ危ないから降り……もういいや」

 言っても無駄だと諦めたティムズも、周囲の絶景を見渡した。


「……しかし、拍子抜けだよな。危険な高位龍が次々と襲ってくるんだとばかり思ってた」

「そうならない様に慎重に経路を設定してるんだし、それが成功してるって事よ。それに、皆が皆、私達を襲う龍ばかりじゃないもの」

「ああ。あんな龍と戦うなんて考えたくもないよ……」


 ティムズとミリィの視線の先の雲海の向こうを、長大な龍の影が泳いでいた。等級がF/IIIに相当するという事だけが判明したが、その姿や生態、能力は全くの不明。目算だけでも全長五百エルタはあると思われ、レベルA領域を支配する龍たちの強大さの片鱗を見せつけていた。


「………」

「………」


 それはそれとして。


「……それじゃ、もどろっか。帰りが遅いと……心配されそうだし」

「……ああ」


 感情を抑えた声で呟いたミリィが、工具の忘れ物がないか軽く確認し、そそくさと帰り支度を始める。


 あくまでも重要な任務の最中。微妙な距離感をもどかしく思うティムズだったが、もしかすると自分だけの一方的な感情であるという可能性もまだ疑っていた。「一回踊ったくらいで勘違いしないでくれる?」などと言われでもしたら相当に凹むだろう。


 ―――――――――――――――――


「マリウレーダ隊との合流は明日の朝になる。それまでに収集したデータの分類を終えてくれ」

「別に良いんじゃないですか、あのキノコ頭なら粗情報をそのまま渡しても、まとめられるでしょ」


 ゼェフの指示に、若干肥満体型の男――楊空艇アダーカの情報統制官、ヘムトが面倒臭そうに応えた。


 マリウレーダ隊の後に進発した楊空艇アダーカは、マリウレーダ隊とは別の侵入経路の確認するため、同じくレベルA領域の外縁を航行しながら、各種情報の収集と統合を進めている。


 操舵室ブリッジに集まった隊員たちは、各々の作業を進めていた。


「いいからやれっての、デブ。だからって堂々とサボって良い訳じゃねえぞ。そんなんだから太る一方なんだ。せめて頭は働かせてカロリーを消費しとけ」

「酷すぎやしませんかそれ?じゃあ頭を働かせるんで、今かじっているその燻製肉、俺にもください。ずるいですよ、あんた達ばっかり」

「あのな?俺たちは龍を相手に外で駆けずり回ってんの。体力つけないとやってられないんだよ。船外の仕事を代わるならくれてやろうじゃないか」


 カルツはわざと美味しそうに龍肉の燻製をかじるのを見せつけ、ぶーぶー文句を言うヘムトを軽くあしらった。



「いつまで無駄口を叩いてるんだい。予想より雲が濃い。ナココ。迂回する航路を再計算しておきな」

「…………(ぼそっ)……」

「ああ?口応えするんじゃないよ。とっととやるんだ」

「(ぼそ)」

「誰がパワハラ若作りおばさんだって!?」


 アダーカ隊の女隊長、リタエラがもう一人の操舵士の若い女性の返答に憤慨した。


 両眼を隠す黒前髪。虫が鳴く程度の細い声で囁くアダーカ隊の操舵士・ナココは、齢二十六。一見大人しそうに見え、実際に口数も少ないが、リタエラ以上に口が悪い。口を開いたが最期、大抵誰かを怒らせる。


 ぎゃーすか騒がしい喧噪の最中、ゼェフは後方の監視窓から外をぼんやりと見つめ立つアルハに目をやった。


 この数か月、伸ばし続けていた紺色の髪は、以前の様に短く、ばっさりと切られている。晩餐会の夜、ティムズとミリィが心を通じ合わせるように踊る一部始終を、フロアの一角で見届けていたアルハの、身を引こうという想いの現れだった。


「アルハ。マリウダータ隊とは明朝に合流して航路情報を交換する予定だけど……『彼等』とは顔を合わせにくいかな?」

 歩み寄ったゼェフに、ぴくりと反応したアルハが、間を置いて問い返す。


「いいえ。……何故そう思うんですか」

「相変わらず誤魔化すのが下手だね。あの二人のことさ」

「……」


 予想通りの反応に、やっぱりね、と笑うゼェフ。強い自制心と冷静さを持つアルハの性格はよく理解している。そして、未だ葛藤を抱えていることも。


「そうやって思い悩めるのも若さ故だね。容易く割り切る事を覚えてしまった大人の身としては羨ましい限りだよ」

「……ぼくは……悩んでなんていません」

「ふ、上手な嘘のつき方を教えないといけないみたいだ」

「先輩には関係のないことです」

「可愛い後輩の悩みを聞いてあげるのも上司の義務さ」


「………」

 俯き、押し黙るアルハ。


「君は、本当はどうしたいと思っているんだい。正直に言えば少しは気が楽になるし、そうするべきだ」

「……いえ、何もありません。これで良いんです」

  

「……そうか。今はそれで納得しておいてあげよう」ゼェフは薄く笑い。


「それじゃあ仕事だ!採集物の仕分けが残っている。カルツ。ヘムトの腹の肉をつまむのはやめてやれ」


 二度手を打ち鳴らしたゼェフが、ヘムトをいじめているカルツを咎めた。



 ――――――――――――――――――――


 ティムズとミリィがマリウレーダに帰還すると、ブリッジに集まったクルー達が活動状況の確認を交わしている最中だった。


「シュハルとイーストオウル、航路座標ウェイポイントの設置を完了しました」

「ご苦労。何か異状は無かったか?」


 船長席に座るピアスンの問いに顔を見合わせたミリィとティムズが応える。


「特には……あ、いえ。例の龍の影をまた目撃しました。しかし、最初に遭遇したものよりは小さく、別の個体かと思われます」


「そうか。追跡されているのなら策を講じなければならなかったが。それはひとまず安心……このまま、無事に首都深奥まで侵入はいれるか」


 壮年の船長の、鬚を弄りながらの言葉を、タファールの声が継ぐ。


「その代わり座標符を予定以上に消費してますよ。あと二カ所ぶんってとこかな」

 

「船長、私からも」手を挙げたレッタが更に続く。


「高空対応の操舵式は完璧に働いてますけど、新規に取り着けた可動翼と制御式の相性が悪く、その……まだ『馴染んでいない』と言えば良いでしょうか。通常航行には問題ありませんが、空戦機動に若干の不備があります」


 そして、最後にパシズが進言した。

「船長、初回の成果としては充分だ。ここは一旦帰投すべきだろう」

 

 ピアスンはパシズを振り返り、怪訝な顔な顔をする。


「それは、まさか例の『こえ』が言うところか?」

「いいや、俺自身の判断だ」

「どうせなら、この場の道を示してくれるものであれば良かったのだがな」

「勘弁してくれ。あれが聞こえる度、頭が割れそうになるんだ……それに、曖昧な詩のような言葉を繰り返すだけで、俺には理解できない」

「宣託とは得てしてそういうものだ」


 パシズが度々聴く謎の声の正体は未だに掴めないまま。

 重要な局面で、何らかの示唆を現すものではあったが、都合の良い情報を与えてくれるものでもなく、大抵はパシズの頭を痛めるだけの場合が殆どだった。


「得体の知れない声より、確かにある現物を信じるべきじゃないすかね?」

 にやつくタファール。その目線はブリッジ中央に広げられた地図に向けられている。


「うむ。古地図が正しければ、次の『峠』に辿り着ければ、断絶線の尾根を越える足掛かりとなる基点にできるだろう。物資も残り少ない。次の目標への座標設置を終えたのち、アダーカ隊と合流する」


「了解」ピアスンの決定に頷く一同。


 次の『ステージ』へ進む用意を整えた楊空艇マリウレーダは、前方にそびえる、一際大きく、広い台山へと向けて飛び立った。



 ――――――――――――――――――――――――――――



 執務室でこれまでに以上に山積みになった書類に囲まれ、ジャフレアム=イアレースは憔悴していた。


 徒党を組み、規模を増した密猟兵団の侵入が相次ぎ、膨れ上がった事後処理の件数は激務となって彼の身に降りかかっている。龍礁衛護隊グラウンドフォースは素晴らしい働きを見せているが、対応にも限界がある。


 机に項垂れ、ゆっくりと息を吐く。気をしっかり持たなければそのまま眠ってしまいかねない。滅多になかった事だ。


 激しく扉を叩く音が、霞がかっていた意識を覚醒させた。

「っ……!」


「誰だ?面会の予定があるとは聞いていない――」

 

 返事もなく扉が押し開けられ、法務局の衛兵たちがどやどやと執務室に入ってくると、ジャフレアムの机を取り囲んだ。


「……お前たち……?どうした、何事だ」

 まどろみからまだ完全に頭が回るまでには戻っておらず、眉を吊り上げるジャフレアムに対し、衛兵の長が進み出る。


「ジャフレアム=イアレース上級管理官。龍礁法禁則条項、二条二項により貴殿への拘束命令が出ています。ご同行を」

「何……?」


「任意ではなく、総本部から令状による命令です。拒否するのであれば三項に基づいて連行権限を強制執行します」


「待て、話が見えない。どういう事か説明してもらいたい。二条三項の執行規定には、対象者へ正確な被疑内容を通達する義務があるはずだ」


「………」

 その答えを予期していたかのように、衛兵長が懐から黒封筒を取り出し、中身を開いてジャフレアムへ突きつけた。


「第四龍礁外部への機密事項の漏洩、外縁結界を初めとした侵入防止機構の妨害。及び工作活動などを働いたとして、状況証拠から元密猟者、アカム=タムへの容疑が確定しました。同じく、それを教唆したとして彼と共に密猟を企ていてたエフェルト=ハインを既に拘禁しております」


「そして、彼等を第四龍礁内に引き入れた貴殿にも、同様の嫌疑がかかっている。更にはファスリア皇国の上層部と通じ、第四龍礁をの国のものにしようと企んでいると」


「…………」愕然とするジャフレアム。

 突然の出来事に混乱し、言葉の一つも出ない。


 法務局の衛兵たちは、見知った顔ばかりだ。しかし、龍礁法に従う彼等は、あくまでも事務的な態度を崩さず、冷静にジャフレムを見据えている。そしてジャフレアム自身も法の担い手の一人。実直に応じる他なかった。


「……判った。しかし……」

 額を軽く抑え、立ち上がったジャフレアムが問う。

 

「状況証拠だと言ったな。アカム=タム本人が認めた訳ではないと?」


「いいえ、アカム=タムは現在行方不明です。エフェルト=ハインも完全に否認を続けているので、あなたから直接情報を得たいのですよ」

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