第七節28項「そして、みちゆく若者たちの」

 年が明け、アラウスベリアの暦は一二一八年を迎えた。


 年越しと新年を祝うアトリア教の祝祭期間であるパウルバラ節の終わりと共に、第四龍礁は新たな運営体制に移行し、マリウレーダ隊のレベルA領域への侵入経路を探る旅も始まる。


 過去の地震活動で隆起した断層が幾重にも重なる防壁により隔絶されているレベルA首都深央へ辿り着くには、複雑怪奇な天然の迷宮と化した断崖の合間を抜けなければならず、そこには、聖地を守るかの如く、数多のF/III級の龍種が生息しており、まともに正面から立ち入ろうとすれば、群れ成す最高位の龍たちに、あっと言う間に補足され、撃墜されてしまうだろう。……というか、実際にされかけた。


 楊空艇マリウレーダは、青飛龍から『受け継いだ力』により、比較的低い部分の崖を超える高度を得ることが可能になった為、それらを迂回しつつ龍族との遭遇を極力回避しながら、安全と思われる侵入経路の構築を目指す。


 これが、現時点のマリウレーダ隊の戦略と任務となる。


 それは、これまでの様に外縁結界の綻びからの侵入を企てる密猟者達の行動をそっくりそのまま置き換えたもの。


 彼の地においては、龍礁監視隊員レンジャーたちこそが侵入者なのだ。


 ―――――――――――――――――――――――――――


 仄暗い格納庫に鎮座する楊空艇マリウレーダは、今は静かに眠っているようにも見える。


 しかし、そのブリッジでは、数日後に迫ったレベルAへの出発に備え、レッタが楊空艇の制御を司る術式を開き、その性能の確認に余念が無かった。

 そして、操舵席に座るレッタと共に、なにやらブリッジ後方でごそごそと装備を漁っているミリィの姿。

 


「……はあ。性能が上がったのは良いけど、一層気難しくなったわね、あんた……」

「へっ?」

 目一杯広がる術式に目を通していたレッタが呟き。

 丁度、彼女らに珈琲を差し入れに来たティムズが立ち止まった。


「へ?ああ、あんたじゃないわ。この娘の話」


 レッタはカップを受け取ると、啜りながらまた術式に目を通し、また、うーんと唸った。


 ティムズも、楊空艇の制御に使われる膨大な量の術式を見回すが、相変わらず立体的かつ複雑な霊葉術式コードの渦は、見てるだけで頭痛がしてくるものだった。


「何か手伝えるなら手伝いたいけど、こんなん俺にはどうしようもないしなあ……」

「こうやって美味しい珈琲を入れてくれるだけで充分よ」

「そりゃもうベテランですから。……で、今は何してんの」

「最高高度が上がったからね。高空に対応した操舵式に書き換えてる」


「……それで気になってたんだけど、そもそも何で楊空艇は一定以上の高さしか飛べないの」

「それは、そういうもんだとしか……」

「ちゃんと知っておいた方がいいだろ。きちんと説明してくれよ」


 術式を弄りながら気もそぞろに答えるレッタ。しかし、ティムズはタファールの席に反対向きに座り、背もたれに腕を乗せ、質問態勢を取った。


 何かを聴き出そうとする気満々のタファールと全く同じ姿勢を取るティムズに、レッタは失笑わらう。普段は無礼千万を体現するタファールに被害をあれだけこうむっていても、なんだかんだで、それだけ大きく影響を受けているのだ。


「しゃあないな、珈琲のお礼だ」

 複雑な改式はそれなりに忙しい。

 しかしレッタは手を止め、ティムズへ向き直った。


「楊空艇の推進機関はね、空中に推力を放出するだけじゃないの。龍脈にある何かを捉え、その……なんて言えば良いんだろう。力場に乗っかって進む、みたいな?」

「龍達も基本はそうやって飛んでる。だから翼を用いずに飛ぶ龍種も居るし、大体同じ高度を飛ぶ。翼、もしくはその様に見える器官、はあくまでも、飛翔術式を介在する媒体なだけ、ってわけ」


「なるほど」


「そこまでが前提ね。良い?そして、何故高度が出せないか?それは龍脈を満たす『何か』の密度が一番濃いのが地表の近くだから。例えば、人だって水中では浮いたり潜ったり、泳ぐ事ができるでしょ?あんな感じ……って、あんたは泳げないんだっけ?」


「人並には泳げるよ……滝だの海だの、いきなり放り込まれるから大変なんだ」

「水場では散々な目に遭うわね、あんた」


 その顔に水難の相が出ているとレッタがからかい、ティムズは、話題を戻そうと真剣な表情で呟き返す。


「だから、地形に関係なく広がる龍脈に沿って飛んでいる限り、楊空艇だけじゃなくて龍も山や高所を越えられない?」

「そ。大体の龍種は地上から三百から五百エルタ程度の間が一番飛び易いらしい。学者たちはその高度を龍翔帯りゅうしょうたいって呼んでるみたいね」

「大体……ってことは、やっぱり、中には高く飛べるのも居るのか」

「そう。例えばエヴィタ=ステッチ。あんな風に、高空に対応した飛翔術式を扱う龍なら可能だし……それに……」


 ティムズにだけ聴こえるように、囁くレッタ。


「……(そんな龍から、髄液を移せば、楊空艇もその力の一部を得られる)」

「……(ノシュテ……いや、青飛龍もその能力があったのか)」

「……(ええ。そして恐らく、ロロ・アロロもそれを求めていた)」


 声を落とした二人は、共に背後をちらりと見る。


 その視線の先には、部隊の再編で新たに支給されていた戦衣の着心地に困っているミリィの姿があった。レベルA領域での高位龍との接近遭遇の為に、龍学隊を中心とした研究開発により作られた、龍礁監視隊員レンジャー専用の戦装束いくさしょうぞくである。


 従前のものに比べて軽量で強度もある、採取した龍の体毛などを編み込んだ繊維を多用し、特に急所を守る部分に設えられたラインが、黒い刺繍にも見える。


「ねえ。やっぱりぶかぶかよ、これ。サイズが合ってないと思う……」


 二人の会話は聞こえていなかったようだが、その視線に気付いたミリィが、袖をぐっと伸ばして、ぐるぐると回して見せた。


「平均的な体格に合わせて作られてるからねえ。ちっこいし、あんた」


「……ぼそ(ちっこいのは身長だけじゃないよね)」

「……っ(まーね)」

「聞こえてる。それこそ、ちっこい声で言いなさいよ」


 ティムズが意味深にレッタに耳打ちし、レッタは笑い、ミリィは聞き咎めた。


「まったく……以前にも増して失礼になってない?あんた……まあいいわ。レッタ。早く改式を終わらせてよ。マリーのお墓詣りに行くんでしょ」


 冷たく返すミリィに、ティムズとレッタは顔を見合わせた。


 『あれ』以降、神妙な態度を取り続け、ともすれば塞ぎ込みがちになっていたミリィをなんとか励ましてみようと、二人は努めて軽口を叩くようにしていた。


 しかし、ミリィはもう、今までの様に、無邪気に笑ったり、怒ったり、泣いたりはしない。

 

 そう決めていた。


 ――――――――――――――


「……じゃあ、あとで」

「ああ、マリーに宜しくな」


 作業が終わり、龍礁本部北側の丘にある墓地へと向かうミリィとレッタを見送ったティムズは、ジャフレアムに楊空艇マリウレーダの点検整備の完了を報告しようと、本部施設へと戻る。


「ティムズ!」


 ロビーで不意に呼び止められ、振り返ると、相変わらずの黒キャップの男。


「なあおい、アカムの野郎を見かけなかったか?」

「あの天パ?さあ。見てないな」

「最近とんと姿を見せねーんだよ。いくら色んなとこで雑用させられてるからって、部屋にも戻れねーほどこき使われるとも思えねえんだよな」

「彼女でも出来たんじゃねえの?」

「それはねーよ。筋金入りのマザコンだぞ……ま、とにかく、探すのを手伝ってくれよ」

「ええ~……面倒臭いな……」(それに、報告に行く途中なんだ)

「本音と建前が逆だぞこの野郎」

「わざとだよ」

「お前がミリィを探したり、アルハがお前等を探すのを散々手伝ってやっただろうが」


 それを言われると立場が弱い。一応は命を救われた借りがあるティムズは、仕方なくエフェルトに付き合い、龍礁内部を訪ね回るが、アカム=タムの所在は不明だった。


「――あれだよ。外縁結界の保守隊の荷物持ちをしてるんじゃないかな。俺も最初の内はそれであちこち引っ張り回されたし」

 第四龍礁を訪れてすぐの頃を思い出したティムズに、


「そう言えば、そういう話もしてた気はするな……」

 エフェルトも頭を掻きながら返す。


「何で探してるのさ」

「あいつ、最近お袋に手紙を寄越してねーらしくてな。お袋さんが大分心配してる」

「まさか、他人宛の手紙を勝手に開いてんのかよ」

「どっさり溜まってたら気になって当然だろうがよ」

「とりあえず、本当にもう行かなきゃ。イアレース管理官にも聞いておくよ。あの人なら何でも知ってそうだし」

「……頼むわ」


 美男子かつ強力な法術士で、頭脳明晰で偉くて金持ちで、そんでもって美男子。ジャフレアムはエフェルトが最も苦手とするタイプだ。エフェルトはこれまで第四龍礁の色んな女性に声を掛けたが、彼女らの殆どの者がこの史上最年少の管理官に心酔しており、いちいち比べられるので、初対面の時より増々嫌気が差してきていた。


 ジャフレアムの名が出た途端、嫉妬をあからさまにしてぶすっとした態度になったエフェルトを笑い、別れたティムズは、その若き貴公子その人の執務室に向かった。


 

 ―――――――――――――――――――――――――



 第四龍礁本部の敷地を見渡せる低い丘に広がる共同墓地には、龍礁で没した者たちの中でも、外に身寄りが居ない者が多く埋葬されている。


 墓地へ続く桜の並木道は、春になれば桜が散り舞う麗所になるのだが、今はまだ裸の樹々が連なる、うら寂しい景色が続き、曇り空も相まって、道往く者の気分をどことなく落ち込ませるものだった。



 抱えた花束を飛ばされないようにしっかりと抱くミリィ、そしてその後に続くレッタは、マリーの墓前に佇んでいた先客と出逢う。きっちりと撫でつけたショートヘアの後ろ姿は未だに見慣れず、一瞬、その人とは気付けなかった。


「局長……?」

「……やあ、ミリィちゃん。レッタちゃん」

「……どうも」


 ミリィたちとハイネは顔見知りではあるが、親しい訳ではない。


 特にレッタは、これまで多少思慮の浅い発言を繰り返してきた――レッタの表現を借りれば『頭の悪い、立場だけの女』――ハイネを毛嫌いしており、此度の『密猟者への殺傷の解禁』を権力の私有化だとして疎んじていた。


 親友の死を乗り越えて変貌を遂げた指導者、の様に見えて、その実、ジャフレアムを始めとした幹部の言いなりのままだという事も知っている。



 形式上の挨拶だけを返した三人は、共通の友人の墓前で、気まずい沈黙をやり過ごしていた。


 リャスナが行使する最高位の炎術の犠牲になったマルコ="マリー"=フォートレスの墓には、遺体はおろか、一握りの遺灰すらも遺されていない。それでも、第四龍礁この地で苦楽を共にした仲間たちと共に眠るという証、慰めの標としての墓標があるという事は、全員にとって大切な事だった。



 やがて、ハイネが静かに口を開く。


「……マリーはあなた達の話をいつもしていたわ。第四龍礁の創設以来、最も優秀な龍礁監視隊レンジャーだと。私もそう評価していますし、今後も証明し続けてくれると信じています」


「……勿体無いお言葉です」

 ミリィは俯き、静かに呟き返した。


 その言外には、マリウレーダ隊がリャスナを逃さなければ、そもそもあの襲撃は起きなかったのかもしれないという事と、そしてまた同様の事件を絶対に起こすな、との意図の圧があった――その手段を選ばずに。


 ミリィにもハイネの喪失感による変容は共感出来るものだったし、その『独断』を責めるつもりもなかった。捕らえて拘禁されていたリャスナに激昂し、その頭を吹き飛ばしかけた自分に、それを責める権利はないと思えた。



 お互いに想うところは山程ある。共通の友人の墓前で、三者三様の立場と思惑の違いに押し黙っていると、また新たな人物の、朗らかな声がする。



「なんだね。そんなに額に眉を寄せていては、折角の可愛らしい顔が台無しじゃぞ」


 三人が振り返ると、好々爺といった感じの人の好い笑顔を浮かべた、カーライル=バリナスが花束と箒を抱えて立っていた。


「っ……バリナスさん。こんにちは……」

「どれ、どいておくれ。あいたた……老いとは惨めなものじゃな」


 唐突に現れた老父は、曲がった腰でゆっくりと三人の間を割り進み、荷物を置いて溜息をつく。

 ミリィは、引退以来、久しぶりに対面する老隊長の雰囲気の変わり様に少し驚いていた。往年の覇気はなりを潜め、すっかりと老け込んでいる。


 四十六年前に妻子をロロ・アロロに奪われて以来、ずっと仇龍たちを屠るべく、地上警備隊ベースガードを率いてきたバリナスは、『撤退夜戦』でそれを成し、使命を果たしたとして勇退し、本部区画外れの居宅地の一軒家で隠居生活を続けており、こうして戦没者たちの墓所の手入れを日課としていた。

 

 それは、引退後間も無く起きた襲撃事件、そして『狸の鎖作戦オペレーション・ラクーナズチェーン』でのアロロ・エリーテの襲撃でもまた、多くの部下を失ってしまい、その場に居なかった悔悟を晴らす為のものでもあった。



「……そんな身体で毎日頑張らなくても良いのに。無理してるとすぐにお迎えが来ちゃいますよ」

「ほっほっほ。素直に心配だと言えば良いものを」

 

 相変わらずのレッタらしい軽口に、バリナスは笑い返した。

 レッタは頭を掻きつつ、マリーの墓に目をやる。


「……葬式に出る回数を減らしたいってだけです。面倒なんで」


 ふむ、と頷いたバリナスも、マリーの墓に供えられた花達を見回した。 


「マルコ……いや、マリーは果報者じゃな。この様に偲んでくれる友人を大勢得たとは。わしも生前のうちにマリーと呼んでやるべきじゃったの。前時代的な感覚では、どうしても、ぬしの様な性質たちを受け入れ難かった」

「だが、ぬしは自分を自分として認め、そしてそれ以上に、どんな者に対しても実直であった。その様に生きられる者は多くはない。それがどれほどに難しく、尊いものであるか……その遺志を体現し、遺して逝けたことが、ぬしの慰めになるじゃろうて」


 バリナスは且つての部下に語り掛けているようで、周囲で沈んだ顔をしている三人の女性たちに話し、そして誰よりも自分に向かって話していた。


「……愛する者を失うのは恐ろしい。しかし、失うことを恐れる程に愛せる人を得られた喜びを忘れない様にしなければな」

 

「…………」

「そんな顔をするな。所詮はじじいの戯れ言じゃ」


 長老の説法めいた言葉に委縮している女性陣に、顔を上げたバリナスが困った様に笑う。それ程までに、且つてのバリナスは、自分を律するのと同じだけ、他人にも厳しく振る舞っていた。


 ずっと戦の中に身を置いてきたバリナスが、道を歩む若者に伝えられる事は、多くはなかった。ただ、マリーを偲ぶ友人同士、もっと仲良くするのが、マリーが一番喜ぶ事であると思ったのだが、今の彼女たちにはまだ、難しいだろう。


「……まあ、思う所はそれぞれ。大いに迷えることも若者故の特権というものか。その行く末を見届けられぬのは残念じゃが、道往く若者たちの背中を見送れるだけでも充分と考えなければな」


 一際強い風が吹き、マリーや他の墓に供えられた花が儚く散り、墓所は一瞬の花吹雪に包まれる。


「さて、マリーだけではなく他の者にも挨拶をしていかねば。やたら雑草が茂ってかなわん。真冬だと言うのに」

「龍礁ならではの悩みって感じですね。龍脈の影響力が強すぎるのも考え物かな」


 辺りを見回したバリナスが笑い、レッタも苦笑で受け。


「あ、私もお手伝いします」

「おう。それは助かる」

「……それって私も?」


 ミリィがバリナスに手伝いを申し出たので、レッタもなし崩しで同行する事になってしまった。ミリィ一人に任せて帰るのも気が引けるし。


 一方で、一応は局長としての執務を山ほど抱えているハイネは、言いにくそうに帰所を告げる。

「……私は本部へ戻ります。事務を行わなければなりませんので……」

「よいよい。仕事じゃしな」

「では、また――」


「……あのっ」

 立ち去りかけたハイネを呼び止めたミリィが、口籠りながら呟く。

「お仕事、頑張ってください……ゲリングさん。私達も努力しますから」

 

「……ありがと、ミリィちゃん。でも、あまり無理をしないでね」


 複雑な心境がそのまま表情に浮かぶミリィに、微かに微笑み返し、その場を立ち去ろうとしたハイネだったが、ふと、何かを思い出した様に振り返った。


「……ああ、待って。あなた達への通達があります」

「はい、なんでしょう?」

「マリウレーダ隊の出発は、三日ほど見送る事になります」

「……えっ?」


 ハイネの言葉は、またもや寝耳に水だった。


「詳しい事は明日にでも公式な文書で回しますが……来週執り行われるフレイガート・セレモニーに、あなた達も出席して頂きます」

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