第七節8項「待つ者、待たせる者、待たざる者」

「彼女の意思は無視すると?」


 メイメルタの唐突で無遠慮な要求に、ジャフレアムが、多少冷たい応えを返す。

 

「お伝えしたはずですが?ミルエルトヴェーン様の意思を尊重し続けたからこそ、三年という歳月を、デルアリューヴは待ち続けたのです」


 それまで事務的な態度を崩さなかったメイメルタが、初めて、苛ついた様に、その低く掠れた声を震わせた。


「ただでとは申しません。要望を聞き入れて頂けるのなら、ローエン家より少なからずの謝礼金を、第四龍礁こちらに寄付するとお約束しましょう。その契約の手続きを行うのも、今日、わたくしが、ここを訪れた理由でもあります」


「……彼女は我々にとって必要な人材なんだ。人だけではなく、龍達の為にも。彼女の様な者が龍礁監視隊員レンジャーを務める事が、どれほどの価値を持つのか、貴女には理解出来ないかも知れないが――」


「デルアリューヴが、彼女を必要としている意味の価値も、貴殿にはお判りになられないでしょうね」


 ジャフレアムを遮り、メイメルタがきっぱりと言い放った。


「…………」

 ジャフレアムは、軽く唇を噛む。


 デルアリューヴ=D=ローエンの名は、政治に携わる者なら殆どが知っている、デトラニア共和国南部に隣接する小国、ロンカサートを分割統治する『五貴族』の一角であり、最も有力な名家の現当主だ。歳はジャフレアムと同じ、現在は二十三という事もあって、過去に漠然とした親近感で、その詳しい経歴を調べた事もある。


 ジャフレアムが知る限り『非の打ち所のない』男だった。名家の生まれに甘んじず、その権力や立場に驕る事なく、様々な学問を修め、小国を吞み込まんとする隣国、デトラニアの恫喝、侵略にも屈することもせず。

 国を守る為、自ら兵士たちと共に戦場を駆けるなどの、数多くの武勇を誇る者でもあり。ついでに言えば、眉目秀麗の貴公子だとも、音に聞いている。


 ミリィがロンカサートの没落貴族の生まれである事は知っていたが、名高き名門、ローエン家の若き当主との接点があるとは、思いもよらなかった。


「……私としては、その要求を飲む事は出来ない。ただ、決めるのはシュハル自身であるべきだと思う。彼女は明日、帰投する。直接話して、シュハルの意思を確認してくれ……」

「ええ、そうしましょう」


 ジャフレアムが何を思おうと、言えることはそれだけだった。この女執事があっさり引き下がるとは考えられなかったし、個人的な事情に深入りする立場でもない。

 メイメルタが座っていたソファの脇に、マント、鞄などの旅装が丁寧にまとめらているのに目を留めて、事務的に言う。

 

「……長旅でお疲れだろう。来賓用の宿室を用意するので、今夜はゆるりと休まれると良い」

「お心遣い、感謝致しますわ」


 答えたメイメルタの口調は穏やかだが、その表情は相変わらず、凛としたまま崩れない。


 ――――――――――――――――――――――



 翌日。帰投したマリウレーダ隊の面々は、各々の仕事の後始末の為に一旦解散し、それぞれが各部署に今回の哨戒飛行の結果を報告に回っていた。


 ミリィが、ロビーの待合ソファに座るメイメルタの姿を見つけたのは、ジャフレアムへ面会に行く途中の事であった。

 昨日と寸分違わぬ場所で、髪の毛一本に至るまで同じ姿勢だという事までは判らなかったが。


「……?……!メイメルタさん……!?」


 まさかの人物の姿に、ミリィは動揺し、無意識の内に背筋を伸ばす。


「お嬢様。お久しぶりです。ご立派になられましたね」

 メイメルタが立ち上がり、第四龍礁を訪れて初めての、柔和な微笑みを見せた。

「デルアリューヴ様より言伝を受けて参りました。お手紙の返事が無いので、大層心配しておいでです。なんでも先日、強力な高位龍と戦われたとか」


 そして、三年振りの再会に戸惑ったままの、ミリィの姿に目を細める。

「……その戦装束いくさしょうぞく、お似合いですよ」


「……どうして、あなたが第四龍礁ここに?まさか、ローエン公に何かあったのでしょうか?」

「息災です。わたくしがここに来たのは、こうの、貴女を慕う想いが、今でも変わりないという事をお伝えする為です」


 メイメルタが、ジャフレアムに語った事をミリィにも告げ、ミリィは不意の来訪とその話に動揺を隠しきれず、痛みに耐える様に顔を歪めて俯き、オレンジの瞳から心を隠そうとする。

「……私などには、勿体無いお方です」


「デルアリューヴ様はそう思ってはいらっしゃいませんよ」

 俯くミリィを諭すように、優しく語り掛けるメイメルタ。

「何故、そう頑なに拒むのでしょう。公は地位も名誉もあり、能力も人格も優れた、誰もに尊敬される立派なお方なのに」


「だからこそです。私はそうじゃない。私にはあの方の伴侶となる資格も、覚悟もありません」

 ミリィが顔を上げ、決然とした表情を向けた。不意に追いつかれ、突然目の前に現れた過去に立ち向かう様に、今度は自分から問いを投げかける。


「……何故、公はそこまで私に拘るのですか?ただの我儘で飛び出して行った、一介の、とうの昔に落ちぶれた家の娘などに」

「それはわたくしには計り知れぬこと。しかし、お嬢様も判っているのでしょう。あの男性ひとは、貴女の意思の強さに惹かれているのだと。そしてその意思を受け入れられる、強く、優しいひとなのだと」

「私は強くなどありません。私は……逃げ出したのです。弱いから」

「貴女の言うその弱さは、自らの力で生きる道を切り拓いた。それは強さと呼んで良いものなのでは?」


 お互いに譲れないものの為に、言葉を交わす二人。


 ミリィが知るメイメルタは、頑固で、聡明で、美しい姉の様な存在だった。本来は関わる必要の無いミリィの為に、学問から礼儀所作に至るまで、様々な教養を与えてくれた女性。しかし。


「メイメルタさん、あなたは私に色々な事を教えてくれた。けど、一つだけ教えてくれなかったし、嘘を付いてきた事があるわ。あなたが、ローエン公を尊敬しているだけではなく、一人の人間として想っていること……」

「だから何だと言うのですか?想うからこそ、彼が求める幸せの一助になりたいと、わたくしは、考えているだけ。彼は、わたくしにとって、弟の様な存在なの」


 その表情は変わらない。しかしその声と口調は震え、乱れる。それを抑え込む様に左胸に手をぎゅっと当て、メイメルタは、殆ど懇願するように。


「ミルエルトヴェーン。貴女は、自分には資格がないと言うけれど、それは間違い。貴女には身分も資格もあることを、貴女自身がずっと証明してきた。わたくしが約束する。デルアリューヴは、きっと貴女を幸せにできる!」

「……私の、幸せは――」


「あっ、居た!」

「っ!?」

 不意のティムズの声に、ミリィが驚いて振り返った。


 何があったか知らないが、全身泥まみれのティムズが息を切らして立っていた。


「ミリィ、ちょっと手伝ってくれ。オルテッド達が F/ I龍を捕まえたんだけど、逃げ出して、大騒ぎになってる」

「え、ええ。うん。すぐに行く……」

「頼むよ、思ったよりすばしっこくて……って、お客さん?」

 ミリィと会話していたメイメルタに目を留めたティムズが、その美貌に一瞬目を見張る。

「うん、昔、お世話になってたひとなの」

「そ、そうなんだ。俺は龍礁監視隊員レンジャーのティムズ=イーストオウルって言います。ミリィの同僚で……」 

 軽く会釈し、口早に自己紹介をするティムズを、オルテッドの悲痛な声が遮った。


「ティムズぅー!早く来てくれー!もう俺達じゃ手に負えねえー!」

「あぁ、すいませんバタバタしててっ。ミリィ、行こう!」


 そう言うと、ティムズは身を翻して、ロビーに泥を撒き散らしながら駆けていった。

「おいこらティムズ!掃除したばっかりなのに!あとで掃除しろよお前があ!」

「それどころじゃないんだよ!」

 ロビーをぴっかぴかに磨いて満足していた職員の悲痛な叫びに応えながら。


「……じゃあ、これも、任務だから……」


 とにかく、結構大変な事態が起きたらしい。話は何もまとまらないまま、突発的な『出動要請』を受け、出撃する事になったミリィに小首を傾げたメイメルタは、泥まみれで去っていくティムズの背姿を見つめて、応えた。


「ええ。わたくしに構わず、お行きになられてください。暫く滞在する予定なので、また改めて、話を致しましょう」


 ―――――――――――――――――――



 第四龍礁では、龍族素材の安定的、恒久的な供給を目指した『養殖』も試みられており、等級の低い F/ I偽龍を始めとした龍種を捕らえ、研究を兼ねた飼育を行う事もあった。


 経緯は不明だが、『また』その中の一体が逃げ出したという事で、居合わせたティムズとミリィも、その捕獲に駆り出される事となったのである。


 二人は、『逃走者』が逃げ込んだという飼育場の外れの森で、程なく対象を見つけ出した。


 が。


「何か最近、こんなのばっかりだよな……」


 強靭な後脚で跳ね跳ぶ長尾驢ながおろ龍を追い、散々跳ね回って息を切らしたティムズが、肩を落として愚痴る。


 長尾驢龍は、その名の通り、まるでカンガルー……と言うか、もうカンガルーそのものだ。体長は一エルタ強で、近くで見ると結構デカくてビビる。

 当初は単なるF / I級と見られていたが、その跳躍移動には跳躍術の一種が使われていると判明し、急遽、捕獲の御鉢が回ってきたティムズとミリィは、それなりに苦戦していた。


「こんなのばっかりの方が、私は良いけどねっ」

 へばっているティムズの脇を、ミリィが軽快に跳ね抜けた。


 ティムズは、心の底から楽しそうに長尾驢龍を跳ね追うミリィの姿を、少し不思議に思う。彼女の能力なら、容易く捕まえられるはずだ。しかし、ミリィは長尾驢龍と共に跳ね駆ける事そのものを目的としているかの様に、わざと逃げられる隙を作っているように見えた。


 長尾驢龍もそれを感じたらしく、ふと立ち止まって背を伸ばし、本気を出していない追っ手を、黒く大きな両眼りょうまなこで見る。


「おっと」

 ミリィも制動を掛けて止まり、長尾驢龍を警戒させないように距離を開けたまま、笑い掛けてみせた。

「いきなり連れて来られてびっくりしちゃったんだよね。本当はこのまま逃がしてあげたいんだけど……あなたたちの事をよく知るには、研究もしないといけないの。痛いことはしないから、一緒に帰ろ?」


 様子を伺う長尾驢龍は「くるるっ」と軽く鳴き、何事かを語り掛けるミリィに近づくと、鼻をひくひくと鳴らして、何者なのか、そしてその真意を探る。


 ミリィが頭を一撫でする。

 長尾驢龍はその掌を軽く舐めて応えた。


「………へっ……?」


 ミリィが気を引いている隙に跳び掛かろうと、こっそり、じりじりと側面に回り込んでいたティムズが感心したやら、驚いたやらの表情を浮かべ、あっさりと成功した『説得』に固まっていた。



 ――――――――――――――



 傾き始めた淡い陽光が照らす、本部施設の外れ、森に囲まれた野外の飼育場。飼育の為だけではなく、時に、傷ついた龍を保護し、治療することもある施設もある。

 

 多くの者が大いに手こずった長尾驢龍を、何事も無かったようにあっさりと従えて戻って来た龍礁監視隊員レンジャーたちの姿に、飼育係員達は驚きつつも安心したようだ。


「おお……、一体どうやった? 随分と手懐けているようだが……。さっきまではあんなに暴れ回っていたのに」

 ミリィの周りをうろうろと跳ね回る長尾驢龍に、さんざん振り回された飼育係員の一人が、感嘆する。


「うん、とっても元気な子だった。ただ落ち着かせてあげただけよ。あなた達も怖がらせるような事はしないであげてね」

「無論だ。ありがとう、ミリィ」

「どういたしまして!」


 礼を述べる飼育係員に長尾驢龍を引き渡したティムズとミリィは、飼育場を囲む、結界代わりの術木柵に寄り掛かって、牧草を食む長尾驢龍の様子を眺める。


「何だかんだですぐに解決して良かった。最初からきみに全部任せた方がもっと早かったっぽいけど……」

「かもね」

 長尾驢龍に何度か迫り、捕らえかけたものの、 その度にF/ Iとは思えない機動力を見せつけて逃れ続けた長尾驢龍を、遂に最後まで追い切れなかったティムズが口惜しがるのを、長尾驢龍をぼうっと見つめたまま、心あらずの答えを返すミリィ。


 その横顔をふと見たティムズは、先程彼女と話し込んでいた女性の事を思い出した。

「……そうだ、さっきの女の人が待ってるんだろ?そろそろ戻った方が良いんじゃないかな」

「………」

 しかし、ミリィは応えない。

 その目は、今は龍ではなく、遠くを見ている。


「ミリィ?」

「……うん、戻らなくちゃいけない。……いつか——」


「え?」

 ミリィの言葉の意味を捉え切れなかったティムズが眉をひそめ、

「えっ?」

 無意識で呟いていたミリィが目を丸くして振り返る。


「いや、戻るんだろ?さっきのすげえ美人が待ってる、だろうから……」

 ぼけっとしていたミリィを笑ったティムズの笑顔がちょっと引きつる。思わずタファールみたいな台詞を口走ってしまった。悪影響だ。


 しかし、ミリィは特に引っ掛かりを持たなかったようで、その代わりに、目線を逸らして口籠った。

「……ううん。もうちょっと、ここに居たい」


「ああ。じゃ、俺は先に戻っておくよ。戦衣がどろっどろだ。早めに洗わないと」

 散々駆け回り、跳ね回り、転げ回って、泥に汚れた戦衣を袖を払いながら、なんとなしに応えるティムズ。


 そして、その場を立ち去ろうとしたが。

「……待って。まだ一緒に居て」

 ミリィに呼び止められ。

「ん?」

 振り返った。


「もうちょっと、一緒に居てよ。今は、もう少しだけ……」

 ミリィは、思わず口走ってしまった事に自分でも戸惑っている様子だった。


 怪訝な顔をするティムズに何も言わせまいと、ミリィは態度をとげとげしくして、強引に話題を持ち出す。

「ほ、ほらっ、あんたの跳躍術の事なんだけどっ」

「さっきもずっと見てたけど、速度はともかく、細かい制御がまだまだ全然なんだもん。説教をしなきゃいけないと思って!」


「えぇ……?」

「折角何度も追い付いていたのに、肝心の所で詰めが甘いしさ」

「それはもう癖なんだよ。直すのは諦めたんだ」

「そんな簡単に諦めていたら、私にも追いつけないままよ」

「一度は捕まえただろ」

「一度、ね」

「それに、捕まえたら捕まえたで、またどうせ何かして、振りほどかれるだろうしさあ……」


 ティムズは苦笑しながら、今までの『追逃訓練おにごっこ』が、自分とミリィの関係の全てを表していると痛感する。必死に追っても、彼女は更に先を行き、手を伸ばしても、それを振りほどき、抜けて行く。


「……君には追い付けない。もう充分に理解わかってる」

「きみは、優れた龍礁監視隊員レンジャーだ。誰もが認めてるし、俺もそう思うよ。龍を誘う術を実戦でも使えるのは、きみくらいだし。いつだったかな、緑象龍を森に還した時は――」


 達観した様に遠くを見つめ、言い淀むティムズに、俯いたままのミリィが真剣な調子で呟き返した。


「それでも、諦めないで。自分で自分の限界を決めてしまったら、そこから先へは進めなくなるのだから」


 様々な言葉に隠れた想いと事実は、錯綜の迷宮で、出口を探し続けている。


 暫くの静寂。

 ティムズには、ミリィの言葉の真意を推し量れなかった。それでも、その言葉を信じるという答えを、ミリィではなく、自分に言い聞かせるように、呟く。


「……判った。俺は、いつか、きみに追いつく。だから、それまで待っていてくれ」

「……………」


 ミリィは、無言のまま、答えの代わりに、小さく頷いただけだった。




「……あ」


 そして、大事な事を思い出した。そもそもロビーでメイメルタと遭遇したのは、ジャフレアムに孔雀龍との接近遭遇について、報告を上げに向かう途中だったのだ。色々とあって、すっかり忘れていた。


「……いっけない!ごめん、戻るね!管理官を待たせてるんだった!」

「えっ、ああ、うん。どうぞ……」


 言うが早いか、ぱしん!と跳躍術で跳ね駆け出して、颯爽と去っていくミリィは、ティムズを残したまま、さっさと先に行ってしまったのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る