第六節12項「誰もが、誰かにとっての、誰かの為に」
午後遅く、リドリア章国のアラウスベリア龍礁管理局総本部より、収集に成功したエヴィタ=ステッチ(の、抜け殻)の輸送を担当する特務隊が到着した。
特別仕様の馬車や貨物台、御者、学者、そしてそれらを護衛する兵士などの十数名は、襲撃を受けた第四龍礁本部棟の有様に驚愕する。しかし肝心の龍族素材は無事。
解体と選別を担当するはずだった、素材主任のマルコ=フォートレスの殉職により、細かな手続きに若干の問題は起きたものの、キブとジャフレアムの対応は迅速で、F/III級の一次素材の引き渡しは、概ね滞りなく進行していた。
だが、龍礁本部棟の
リャスナを制圧したのは、光だった。一時的に膨大な術式を収束したジャフレアムの術杖は、リャスナの強力且つ多彩な術式を全て破壊し、リャスナ自身をも、その光圧で吹き飛ばし、壁に押し込み、戦闘不能に追い込んだ。
一瞬での決着の後、リャスナは、解除された
「……ご機嫌よう、ティムズ。思ったより元気そうで何より」
「……………」
高位の術士の力を封じる封術帯衣に厳重に拘束され、木椅子に座っているリャスナが、見知った顔を見て薄ら笑った。武装解除され、特徴的な髪飾りも取られたリャスナの黒髪は、ごく普通のストレート。実際に戦闘している所を見ていなければ、誰もがただの少女、と思うだろう。
薄暗く、部屋全体に術式の発動を阻害する式が封じられた狭い一室の、中央に置かれた粗末な木椅子に座っている彼女に、ティムズとミリィは対面した。
「…………」
リャスナは、冷たい怒りに目を細めるミリィを一瞥する。
「ティムズ。私は、あんた一人と話したいって言ったつもりなんだけど?」
「お前は条件を出せる立場じゃない。自分が何をしたのか、判ってないのか」
抑揚無く、静かに応えたティムズの顔を、まじまじと見る。
「判ってるわよ。てっきりあの場で私刑にされる、って思ってたわ」
「そんな事は許されない。俺達は……秩序を守り、秩序に生かされてる」
「詭弁よね。つまり、秩序が無かったらあんな事やこんな事をしたいっていうのを、我慢してるって事でしょ?」
ティムズはぐっと目を瞑り、そして開いた。
「……そんな話をするために俺を呼んだのか?用件があるんだろう、さっさと――」
「失礼する。イーストオウル、すまないがこれも頼む」
堅木の牢扉を開け、法務部の男が中程度の深緑色の背嚢を持って入って来た。
「ええ、何でしょう」
「これはそいつが所持していたものだ。僕たちでは検分できない素材も入っているし、他所にも隠しているだろう。詳細を聞き出してくれ」
「私が見ます」
ミリィが男から背嚢を受け取り、傍にある机の上で中身を改め始めた。ティムズは再びリャスナへと、自分を指名した理由を問い質す。
「で、俺を呼んだのは何故だ」
「別に。あんたなら話し易そうって思っただけ――」
その時。
ミリィが背嚢から最初に取り出したのは、一本の角の先端だった。ミリィの手が震える。一瞬で理解した。それは、緑象龍の幼体のものだった。
瞬間、ミリィは動いた。
ティムズを押し退けるように前に進み出て、座るリャスナの首元に左腕を伸ばした。
「ミリィ!?」
止める間もなく、ミリィは左腕に全力を込め、リャスナを立ち上がらせる。
「………何よ。どうして、突然キレてんの……?」
絶え絶えに呻くリャスナも、静止しようとするティムズも無視して、ミリィは、戦衣の左袖に仕込んである雷術符を起動した。
「!ミリィ、やめろ!!」
ティムズがミリィの左腕を掴み、叫ぶ。しかし、ミリィは、頭を吹き飛ばそうとしている
「やめるんだ!……ミルエルトヴェーン!!」
ティムズが正名を叫び、びくっと身震いしたミリィの左腕から力が抜け、リャスナは椅子にすとんと落ちる。そして、咳込みながら、たった今やろうとした事に呆然としているミリィを、下から睨みつけた。
「っ……あんた、貴族だったんだ?何でこんな所で、そんな仕事してる、の」
「……あなたには関係ない」
動揺を隠しきれず、声が震えたミリィの応えに、リャスナの笑みが消える。
「大ありよ。私がこんな事をしてるのは、あんたみたいな、特権階級気取りのせい」
リャスナの声に、冷徹な怒りが滲んでいった。
「ウォロスタシア解放戦線の事なら、もう全て聞いている」
ティムズはミリィをかばうように前に進み出た。もしかするとリャスナをミリィから守るためだったかもしれない。
「全て……?ああ、あいつらが喋ったのか」
「そうだ。リャスナ="サーカス"……十七歳。ウォロスタシアの圧政に反抗する為の資金源を求めに来たんだろ?だけどお前は手段を選ばなすぎた。富豪を襲って金を奪うだけじゃなく、必要の無い殺人を繰り返すお前を、解放戦線の連中も危険視していた。だから……」
「龍猟を成功させて資金を得られれば良し。失敗して龍に殺されればなお良し。尖兵の扱いは、いつの世も同じね」
「……それを知っていて、何でお前はここまでの事をしたんだ」
「………」
リャスナは、上目遣いでティムズを見る。
「……この封術衣の上、脱がしてよ」
「……あ?」
「いいからさ。論より証拠って言うでしょ?見てもらった方が話が早い」
ティムズは迷った。
一つ。勿論、彼女の言いなりになり、主導権を渡したくはない。
二つ。封術衣を解き、術法を使わせる可能性を与えてはならない。
三つ。単純に女性の服を脱がす事へのほんの少しの躊躇い。特にミリィの前で。
その一瞬の躊躇の間に、ミリィがすっと前に出て、乱暴にリャスナの首回りの封術帯を剥ぎ、襟元を開く。
彼女の左鎖骨の下、露わになった左胸に、烙印が押されていた。焼きつけられた紋様の意味は、ティムズには判らなかったが、ミリィは何かを思い出した様で、ぴくりと身じろぎする。
「やっぱり知ってるのね。……私は元、奴隷」
「あんたたちみたいな連中の暮らしの一番下で、ずっと足蹴にされてきた」
「家族はウォロスタシア企業連合軍に殺され、私は『大株主』に売られた。小汚い部屋に押し込まれて、家畜同然の扱いを受けて、
初めて言い淀んだリャスナが、自らを鼓舞させるように声を荒げる。
「私はあいつを殺すためなら、あいつからから全てを奪うためなら、何でもやる」
「でも、一人では、無理。あいつらは子飼いの術士や戦士を、何人も護衛につけてる」
「連中は強い。そして軍隊を丸ごと相手にするほど、私は馬鹿じゃない」
ミリィはリャスナから手を離し、目を伏せた。
そして、暫くの沈黙の後、ティムズが口を開く。
「だったら何だって言うんだ。そんな話、どうでもいい。お前がやった事は、お前を苦しめた連中と同じだ」
「同じじゃない。私は、私の目的を阻む者しか、殺してない」
リャスナの反論を聞いた、ミリィの言葉が震える。
「マリーを、そんな理由で殺したの……?」
「マリーだって、私達だって、最初からそれを知ってれば、こんな戦いをしなくて済んだかもしれないのに」
「あなたが、マリーを、みんなを、殺さなければ、何かできる事はあったのかもしれないのに!あなたが今まで何をしてきたのかは、判らない。判るはずがない。でも、判ろうとはしたかった。でも、もう、何もかも、手遅れ……!」
再びわなわなと左手に力を込めるミリィがまたリャスナに手を出すのでは、と案じたティムズが、身を乗り出す。しかしミリィは「ごめん、後はお願い」とだけ呟き、拘束室を後にしていった。
「……ミリィの言う通りだ。お前の昔話は、俺達にとって何の価値もない。俺達は、お前がやった事の報いを受けさせるだけだ」
ティムズは、とっくに姿の消えたミリィの後を追うように睨み続けていたリャスナに、冷たく言い放った。
彼女は確実に、龍礁の奥地へ楊空艇から突き落とされる、龍礁においての極刑である、龍礁央部放擲刑を受ける事になる。それを止める理由も必要も、ない。
――――――――――――――――――
法務部のフロアに上がり、
「……ちくしょう……」
ぽつりと呟き、そして、
「……ちくしょおぉッッ!!」
ミリィは絶叫して、左腕の雷術符を全展開して、廊下の木壁を、渾身の力で殴りつけた。激しい術式光と衝撃音と共に、砕かれた木材の破片が飛び散り、ミリィはその場で、
―――――――――――――――――――――
ベッドの上で、老夫が苦しんでいる
長く寝たきりの余生を生きた彼は
かつて酒と痴気によって、妻を苦しめた
やがて病に倒れ、一人では何も出来なくなった
そして助けも呼べず、一人、苦しんだ
俺は
助けも呼ばず、苦しめた
助けを呼ぼうと思えば、呼べた
ただ苦しんで死ね、とだけ思った
どこかから解き放たれるような
どこかに解き放たれるような
安心するような気持ちで、見ていた
俺が、殺したようなものだ
だけど
そう思い込んでいるだけで
本当は、俺が、殺したのかもしれない
――――――――――
ティムズは深夜遅くまで眠れなかった。眠るのが嫌だった。精神的な消耗が続くと、必ず、悪夢を見るからだった。そしてその予想は正しかった。
まどろみから引きずり戻され、目を開けたティムズは、暫く天井を見つめたあと、気晴らしに、身体を少し動かしておこうと思い立つ。同室の対面で眠るタファールを起こさない様に、そっと部屋を抜け出し、夜中の龍礁本部内を、当ても無く歩き回る。途中、何度か目にした夜警の目からは、何故か身を隠しながら。
戦場となったロビーに差し掛かり、一時足を止めたが、その戦痕を観ないフリをして、正面玄関から表に出た。
本部棟の正面は、広く整地されており、そこに
ティムズ自身も、明日には再びマリウレーダに乗り、任務に戻らねばならない。
そう思い、ふと、マリウレーダが待機しているはずの格納庫の方を見ると、薄明りが見えた。ティムズは、なんとなしに、マリウレーダの元へと向かう。
格納庫の薄明かりに浮かぶ、マリウレーダを見上げる。
エフェルトの言う通り、この機体は、三百年前に生きていた龍を殺し、複数の死体から素材を継接ぎして、人の手で御するために造り変えられたものだ。その技術は現在では失われ、その素材足り得る高位の龍も、今となっては殆ど存在しない。それでも、その龍を守る為に、この仲間はどうしても必要だった。レッタの言う通り……
「やあ、ティムズ。散歩かな」
「っ!?」
不意の声に驚いて振り返った。そのレッタが、格納庫の片隅に座り込んで、楊空艇を見上げるティムズを眺めていたらしい。
「お、驚かせるなよ……」
何をしてるんだ、とは聞かなかった。制服ではなく、初めて出逢った時の作業着を着て、床に座っているレッタは油と煤に薄汚れた姿だったからだ。
眠そうにぼうっとしていたレッタが、欠伸交じりに応える。
「こないだから、妙な揺れが多くて調子悪いじゃない?原因が不明なままものを、そのままにしておくのが一番イライラするのよね、私」
レッタはそう言うが、それだけが理由ではなさそうだ。その傍らには、いつもの珈琲入りのマグカップではなく、酒を注いだ木杯がおいてあった。あと酒瓶も。
ティムズは、レッタもまたそれなりに仲が良かったマリーへの弔いを、一人で行っていたのだと判った。
ティムズの視線に気付いたレッタが、その
「……するべき事をしている間は、辛いことを忘れられる。けど、しっかりと脳に焼き付けておかないといけないものもあるからね。だから、両方一緒にやってたのよ。効率的でしょ?」
レッタらしい答えに、ティムズは笑った。しかし、レッタは達観したような、諦めたような溜息をついた。
「それに、私が皆の為にできるのは、これだけ」
「そんな事ないだろ。レッタが居なきゃ俺達の仕事は出来ないし、そもそも、あんたがマリウレーダを整備しなきゃ、ずっとここで眠ったままだった……って聞いてる。それをたった一人で……本物の天才、ってのに初めて会ったよ」
「そうかそうか、お世辞が上手くなったねえ」
レッタはへらへらと笑い、そして、不意の一言を。
「……ねえ、隣に来て座ってよ」
「え」
「天才だって人並に寂しい時はあるんだ。折角の一人の時間を邪魔をしたんだから、ついでにもう少し付き合ってもらう。一緒にマリーを弔おうじゃないか」
そう言って、レッタは自分のすぐ脇の床を、ぺちぺちと叩いた。
「い、良いけど……」
断ったらそれはそれで厄介な事になると直感したティムズは、おずおずと近づき、レッタの指示に従う。近付くと、レッタを中心に猛烈な酒の匂いがして、ティムズは咽る。彼女の背後には、大量の酒瓶が隠れていた。
「うわ、どんだけ吞んだんだよ」
「二トン」
「トンは無理だろ」
「おっ、バレた。あんたも天才か」
「酔い過ぎでしょ」
渋々レッタの隣に座ったティムズに、レッタが木杯を渡す。
「ほら、乾杯しよう」
「でも、コップは一つだけ……」
受け取った木杯に葡萄酒をなみなみと受けたティムズの疑問は、すぐに解決した。レッタはその酒瓶を手に持ったままで、そのままいくつもりだ。
「じゃあ、マリーと……皆の為に」
「……皆の安らぎの為に」
木杯と酒瓶がこつんとぶつかる音がした。
ぐいぐいと酒瓶を煽るレッタを、ティムズは「うわぁ……」という顔で見ずには居られなかったが、今日だけではなく、エヴィタ=ステッチ戦で失った仲間の為にも、思い切って、木杯を一気に空にした。
暫くは、"マリー"の話が続いた。ティムズは、療術棟での一幕を話した。マリーが"おまじない"にかこつけてベタベタと身体を触ってきた件に、レッタは大いに笑った。そして、
遠くに逝ってしまった者だけではなく、今この瞬間にも近くで傷つき、苦しんでいる人間が居る。だが、その為にできる事は、限りなく少ない。今のティムズがすべき事は、とりあえず隣で飲んだくれている人と話をして、そして自らも、前を向く事だ。
ティムズは、そういうレッタの姿勢は正しいと思った。
自分にやれる事だけをやる。全力で。
結局は、そういう事でしかないのだ。
―――――――――――――――――――
暫くそうやって会話を続けていたはずのレッタの頭が、ふと、ティムズの肩に乗る。自らも睡魔と酔いにぼんやりしていたティムズは、事態を良く判って居なかった。
血中のアルコール濃度が更に増加し、酩酊状態が進行した結果、前後不覚の状態に陥ったレッタ、は、ティムズの肩に頭を預けたまま、寝息を立てていた。
流石に限界を超え、唐突にスイッチの切れたレッタから丁重に逃れようとしたティムズの耳に、悲しみに打ちひしがれたレッタの寝言が聴こえた。
「……マリー。どうして……」
レッタは、ぐすっ、としゃくりあげると、そのまま深い眠りに入った様だった。
「…………」
ティムズは、暫くの間そのまま動かずに居たが、やがて軽くレッタの頭をひと撫でして、できるだけ丁寧に石床に彼女を寝かせると、木工機械の保護に使う布を何枚か見繕い、枕と毛布の代わりとして与えた。
端から見れば雑な扱いかもしれない。しかし、レッタには相応しい寝姿だとも思い、ティムズは軽く笑うと、格納庫を後にし、既に白み始めていた新しい朝の中を、歩いていった。
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