第六節11項「饗宴」

「……ちッ……」


 迷宮現化メイズドナイズの影響で多元化したロビー周辺の構造物が、常に歪み、変動していくのを横目で睨み、退路を断たれたリャスナが舌打ちした。

 しかし、危機感を感じる程ではない。あくまでも、やるべき手順が一つ増えるだけ。面倒な行程が一つ増えた程度、といった感じで、薄笑う。


「ま、あんたをたおせば良いだけか」


 身を低くし、構える黒衣の法術士の姿に、ジャフレアムが語り掛けた。

「どうしてもやると言うのだな。やる以上、手加減は――」


 ジャフレアムの言葉を待たず、リャスナは身を翻し、大振りで複式を操る。蒼紅そうこうの蛇炎がその威力を増し、業火の龍となった。


「――ッ!」

 初手よりも遥かに高圧の術炎に、ジャフレアムも動いた。退きながら指印を振り、炎の渦と自分の間に数枚の術盾を張る。


 うち何枚かは呆気なく砕け、溶かされたが、ジャフレアムに達する前に、炎術は全て相殺、分解された。


「ははっ、跳躍術は使えないんだ?重法様式ヘビーフォームのノロマな罠士トラッパーって感じかな?」

 リャスナがまた笑い、ジャフレアムの片眉が上がる。確かに独学のようだが、その戦闘センスは、龍礁に属するあらゆる術士を凌駕するものだと感じた。――自分ジャフレアムよりも。


 ――……まずいな。思った以上に……。


 リャスナのクロークに隠れた両腕が、僅かに動く。ジャフレアムの目が捉えた瞬間、黒影が高速で前方に跳ねた。紫髪が揺れ動き、ロビーの床に幾つもの術式光が走り、リャスナを阻むように雷柱が立ち昇る。

 が、リャスナは術炎を従えたままその間を華麗にすり抜け、ジャフレアムの首を目掛けて腕を振った。

 煌めく光に反応したジャフレアムは左手をかざし、術盾で弾く。リャスナは左逆手で短剣を握っていた。すぐに、もう片手での短剣の突き。ジャフレアム、防御した左腕を振ってそれをいなす。次の瞬間に、リャスナは左逆手に短剣を握ったままジャフレアムの脇腹へ拳を突き出し、身体そのものへ術式を走らせようとした。


 ジャフレアムが纏う黒紺の装束の、反応防御が発動する。意図的に行使するものよりは効果は薄まるが、不意の術撃に対処できるものだ。


 後ずさったジャフレアムに術炎、短剣、短剣、術炎、短剣。思考の間隙すら与えないリャスナの連撃を凌ぎきるが、ローブの各所あちこちには短剣の筋の跡を刻まれていた。


「……口程にもないじゃん。なんで出てきたの?あんた」

「成る程。F/III相当、中の上といったところか。人の身でそこまでの火力を得ることが出来るとは、耳目に値する」


 果たして、ジャフアムは何処までも冷静だった。リャスナは涼しい顔を取り繕う紫髪の法術士への苛立ちを隠せなかった。多少は理知的で容姿端麗。素直に焦りの一つでも見せるのならば、まだ可愛気があるものの。


「…っざけんなよ。とことん舐めやがって。そのつら、とことん壊してから、殺す」

「褒めているつもりなのだがな……」


 ジャフレアムは溜息を付いた。彼の女性の扱いは、どこまでも下手だ。



 ――――――――――――――


 怒号が飛び交う。


「デユーズ氏!何が起きている?あの迷宮現化メイズドナイズは誰が発動させた?」

「……パシズ!ジャフレアムだ。ハイソーサラーと交戦している」

「あの若造が……?」


「療術士!こっちだ!こいつ、肺を焼かれてる!」

「こいつは、もう死んでる……」

「彼、療術棟に運ばないとまずいわ。手の空いてる職員は手を貸して!」


 戦場になったロビー付近から撤退した警備隊たちは、中央食堂に避難し、負傷者の応急処置に注力していた。あちらこちらに身体の一部、または殆どを焼かれた地上警備隊ベースガードや巻き込まれた一般職員が倒れ、野戦病院そのものの様相を呈している。

 迷宮化メイズドナイズの影響か、屋内の照明となる光術灯が明滅し、食堂内は外の明るさに負け、薄暗かった。


「おばちゃん!水だ。とにかくありったけの水を用意してくれ!」

「あ、あいよっ」



「………」

 "サーカス"の喧噪の中、エフェルトは薄目を開ける。藍色のショートカットの、少年ぽい顔つきの女性が見えた。アルハが、療術士たちと共に火傷を負った者の治療を行っていた。


「……てめーは……」

「喋るんじゃない。器官にも火傷を負っている」


 アルハの療術は、緑色。一部の療術士が使う中高位のものであり、一般的に療術が不得手な者が多い龍礁監視隊員レンジャーの中において、頑張って習得したものだ。

 その切っ掛けは、ティムズである。事あるごとに何かしらの負傷を負う彼の一助になりたいという想いの発露が、龍礁監視隊員レンジャーの中では最も高位の療術を習得するに至っていた。

 その術が、今は瀕死のエフェルトを救うために使われている。


「……あの、法術士、ガキ、ティムズが、逃がしやがった、女」

「……」

 切れぎれに言うエフェルトを、アルハは無視した。療術に集中する為でもあるし、エフェルトの言わんとしている事を聞きたくないと思ったからだ。


 そして、エフェルトは目を閉じ、一言も発しなくなった。


「エフェルトさん!」

 アカム=タムが慌てて現れ、

「何勝手に死んでんすか!!モロッゾさんの分も生きるんだって言ってたじゃないすかあ!」

 エフェルトの身体に縋り、がくがくゆさゆさと揺さぶった。


 アルハは、取り乱すアカムに、言った。 

「すまないけど、治療の邪魔だからどいてくれないか。気を失っただけだから」


 ――――――――――――


 空中に舞い上った炎が四散し、炎の雨となってジャフレアムに降り注ぐ。上面に広がった防壁がそれを阻むが、同時にリャスナが、自ら放った火炎雨の真っ只中を突っ込んで来た。

 攻撃と防御の術式を巧みに併用するリャスナに対する、ジャフレアムの行使する法術は、自由に発現位置を操り、立ち上げと切り替えの精度においては若干上回る。リャスナの『火力』の隙を的確に突くが、術剣士並みの機動力を見せるリャスナは、その雷術を悉く回避した。


 何度目かの攻防。接近し、短剣での一撃と見せかけて、リャスナが放ったのは、ティムズを倒した術式によるダガーのつぶて


 散る紫髪。跳ね下がったジャフレアムは、不慣れな体術機動を強いられ続け、息が切れ始めていた。顔を掠めたダガーが、頬に一筋の傷を作る。そして、その表情には、初めての焦りの色が浮かんでいた。


「ッ……!」

「あははは!自信満々で出て来ておいて、その程度って恥ずかしいよねっ」

 

 顔をしかめたジャフレアムの表情に、余裕を失ってきたのだと見たリャスナが、けらけらと笑う。その仕草はまさに少女のてい。無邪気な天賦の才を振るう事に些かの躊躇もない彼女を押し留められる者は、これまでにも、一人として居なかった。


 ジャフレアムは法術に重きを置く、言い換えれば”頼り切り”の迎撃型。キブを護った術盾や、先程の雷柱のように、任意の空間へ自在に術式を展開する空間制御能力は、確かに並の術士よりも秀でている。しかしリャスナにとってはそれも、さほど障害ではない。


 術剣士と法術士の境は曖昧なもので、リャスナは『術法を遣える剣士』ではなく、あくまでも『術法を使う為に剣も振るう』法術士である。

 短剣を得物とするのは、戦闘において対峙する時、クロークがその全てを覆い隠してくれるからだ。法術の発動時にその式を読まれないためでもあるが、物理攻撃なのか、術法なのか、それを相手が知るのは、大抵の場合、リャスナに喉を掻き切られる瞬間であった。



 度重なる炎術と短剣の連撃によって、ジャフレアムの黒紺の衣は焼け、ほつれ、切り刻まれている。


「いいわね、ぼろぼろの姿。ちょっとは格好良く見えるよ」

 その姿を愛でるように、目を細めて微笑んだリャスナが、

「でも残念。私はあんたみたいな連中が一番嫌いなの。それに……」

「もう、飽きちゃった」

 そのまま表情で、止めの宣告をした。


 リャスナは炎術を閉じ、その代わりに周囲の地面から、細かい刃の欠片のような術式光が浮かび上がり始める。それは高密度の光渦となって、少女の周りにゆっくりと広がり始めた。欺刃光術は、リビスメットの体表結界にはさほど効果を得られなかったが、生身の人間が、この密度の光刃を全て防ぎきる事は、不可能に近い。この術をまともに浴びた人間の末路は、挽肉だ。


 遊びは終わり。そう告げたリャスナの惜別を、ジャフレアムは笑って返した。

「そうか、奇遇だな」

「僕も、お前のように世間知らずの子供が、一番嫌いなんだ」


「………」

 最後まで生意気な男。リャスナは侮蔑と憎しみを以て右腕を払った。光の刃吹雪が黒紺の衣の法術士に向かう。刃同士がぶつりかり、弾け、更に細かく砕かれ、霧になっていく。

 男は何事かをぶつぶつと呟いていたようだ。その末期の声は、リャスナには届かなかったし、聞こえたとしても覚えておくつもりもない。欺刃光術の、数百本の剣が擦れあう様な音と、激しく瞬く術式光の渦が、男を覆い尽くした。


 ジャフレアムを光の渦に沈めたリャスナは、薄く嗤った。



 振り返り、辺りを見回すと、迷宮現化メイズドナイズの変容が止まり、歪んでいた構造が、軽い振動と共に平常化していくところだった。曲線は直線に、直角は曲円に。

 リャスナは本来の目的を忘れてはいない。

「さ、て、と」

 軽い調子で声を上げ、

「今度こそ素直に教えてくれる人に逢いたいなあ……」

 理想の男性像を夢見る心地で、呟いた。


 しかし、軽い眩暈を覚える。

 平常化すると思われた光景に、何らかの違和感があった。景色が一点に向かって引っ張られているような感覚だ。そしてその収束点は、リャスナが放った欺刃光術の……中心だとすぐに気付いた。


 光の霧の中に、それよりももっと眩い、人型の光が現れ、光が腕を一振りすると、激しい波動と共に、一瞬で欺刃光術が霧散する。暴風の様な波に、リャスナもその場で身構え、堪えるしかなかった。


「何よ、それ……」困惑に顔を歪めるリャスナ。


 中からは白い術式光を従えたジャフレアムが、ゆっくりと歩み出て来ていた。そして、当惑している少女へ、軽い微笑みを返す。


「さあ?残念だけど、僕は素直に教えてあげる人じゃないからな」

「ただ……初めて扱う術式なので、制御に時間が掛かった。その間、欺刃光術あれを使わずに居てくれたことには、礼を言っておくよ」


 そう言っておもむろに上げたジャフレアムの右手に、周囲に展開していた、新雪の様な真白の術式光が、しゃく状の光となって収束した。



 ジャフレアムが援用したのは、第四龍礁本部棟に施された、ありとあらゆる術士防御機構――防護結界、対龍光術砲、果ては生活一般に使う簡易的なものまで――を司る霊基を一時的に『手元に集めた』もの。収束に失敗し弾ければ、本部棟を丸ごと吹き飛ばす可能性がある術式は、第四龍礁の法と、内包する全てを知る者こそ使えるもので、第四龍礁内部でもこの術式を知る者はごく僅か。

 そして、この式を発動させたジャフレアムは、『第四龍礁本部棟内で戦う限り』、無敵だ。



 ――――――――――――


 

 全速で第四龍礁本部へ向けて飛んでいたマリウレーダの甲板上で、前方を見据えていたティムズとミリィが、本部棟から幾筋もの煙が立ち昇っているのを見る。


 通常の着陸機動に入る時間すら惜しみ、降下可能なぎりぎりまで減速した所で、二人は、そのまま、跳び下りた。跳躍術で着地の衝撃を散らすことのできる上限の速度。

 接地した二人は、見慣れたはずの、しかし今は煙と瓦礫によって変わり果てた、本部棟正面玄関から、ロビーへと突入する。


 事は全て、終わったあとだった。



 ―――――――――――――――




 午後も深まり、早朝の騒ぎもようやく落ち着いた。

 大規模な破壊を受けたロビーの『片付け』も終わり、職員たちは三々五々、必要な事後処理に回っている。


 ティムズも最初はロビーで、処理活動に当たっていたが、ミリィが、灰の中からマルコの、焼け焦げたループタイブローチを見つけて、拾い上げた瞬間に泣き崩れたのを見て、その場に居る事に耐えられなくなり、人気ひとけのない廊下の一角にある、休憩所のソファに一人座り、項垂れていた。


 パシズとミリィが、居なくなったティムズを探し、その場に現れた。パシズはいつもの癖で、仁王立ちし腕を組もうとするが、ふと、それはもう出来ない事を思い出し、代わりに左手を腰に当てた。


 三人とも、無言だった。ミリィは窓の傍に寄り、外に見える、いつも通りの風景を、ただ見つめているようだった。その後ろ姿を横目で僅かに見て、ティムズがようやく呟く。

「俺のせいだ。俺の……俺が、あいつを逃しさえしなければ」


「お前には無理だった。どう抗おうとも、敵わない相手というものは居る」

 パシズは目を瞑り、首を横に振った。言い方を間違ったと自省したからだ。

「……お前に責任は、ない。例え我々があの寺院で戦っていたとしても、確実に全滅していただろう。そうなればエヴィタ=ステッチ捕縛も成し得なかった」


「こんな事になるって判っていたら、あんな連中、助けなきゃ良かったんだ。リビスメットにバラバラにされちまえば良かったんだ……!」

「それにヤヌメットは、何であの女を追わなかったんだ」


「それは」

 歯を食いしばり、行き先の無い怒りを震わせるティムズに、ミリィの背中が応える。

「彼等の掟だからよ。逃げる者は無暗に追わない。それが彼等の、理性」

人間ひとの価値観で、彼等の考えは推し量れないの」


「何でそんなに冷静で居られるんだ。何が理性だ!掟だ!!あんな事を許すのか!?」


 顔を上げ、激昂するティムズに、ミリィが鋭く振り返った。

「……許せるわけないじゃない!!マリーを、マリーが、みんなを、あんな風にッ!!……っ!」


 ティムズの黒い瞳を見た瞬間、ミリィの顔が歪み、込み上げた激情に耐えきれず、パシズの元に歩み寄り、その胴に縋りつき、嗚咽を噛み殺す。

 戦衣をぎゅっと握り、声を上げずに震え泣くミリィの頭を、パシズは左手で軽く撫でた。


 ティムズはその二人の姿を、やりきれない気持ちで見ていた。

 ――良いよな。そうやって泣けば慰めて貰える人が居て。

 ふと、そんな言葉が喉から出そうになった。口にこそ出さなかったが、顔をしかめるティムズの目から、パシズの暗灰色の瞳は、それを読み取った。


 パシズは何も言わず、無表情なまま、ティムズを見下ろしていた。



「……失礼、ティムズ=イーストオウル。君に用がある」

 三人は、その場に静かに現れた、法務部に所属するローブを纏った青年に振り返った。ティムズを探していたらしい法務官は、ティムズとミリィの口論を聞き、彼の所在を知ったようだ。


「……なんでしょう」

 パシズからぱっと身を離し、顔を拭いながらまた背を向けたミリィに横目を留めながら、ティムズが応える。


 法務官が、その気難しそうな佇まいには似合わない、砕けた口調で言った。

「イアレース様が取り押さえたリャスナ……という法術士の件だ。先程までずうっと黙秘を続けていたんだけど、君が居るなら話しても良い、と突然言い出してね。すまないが、事情聴取に協力してくれないかい?」

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