第六節7項「断じられたもの」

「うッ……」


 肩背までの白髪はくはつを、極めて雑に伸ばした女性が、不慣れな楊空艇の揺れに、先程まで飲み食いしていたものが逆流しそうになるのを耐える。


「ちょっとシィバ!吐くなら外にしてよ!!」

 操舵席に座る、ぼさぼさ赤茶髪で眼鏡の女性が泡を食い、大事に大事にしている愛機まなむすめのブリッジにブチ撒けられてはかなわん、と金切声を上げた。


 それを受けた金髪の女性が、ブリッジの隅で今にも決壊しそうな白髪の女性に慌てて肩を貸し、子供を宥めるような困り顔で笑い掛けた。

「洗面室に行こっか。もうこの際、思い切り出しちゃった方が良いよ」

「ううう……」


 連れ添い、ブリッジ後方の扉から出ていった二人の姿を、横目で見送ったキノコ型の黒髪の青年が呆れた顔をした。

「あの白髪しらが、あんなんで本当に龍礁屈指の龍学者なのか……?」


 ―――――――――――――――――――――――


 『狸の鎖作戦』の僅か三日後、マリウレーダ隊は再び空を飛んでいた。溜まりに溜まっていた調査項目はとにかく膨大で、人員の復帰や楊空艇の復旧を待つ余裕がなかったのだ。

 

 楊空艇マリウレーダは破損した外殻装甲の殆どを一時的に取り除かれた、レッタ曰く『丸裸』の状態の調査飛行を命じられ、更に、右腕を失い、大事を取って療養中のパシズを本部施設に残したまま、レベルB深部へと向かっている。


 エヴィタ=ステッチとアロロ・エリーテの一群の打破によって、レベルBの制圧状況が一気に好転した事もあり、危険は大幅に減った、と判断された結果だった。


 そして、円滑に調査を行う為に、龍族や地質などの学術的調査を受け持つ、『龍学者』がマリウレーダ隊に同行する事になったのである。


 

 その若き女性の龍学者の名は、シヰバ=エスカート。彼女は、


「うぅ、うえええー」

「ぎゃー!」

 洗面室で、ミリィへ浴びせた。盛大に。


 ――――――――――――――


 ……シヰバ=エスカート。第四龍礁で龍族の研究を担う、学術研究部に所属する、若干二十歳の女性龍学者。その風貌は、有体に言えば、異様、の一言だった。その顔は霊葉が記された呪帯でぐるぐると巻かれ、その細い隙間から、紅い眼球に鈍い金色の瞳、そして薄い口元を覗かせている。身長はミリィより頭一つ高く、他の龍学者と同様のローブに近い服装だが、これもまたアラウスベリアでは珍しい、東方の装束の様式だった。


 名の発音は人によって少しずつ変わるが、概ね「シバ」「シィバ」という感じで呼ばれている模様である。



「いやー、すまぬな。なにぶん楊空艇に乗るのは初めての事ゆえ」

「それよりも、あんなに一杯食べるからでしょお……」

「ティムズ殿の料理が美味くてなあ……。それに、お主も人の事は言えぬと思うが?儂の倍は食うておっただろう」

「う」


 ミリィが戦衣を脱ぎ、広桶でごしごしと洗濯する傍らで、腕組み、壁に寄り立つシィバが、けろっとした声で応える。すっかりとすっきりしたらしいが、加害者のくせに至極冷静に振る舞い、その上ディスってきた感を受けたミリィが、ぶつぶつと独り言ちた。

「これ、一張羅なのに……。傷の補修ならともかく、こんな事で整備を頼んだら絶対怒られちゃう。シィバの所為だからね……!」


 龍礁監視隊レンジャー及び地上警備隊ベースガードの基本戦衣もまた、霊布などを駆使して造られた戦闘装束であり、適当なクリーニングをしてしまうと、その能力が損なわれる可能性がある。アドルタ=エヴィト戦ですら物理的な傷は殆ど受けなかったのに。『こんな事』で汚損するとは。


 ふむ、と頷いたシィバが応える。

「レッタ殿のことか。まあ、操舵室で吐かなかっただけだったと思ってもらうしかなかろうな。儂から詫びておくよ」


「相変わらずね、あなた……」

 旧知の仲ではあるが、このマイペースぶりには、ミリィもほとほと困らせられていた。彼女も『龍礁生まれ』の一人なのだが、その経歴はかなり特異で、龍礁の奥地で、老龍学者と共に『弟子』として長く暮らしていたらしく、その口調や振る舞いは『師匠』譲りだという。


 「うう、使用水量制限に引っ掛かっちゃう。全部洗えるかな、これ」

 とほほ顔で戦衣を洗い続けるミリィに同情したのかどうか。シィバの眼が思索するように天井を巡り、そして、答えを見つけた様だ。


「戦衣は専門外ゆえ、手助けは出来ないが……せめて内着は儂に洗わせてくれ。においが移ってしまっていると、流石に儂も恥ずかしいし、お主が可哀相だ」

 そう言うと、やおらミリィの傍に屈み込み、返答を待たずに木綿のシャツを手繰り上げた。

「ほら脱げ。じきに目標空域へ着いてしまう。ちゃっちゃと済ませよう」


「へっ」

「きゃっ!ちょ、ちょっとシィバ!」

 じたばた。

「良いから!自分でやるから!」

女子おなご同士で何を恥ずかしがっておる。儂よりもおっきいくせにっ」

「何がよ!」


 その時、ミリィの声を聞きつけたティムズが、調査区域への到着を告げようと、ごく自然に洗濯室の扉を開けた。

「ミリィ?そろそろ目的地に着く。降下のじゅ」


 ばん!


 色んな経験で学習していたティムズは、固まったりはせずに、速攻で扉を閉めた。だが、その一瞬の光景は目に焼き付いてしまった。背後から内着をはだかれ、逃れようと身を捩ったミリィの正面は、完全にティムズの前に曝け出されていたのである。


 そして、ミリィが得意とする素早い視策は、ティムズの視線が、自分のどこに向いていたかという事を、一瞬で判断出来てしまっていた。



 



「おっと」 

「……~~!!」

 ぱっと手を離したシィバを、みるみるうちに顔が真っ赤に染まったミリィが振り返り、睨みつけるが、流石に女性に手を出す訳にもいかなかった。もしティムズがその場に立ち尽くしていたら、全力で蹴り倒していたかもしれない。行き場を失った怒りは、両手を挙げたままで目を泳がせているシィバに向ける視線にみなぎっていた。


「シ、ィ、バ……!!」

「あー……うん。今のは儂が悪かったな。許せ。もうやらないから」

「あったりまえでしょ!!もっかいやったら柵から放り落とすからね!!」

「しかと心得ておく……」


 シィバは、ミリィの慌てぶりが可笑しくて思い切り笑いかけた。しかし、顔に巻かれた呪帯が、その表情の緩みを見事に隠した。


 ―――――――――――――


 半渇きの戦衣の不快感に顔をしかめたミリィと、その後を悪びれもせずに着いてきたシィバがブリッジに戻ると、先程の大声を聞いたピアスンが怪訝な顔で尋ねた。

「……何かあったのか?」

「いいえ、なんでも、ありません」


 ミリィは答えるが、その視線はピアスンの先で、凛とした表情で前方窓を見ているティムズの横顔に向いていた。降下準備をしっかりと終え、調査予定区域を様子を真剣に見つめている表情……。


 の、フリだ。ミリィは直感した。絶対に、そうだ。ブリッジに居るのは、ミリィの制裁を防ぐ為に逃げ込んできただけなのだ。小賢しい真似をしやがって、この野郎。


「ミ、ミリィ?」

 ミリィの焦点が戻り、ピアスンの戸惑った顔がはっきりと見えた。ピアスン越しにティムズの横顔を見ていたので、ピアスンからすれば自分に謎の怒気を向けられている格好だった。

「あ、いえ、すいません、ホントに、何でもないです」

 ミリィが目線を逸らす。


 ティムズの作戦勝ちだった。しかし、今は本当に、地平線の先に見えた物を観るために、前を向いていた。


 原生林の合間が数列の断崖に裂かれ、切り立った崖がそれぞれに盛り上がる地形の先に、点在する都市の跡が広がっていた。そして、それらを丸ごと断つ様な、巨大な壁の様なものが見えた。まだかなり距離があり、それは二重の地平線の様に見えるが、それでも、圧倒的な高度差を誇るであろう、断崖絶壁だった。


 ティムズの横顔を気にしていたミリィだけが、彼の表情が険しくなった事に気付き、呟く。


「……見えた?あれが中央断絶線。あの先は、レベルA」


 今回の目的領域は、あくまでもまだレベルB。しかし、ティムズの目は、遂に、その遥か先にある、龍礁の真奥しんおうの片鱗を見た。


 レベルAは、滅びた都市国家の首都そのものである。

 且つて繁栄を極めた広大な都市には、それを守護するように、未だその姿を知られてすらいない数多のF/III種が潜み、自然の要害と共に近づく者を拒む。そして、その聖城の奥には、現存が確認されている唯一のF/ IVクラスが棲まうと云う。

 

 ――――――――――――――――


 がくん、とマリウレーダ全体が揺れた。

「っとと……」

 操舵式を弄ったレッタに、

「何だよさっきから、外殻装甲をとっぱらったせいか?」

 タファールが口を出す。


「いいえ、それは計算済み。基礎の飛翔式に少しエラーが出ているっぽい。エヴィタ=ステッチの身体に直に触れたせいか、術鎖を断ち切られた時の霊基の逆流の所為か……うーん……?」 

 レッタは、ぶつぶつと呟きながら、原因不明の揺れの正体を探ろうとした。ちなみにこの揺れが、シィバの逆流の原因であり、つまりはミリィの激怒の遠因である。


「分析は後にしろよ、もう予定空域に入ってる。……しかしまあ、ぱっと見、特に異常はなさそうだけどな」

 タファールが探査機構レーダーに目を走らせながら言った。


 ティムズは手近な哨戒窓(ブリッジ後方側面にある丸小窓)から眼下を滑る光景を見る。森に紛れ、低い建物が立ち並ぶ小規模な都市の郊外に差し掛かっていた。


 その建物は全て黒ずんだ灰色だ。且つてこの国家を滅ぼした、大規模な火砕流が多くの都市と人々を焼き尽くした跡だった。だが、石造りの建造物の殆どは、その姿を現在にも留めている。シィバとミリィも、栄華の名残を残す遺跡の数々を興味深そうに見下ろしていた。


 そして、今回の主な目的は、以前から度々観測されていた微弱な地震活動の原因を探る事だった。もし鳴動が、新たな火山活動の予兆であれば、再びこの様な滅びを生む事になる。対応する措置は一つだけあるが、それは龍礁法の根源を揺るがす手段であり、充分な調査を重ねた上で判断しなければならないものだ。


「なあ白髪しらが、学術部の読みだと震源はこの辺りなんだろ?なーんにもないぞ。これからどうすんだ」

「儂とて急に呼び出されて、まだよくは判っておらぬのだ。とにかく、異変があれば龍礁監視隊お主たちと共に調査せよ、とだけある」


 シィバが、手元の封述紙から展開した『調査概要』を読み、溜息を吐いた。

「こーゆーのは本来、あやつの仕事なのになあ……」

「あのアホか。今何してんだあいつ」

 シバの言う「あやつ」に心当たりがあるらしいタファールが呟き、シィバが首を横に振る。

「知らん、どーせまたどっかの遺跡に潜っておるのだろう」



「シィバ」

 その間、哨戒窓から地表の観察を続けていたミリィが、違和感に気付いた様だ。

「ねえ、あそこ……」

「うむ?」

「なんだろう。何か、変じゃない?」

「…………」


 ミリィの横から下を覗き込んだシィバが、頷いた。

「……確かにおかしいな。降りて調べる必要がありそうだ」


 ――――――――――――――――――――


 龍礁監視隊レンジャーとしての訓練を受けていないうえ、シィバの学装束はワイヤー降下に向いておらず、ミリィがシィバを抱えて降りる事になったのだが、その件で軽く一悶着があった後、ようやくティムズ達は地上へ降りる。


 ミリィは降下するまで、ティムズの顔をまともに見られずにいたが、降下の時点では気持ちを見事に切り替えて、あの瞬間のティムズの真顔を記憶の彼方に押しやる事に成功していた。但し、任務が終わった瞬間にどういう事になるかは判らない。


 その辺はティムズも察しており、周囲への警戒と同じくらい、ミリィの逆鱗に触れない様に気を使っていたのだった。



 ミリィの勘と、シィバの学者としての知見で定めた調査地点は、付近の森とは違う植生を持つ一帯だった。少しだけ盛り上がった土地に、本来はこの地には生えない樹木の森が広がっている。上空で滞空中のマリウレーダからは、特に危険を示す合図はは送られていない。三人は樹々の間を歩き回りながら、異変の原因を探った。


「……やはり、妙だ。この植生は、レベルAに近い領域のもののはず」

「何かの理由で突然生えてきたとか?」

「違うな。どれも樹齢は五十年を超えている。数年でこうなったとは、とても思えぬ」

「見ただけで判るのか」

「本来の専門は植物学だからな」

 周囲を見渡したティムズに、シィバが応える。

 そして、地面を埋め尽くしている大きな葉を拾い、困惑した声色を出した。

「ミリィ殿が違和感を感じたのなら、龍絡みであるのは間違いないはずだがなあ」


「いつもなら自信はあるんだけどね。今は、違和感だけしかないの。本当なら威圧感……みたいなものもあるような気がするんだけど」

「ふむ」

 ミリィの言葉に、シバは森を再び見回し、歩き出した。ティムズとミリィもその後に続く。


 森には、今のところ、何の驚異も存在していなかった。ありふれたものとすら言える、穏やかで、ただ存在するだけの自然、がそこにはあった。

 緩やかな風に梢が揺れ、葉擦れの囁きが周囲を包む。秋めいた紅葉に染まり掛けた樹から落ちた葉が、地面に豊かな模様を描いている。


「火山性の活動なら、地層のずれや、瓦斯ガスの噴出の形跡があるのだがな。お手上げだ。地面に穿孔を打つ、大規模な地下調査の必要があるかもしれぬ」

「……うーん……」

 シィバはがさがさと音を立て、葉の絨毯の上を行ったり来たりを繰り返した。その仕草はレッタが思索に耽る姿と似ていた。その間にもはらはらと紅葉が落ち、シィバの白髪に何枚かが乗っていく。

「………」シバは、葉が落ちる光景と、地を敷く葉絨毯に考え至る。

「落葉の数が多い……?やはり、地震が起きているのは確かなのか……?」



 その時、三人の背後でかさっ、小さなと音がした。


「!!」

 考え込むシィバはそのままに、二人の龍礁監視隊レンジャーは鋭く振り返り、腰鞄から幻剣術符を抜く。


 葉擦れや落葉の音とは違う、明らかな足音だった。レベルBの奥部においては、通常の動物が居るとは考えにくい。第四龍礁の地を巡る、龍脈に強く晒された生物は龍化を経て、新たな龍種となる。予期せぬ能力を得た龍が、また現れた可能性は十分にあった。


 ティムズとミリィは、音の主の、次の動向を待った。

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