第六節2項「砲炎弾雨」

「来たッ!」

「マリウレーダ、アダーカ!動いたぞ!包囲開始だ!!」


 青空と緑原を結ぶ白い線をその眼に捉えた龍礁監視隊員レンジャーたちは、すかさず、森陰から、強風吹きすさぶ平原へと跳び出した。

 風は一層強くなっていた。龍礁監視隊員レンジャーたちの跳躍術の跡に散った草は、宙を舞い踊るように吹かれ飛んでいく。


 ―――――――――――――――――


 急降下したエヴィタ=ステッチの、その細長く醜悪な頭部が地表に達すると、そのままの速度で急激に角度を変えて、地を掬い取るように大口を開け、草原すれすれを滑り飛び、パシズに向かってきた。

 その口腔に、びっしりと並列するやじりの様な牙を観る。


 パシズは、天に邪天龍の姿を認めた瞬間に、既に罠術符を仕掛けていた。両者の間に、網の目状の術式光が幾重にも展開し、エヴィタ=ステッチはその中へと飛び込んでいく。文字通り、


 だが、ブチブチと音を立てて術式網は呆気なく破り切られ、霧散していった。しかしその分、接近する速度は緩む。パシズは突進する巨体を躱し、草の中に転がり込込んだ。その眼前を、白く長い胴体、そして尾が流れていく。その身体には無数の傷がついている。この龍を追っていたアダーカ隊が数か月を掛けて戦った証だった。


(罠符残数、五。旋回してくる。速度低下、機動力の源は、あの術翅……!)


 あくまでも冷静に彼我の戦力と状況から次の手を探るパシズ。

 エヴィタ=ステッチは、巨体を波打たせながら、必殺の突進を躱した獲物の様子を探るように、その巨大な『眼』をパシズに向けたまま、周囲を円を描く様にゆっくりと飛んだ。


 その飛翔音は巨大な羽虫の羽ばたきの様に唸りを上げているが、見た限りでは、胴体から伸びるはねが実際に動いているようではなかった。恐らくは、あの半透明の翅は術式を帯びるもので、彼の龍はその力を以て飛翔しているものと推測される。強風に影響されずに飛んでいる事からも、それは確かだと思われた。


 パシズは、エヴィタ=ステッチの翅に迸る術式を見た。……来る!

 挙動を察知し、罠符を撒きながら後方へ、後方へと跳ね下がる。

(一つ、二つ、……三つ!)

 地面に落ちた罠符から、輝く縄の様な光が素早く伸び、エヴィタ=ステッチの胴体、そして翅に巻き付く。しかし、それも物ともしない邪天龍は、その全てを断ち、パシズに巨大な頭部を放り出した。

 術縄罠じゅつじょうわなの連発により、更に『遅くなった』突撃を躱したパシズは、エヴィタ=ステッチの頭を蹴り上がって、空中で身を捩りながら、その巨大な翅に対流槍の一撃を入れる。


 黒い術式が迸り、左翅が纏う術式光が虚空に消えるように分解されていく。パシズの初手は、エヴィタ=ステッチが高空へ飛ぶ力を一時的に奪った。だが、致命的な打撃を与えるものでもない。術翅は崩れゆく一方で、また新たな『翅』が再生を始めていた。


 着地して振り返ったパシズは、ゆらゆらと揺れるエヴィタ=ステッチが、鎌首をもたげて、その頭の動きを止めたさまを見る。

「気付いたな。だが、のがすかよ」

 対龍槍を一振りし、また黒い術式刃を展開する。余計な思惑は全て押し殺して。だが、完全に心を制御する前に、一度だけ、巨大な邪龍と対峙する状況を愉しむ、本来は持つ、本当の、自分の感情を表す。


「遊んでいこうぜ。なあ?」

 笑いながら、問い掛けた。


 ―――――――――――――――――

 

 接近する新手のレンジャー楊空艇の存在を察知した邪天龍を、あらゆる手を駆使して押し留めるパシズ。特に打撃を与えた術翅への追撃は、執拗と言える程に重ねた。再生には再生するなりに時間を掛け、力を使う必要があるようで、その間の飛翔の速度を大幅に制限する事ができる。だが、罠符は既に使い尽くした。如何に『最強の龍礁監視隊員レンジャー』と評される男と言えども、支援術符もなく、高位の龍と長時間を戦いきる事はできない。しかしそれでも良いのだ。全ては、この次の瞬間に繋げる為の布石でしかない。


 パシズと邪天龍が、幾度目かに衝突した時、草地の果てから現れ、高速で突入してきた龍礁監視隊員レンジャーたちが、両者の周囲を跳ね抜けながら光の線を引いた。

 結界術符を共鳴させる一時的な結界線を、滑り込むと同時に展開した彼等は、中央で相対する両者を取り囲む。

 パシズは、その瞬間を読んでいた。複雑に絡み合い、立方体状になった立体の術式陣が完全に構築される前に、後方へと跳ね下がって離脱する。術式陣に取り込まれたエヴィタ=ステッチの体表結界に激しい衝撃が走り、その動きは更に鈍った。


「どうよ!これが龍礁監視隊おれたちの真の実力ってヤツさ!」

 ゼェフ、アルハ、ミリィと共に突っ込んできたもう一人のアダーカ隊の龍礁監視隊員レンジャー、カルツ=ボラートが快哉を上げる。長らく追ってきたエヴィタ=ステッチを、ついに捕らえた。


 しかし、四人掛かりでの結界術でも、完全に動きを封じる事はできない。結界術とエヴィタ=ステッチの体表結界が相互に浸食し合い、相殺される破壊音が、暴風を切り裂くように鳴り響く。そして、最後の一手を下す者は、疾風を切り裂き、草原上を最低高度、しかし最高速度で近づいて来ていた。


 楊空艇マリウレーダ、アダーカは、ほぼ同時に、龍礁監視隊員レンジャーたちのもとに辿り着く。南北からエヴィタ=ステッチを挟み込む位置に静止。そして両基は防護結界を最大出力で展開した。

 円線が波紋の様に広がり、結びついた瞬間、楊空艇同士の間に、徐々に新たな光の筋が現れていく。互いを行き来する光の線は、やがてうねり、稲妻の様に迸る、複数の絡み合う『鎖』となった。


『ギィぃイィィいィィイィィぃ!』

 『鎖』に絡み取られたエヴィタ=ステッチは、黒板を掻きむしる様な、身の毛もよだつ咆哮を上げ、身体を捩り、捻じり、苦しむ。まるで長虫が苦悶するように丸まり、びくびくとのたうった。


「はは、マジで効果てきめんって奴だな……」

 タファールは気色を害したように苦笑う。おぞましい龍の姿への嫌悪もだが、それ以上に、現実に目の当たりにした術鎖の威力に、半ば呆れるように感心していた。

 その理論を構築した当人のレッタが、術鎖の状態を報告する。

「よし、このままいけます!収束まであと十秒!九!八……」



 しかし、死物狂いで暴れるエヴィタ=ステッチの尾は、龍自身も意図しない一撃となって、簡易結界の一角を構築していたゼェフに振り払われた。

「しまっ……」

 結界の構築に集中していたゼェフにそれを避ける事は出来なかった。双方にとって不意な尾撃は、彼の痩躯を薙ぎ払うには充分な威力であった。

 地上からの結界は綻んだ。その一瞬の機を、邪天龍は逃さなかった。楊空艇の間に完成しつつあった『鎖』から、するりとその身を解き、逃れた。


 ―――――――――――――――――


「……なんてこった。あと数秒だったのに!」

 タファールが思わず席前の制御盤に拳を叩きつけた。

 しかし、ピアスンは間隙なく、操舵担当の部下二人に指示を叩きつける。

「機関全速!とにかく追うんだ!逃がすんじゃないぞ!」


 交戦地点から北東へ向けて飛び去ったエヴィタ=ステッチ。

 楊空艇マリウレーダとアダーカは即座に転回しその後を追い、揺らめく白帯の様に薄緑の絨毯の上を泳ぎ飛ぶ、邪天龍の左右後方に取り着く。


「船長、砲撃ちましょう!」レッタが鋭く船長を振り返った。

「しかし、作戦目標は生け捕りだ……!」ピアスンは迷う。

「ちっとやそっとじゃ死にゃしませんよ!何にせよ、弱らせて動きを止めなきゃ術鎖で捉えるどころじゃねえ!」タファールが叫んだ。


「……判った。光術砲を全門開放!」

「アダーカ!聞こえるか?即時、射撃用意……」

 同様のやりとりは、並走する楊空艇アダーカのブリッジでも交わされていたようだ。ピアスンが通達を入れようとした矢先、アダーカの方からも連絡が入る。

『ピアスン、射撃の用意だ!翅が再生している!あのクソ龍、跳躍高空飛翔ハイジャンプをするつもりだよ!』


 並走する二基の楊空艇から、連装光術砲の砲火が、邪天龍に降り注いだ。


 斜めに降り注ぐ光雨を、エヴィタ=ステッチの体表結界が悉く弾き、雨に叩かれる水面みなもの如く、おびただしい数の波紋が発生した。だが二基の楊空艇からの十字砲火を以てしても、その動きを止める事は出来ない。エヴィタ=ステッチを逸れた光線は草原に次々と爆着し、邪天龍の飛ぶ軌跡に爆炎の跡を残す。


「マジかよ、これでも効かねえってのか」

 火器管制を制御するタファールが恐れをなしたように呟いた。

「リタエラ、翅だ。術翅に集中砲火!攻撃を緩めるな、高空へ逃がせば全てが終わる!」

 堪らず席を立ち、自ら後方の哨戒窓から砲撃の成果観測を行っていたピアスンが、光術砲の着弾が邪天龍の術翅生成を阻害している事に気付き、怒号を上げる。

 

『うるっさい!んなこた判ってんだ!そっちの方こそ、ケツ締めて気合を入れな!』

 焦れた女船長の檄が返って来た。


 ――――――――――――


「ぐっ……がはッ!」

 不図の尾撃を喰らって倒れていたゼェフが起き上がろうとし、血を吐く。

「すまない、油断した……!」

「ゼェフ先輩、動かないでください!」

 駆け寄ったアルハが、療術を開き、ゼェフの胸に掌を押し付ける。

「がふっ、あ、アルハ。もうちょっと、優しく、あっ」

「冗談言ってる場合ですか」「いや冗談ではなく、本当に」


 ダメージは大きいが、ひとまずは心配の必要はなさそうだ。パシズは、集まった龍礁監視隊員レンジャー達に、次に打つべき手を告げる。


「仕方あるまい。状況変更だ。術鎖の再展開には大出力が要るだろう。航行、砲撃と同時には行使できない」

「もう一度、地上我々の方で動きを封じる必要がある。追うぞ!」


 龍礁監視隊員レンジャーたちは、頷いた。その言葉が意味するものは、マリウレーダとアダーカの砲炎と光弾の雨の中に、自らも飛び込んでいくという事だった。


 ――――――――――――――


 二基の楊空艇からの並列斉射を浴びながらも、尚も北進を続けるエヴィタ=ステッチは、平野の外れから広がる森林上へと身を躍らせた。


『……まずいよ、マリウレーダ。近づき過ぎるんじゃない。そいつは――』

 術翅への砲撃の精度と威力を増そうと、邪天龍の背へ距離を詰めよと指示したピアスンに、リタエラの注意が入る。それは遅くはあらずとも、間に合いもしなかった。

 

 近づいたマリウレーダの眼前で、突如、エヴィタ=ステッチが身を翻して宙返り、機体直上へと舞い出た。空に逃げた訳ではない。速度と高度と位置を一手に合わせて、マリウレーダの『背中を取った』。

宙返り機動サマーソルト!うそでしょ!?」

 まさかの空戦機動マニューバ。知識がある故のレッタが驚愕する。


 エヴィタ=ステッチは、長大な身体をマリウレーダの機体に巻きつけた。その細い体躯からは想像できない程の力で締め付け、バギバギと結界を砕き、機体そのものも折り砕こうとする。ブリッジに、至る部位の構造部品が歪み、破壊される音が響いた。


「何てこと、すんのよ……!」

 苦痛に呻くマリウレーダに、もし顔があるとすれば、今のレッタの表情そのものだろう。そして、

「防護結界に全出…」

「やってるッ!」

 怒号を、ピアスンの命令に食い入らせた。

 

 その時、エヴィタ=ステッチの巨大な『眼』が、ブリッジ正面の前窓を覗き込んだ。

「……!……!!」

 戦慄するピアスンとレッタ。「ああ、やっぱりただの模様か。」タファールだけは冷静に、呆然と呟いた。結局、論議の的になっていたのは、『眼のように見える模様』だった。無機質且つ無慈悲。単なる象徴たる記号は、エヴィタ=ステッチの本当の目先の的を隠す為のもの。そして、模様の一番端に、それと言われなければ判らない程の、本当の、小さな金色の眼が在った。その眼は、ブリッジ内部に居る、ごちそうを見定めていた。

  


 アダーカの女船長・リタエラが、アダーカのクルーに命令を下す。

「撃てッ!!」

「ええっ!?けどアイツらはっ……」

「今にへし折られて、締め堕とされるよっ!良いから撃つんだ!!」

「りょ、了解っ」

 狼狽する火器管制官の男に唾を飛ばして怒鳴り上げる。


 アダーカからの対空火術砲の水平斉射は、締撃ていげきに喘ぐマリウレーダごと、エヴィタ=ステッチに撃ち浴びせられた。マリウレーダが素早く防護結界を全展開していた事が功を奏す。相殺された邪天龍の体表結界は若干の強度低下を引き起こし、その身体に直接の打撃を与え、そしてマリウレーダ自身は、アダーカの火術砲のダメージを幾分か抑える事ができた。


 衝撃波の光球が森林上にざざざざっ、と広がる。追いついた龍礁監視隊員レンジャーたちは、樹々の上空で炸裂する火砲の爆光に、腕顔守うでがおまもる。

 怯む彼等に、枝や木の葉が雨あられと降り注ぐ。

 引き剥がされたエヴィタ=ステッチは金切かなきる悲鳴を上げ、身体中から煙を燻らせ、身悶えながら空中を漂った。


「おうおう、派手にやってんな……!」カルツが歯を噛み笑う。

「高度が下がった、いくぞ!」間髪入れず、パシズが叫ぶ。


 再びエヴィタ=ステッチの周囲四隅に散らばり、地上結界線の構築に掛かる龍礁監視隊員レンジャーたち。しかし、

「駄目だ、これでは届かない……!」と、アルハ。

「だがやるしかねえ!いいな、四点展開だ!」カルツが叫ぶ。

 

 体表結界の表層を破られたエヴィタ=ステッチが身体をうねり返し、身体中から血が吹き出す様な赤い術式光を迸らせながら、一番近くにいた、結界構築中の地上の龍礁監視隊員レンジャー――ミリィに、襲い掛かった。

「っ!!」

 咄嗟に反応し、結界術符を放棄してその場を離れるミリィ。頭部、鋭い刃の様な術翅、そして波打つ鞭の様な尾撃、を次々と躱す。宙を蹴る翔躍の紫の瞬きが、何度も煌めいた。


 エヴィタ=ステッチとて必死。

 捨て身の攻撃でこの場を切り抜けようと、その身の全てを『投げ出して』敵対者を振り払わんと暴れ狂う。エヴィタ=ステッチの乱撃を、蜘蛛の子散るが如く跳ね回る龍礁監視隊員レンジャーたちもまた、必死で躱した。


「敵ながら良い判断だ。我々が居ては楊空艇の火砲は無いと踏んだか……!」

 パシズが上空の楊空艇を見上げ、口惜しむ。二基の楊空艇は、確かにエヴィタ=スタッチの周囲を跳ね回る龍礁監視隊員レンジャーが存在する事で、攻め手をこまねいているようだ。そして、マリウレーダは先程の締撃ていげきで、外殻と航行装置の一部、尾翼や補助翼の一部が破壊されている。再びエヴィタ=ステッチがこの場を離れれば、今のマリウレーダでは追う事は難しい。


 どうしても、如何なる手段を以てしても、絶対に、この場で決着をつけなければ。


 しかし、どうすれば?

 その一つの解は、既にパシズの脳裏に在った。それがもたらす危険リスク結果リターンを、素早く天秤に掛けるパシズ。

 

 しかし、揺れる量りが傾ぐより先に、ミリィが叫んだ。


「楊空艇!支援砲撃要請!私達に構わず、撃って!!」

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