第六節3項「英雄は、時既に遅く」
地上で交戦中の
何度目かの
左腕に青い術式光が立ち上がる。
龍族の注意を惹く、ミリィ独自の光術。だが、F/IIIクラス以上の高位の龍には通用しないことは、ミリィ自身が良く判っていた。
――それでも。
パシズは、
その目には焦りも決意も浮かんではいない。ただ、静かな一点の光を灯し、『前を向いているだけ』だ。
「……楊空艇!やるしかない!砲撃で地上に押し込め!そこに我々が結界線を引く。そして術鎖の再展開だ!」
ミリィの行動を読んだパシズが叫び、
『無理だ、あの野郎が外殻をバキバキにしてくれたおかげで、制御術式が崩れてる。砲撃も、鎖の再構成にも時間が掛かる!』
タファールの声が返ってくる。
『何考えてんだ!結界も無しに直撃すれば、蒸発――……』
リタエラの声は遠くなる。
――それでも。だからこそ。
ミリィは目を瞑り、そして見開く。上げた左手を力強く握り、纏った光を収束させた。弾けた光球は無数の粒子となり、消えた。
エヴィタ=ステッチの眼模様はその一部始終を観ていた。誘術の効果があったかどうかは定かではない。だから、ミリィは、この
「良い?あなたが追う相手は、私」
――私が、その隙を作ってみせる。
何故なら、私が最速だからだ。
刹那、エヴィタ=ステッチは巨体をくねらせ、ミリィに猛然と飛び掛かった。
――――――――――――――――――――――
全員が同時に動き、全ては同時に起こった。
後方に大きく跳ね跳んだミリィへ向かうエヴィタ=ステッチに、上空から機首を固定して横方向にスライドする楊空艇アダーカの連装光術砲の光筋が落ち、爆柱が群れ立つ。
ミリィが跳躍し、離れた跡は、もう次の瞬間には爆炎に呑み込まれる。火柱に照らされながら、その脇を、残りの罠術符全てを展開したパシズ、アルハ、カルツが疾走する。複数同時に伸びる術縄がエヴィタ=ステッチの全身を絡めとり、動きを鈍らせた。
尚も続く砲撃と罠術に、ついに邪天龍の肉体は地に堕つ。
雨は止んだ。エヴィタ=ステッチは術翅を深紅に染め、再び空へ舞い上がろうとする。だが、顕在した立体結界陣は、それを許さなかった。光術砲の掃射を止めた楊空艇アダーカと、後方から接近したマリウレーダの間に、再び術鎖が発動する。
光の磁界、鎖。力の奔流。稲妻のように激しい光と音が、周囲を満たしていく。そして、完全に収束した線が、術縄と立体結界陣の中で藻掻くエヴィタ=ステッチの周囲に術式の円を造った。
瞬く光が、楊空艇マリウレーダのブリッジを白と黒で染め、制御席で術鎖を制御するレッタの声に、力が籠もっていく。
「安定まで、五、四、三……!」
「二……!」
「一ッ!」
激しい雷鳴の様な轟きが、ふっと止まった。
―――――――――――――――
「まさか、これ……死んでんじゃねえの?」
「いいや、昇華が起きていない。生きてはいるさ」
術鎖の鳴動は止まり、風の音と楊空艇の機関音だけが残った。
収束した鎖は多重の光の輪となり、その中に閉じられたエヴィタ=ステッチは、浮遊したまま項垂れ、ぴくりとも動かなくなっていた。タファールとピアスンは共に、ひとまずの安堵の息を吐く。
一気呵成。楊空艇と
ただ一人を除いて。
エヴィタ=ステッチが完全に沈黙したのを確認したミリィが、ぱっと振り返る。
「
はっとしたパシズが、すぐさま伝信術を開き、アロロ・エリーテの襲撃を受けた包囲線を護る守備隊の状況を問う。
「
返事はない。
「……誰か、応答しろ!」
「………!!」
さぁっと顔が青ざめるミリィ、しかしその理由は、
その頭から背中が、大きく裂けた。
その中から、眩い光に包まれた何かが、ゆっくりと這い出てくる。
そのものは、術式の塊のように見えた。
「なっ……」
「なんだ、ありゃあ……?」
昇華ではなかった。未知の現象に困惑するアルハとカルツ。
楊空艇マリウレーダのブリッジが、
それは、邪天龍の後頭部を割り開いて立ち上がった。神々しい程にまばゆい光を伴い、具現化した術式は、実存する肉体へと変貌していく。その術式が全て収束し、閉じられたとき、白と赤色が入り交じる、異形の
『エヴィタ=ステッチの抜け殻』はゆっくりと地面に落ち、地響きを立てた。
「……
成すすべなく茫然と見つめていたミリィが、その現象の名を口にした。
龍礁の者が知る姿のエヴィタ=ステッチは亜成体、言わば幼体『二期』。
今、眼前で這い出でた龍こそが、邪天龍の真の『成体』と呼ぶべきものだった。
『んなアホな!何でもアリにも程があんだろ!!』
タファールの叫びは、この場に居る全ての者を代弁するもの。
"
「F/ IVクラス……」
絶句するピアスンに、次々と目の前で書き換わる術式から情報を読み取るタファールが応える。
「いや、まだF/IIIだ。それは間違いない。だが、こいつは……!」
――――――――――――――――――――――――
その動きを、少なくとも目で追う事ができたのはミリィだけだった。まるで陽光が鏡に反射するように、術式光が閃いた。
「ぱ……」――パシズ、避けて。
パシズは痛みを感じなかった。ただ一陣の風が吹き抜けるように、そっと撫でられただけの様に思える。近づかれた、と気付いた時にはもう遅かった。
反射的に身を守ろうと上げた右腕は、断たれた。
「……ッ!?……っ!!」
痛みよりも先に驚きと当惑がパシズの脳裏を巡る。後ろに倒れ込むパシズの目の前で、見慣れた、丸太のような腕が宙を舞った。
「バルアどの!」「パシズ!」
アルハとミリィ、カルツは、倒れたパシズの周囲を守るように取り囲み、術弩を構えた。たった今パシズを倒した『
「ぐッ……!う……!」「バルアどの、ぼくがやります!」
切断された右上椀を押さえ、必死に苦痛を噛み殺しながらも、なんとか立ち上がろうとするパシズを振り返ったアルハが、その
その手に開いた療術は通常の青色ではなく、緑を帯びた光を灯す。一般的な療術より効果が高いものを、ロロ・アロロ戦以降に習得したものだ。傷を即座に治すようなものではないが、少なくとも出血は迅速に止まっていく。
「
パシズが、軌道を変える度に閃光を放つ『アドルタ=エヴィト』の飛翔形態を、なんとか推察する。
激しく輝き散る光粒。
「カルツ、三時方向!」
ミリィの声に、咄嗟に反応したカルツが前面に術盾を展開するも、アドルタ=エヴィトの『術鎌』は易々とそれを断ち、戦衣の左袖を裂く。
「……ッ!」
「くそ……ッ!」
迎撃しようと術弩を構えたミリィが舌打つ。狙いを定めた時には既に飛び去り、光と共にその姿を消していた。
カルツのだらりと下げた左腕から、血がぼたぼたと垂れ落ちる。致命的な一撃ではなかったが、大きく斬られた傷は深い。圧倒的な速度差と威力だ。カルツは、頭上で滞空する楊空艇たちを睨むように見上げ、叫んだ。
「回収を頼む!ってか、こいつはもう、
『駄目だ、鎖をぶった斬られた時に、その分の霊基が逆流して、殆どの機能をやられた!身動きが取れない!』
『……こっちも……!』
両基から絶望的な返事が返って来た。
―――――――――――――――――――――――――――――
戦場の西を護る
彼等も数体のアロロ・エリーテの急襲を受け、死闘のさなかにあった。
残りは一体。だが、既に全員が大小の負傷を負っている彼等は、最後に残った一回り大きなアロロ・エリーテを仕留めきれずにいる。
「サクリアス!立って!」
女性の法術士が、翼撃を避けて倒れた
しかし、術構築は間に合わない。アロロ・エリーテはサクリアスの脚を踏みつけ、勝ち誇ったように天を仰ぎ、鳴いた。サクリアスは思わず両腕で守ろうとする。だが、この程度の防御に意味などあるのだろうか。まずは腕をやられる。そしてがら空きになった喉に牙を立てられる……一瞬の間にサクリアスの思索が巡った。
その時、樹間の木立から飛び出した、黒く大きな影が、そのままの速度でアロロ・エリーテの傍を駆け抜け、青い閃きが走る。
その一閃は、アロロ・エリーテの喉を裂いた。
「うわっ!?」瞬く光に目を背けるサクリアス。
その影は速度を緩める事なく、地を蹴る足音を打ち鳴らしながら、風の様にその場を駆け抜け、東方の森陰に吸い込まれていった。
急所への
「今のは、馬……?」
―――――――――――――――――――――
時、同じく。
「……あのアホ!!」
無口でぶっきらぼうな療術士は、包帯をベッドに投げつけた。
あの阿呆が病室から消えていた事を、まさにその瞬間、知ったのだ。
―――――――――――――――――――――――――
アドルタ=エヴィトの猛襲に晒される
だが、
「どういうつもりなんだ。これ程の力なら、ぼくらを殺すくらい造作もないはずなのに」
パシズの右腕の療術を続けるアルハが、周囲に散る飛翔の光を訝しんだ。
アルハの言う通り、術盾をまるで薄紙の様に裂く、あの術鎌であれば、獲物を斬り刻むのは容易だと思われた。
「嬲り殺しにするつもりなんだろ、性格悪いぜ……ってか、性格があるならだけどな」
カルツは、動く右腕だけで術弩を構えている。左腕の傷はもう治すつもりはない。この状況を打破する可能性がある、右手を塞ぐ訳にはいかなかった。
そして、また光が閃く。
「!!」
反応したミリィが横跳びで躱す。着地したアドルタ=エヴィトは、その場に留まったままの他の者には目をくれず、二撃、三撃とミリィへと鎌を振るい、ミリィは後方への回避を重ねた。
アドルタ=エヴィトはゆっくりと頭を上げ、その頭部にある『眼模様』をミリィに向ける。その時初めて、
その頭部には目も鼻も口もなかった。ただ、小さな頭部に、複数の円が重なる模様があり、節のある細い体躯を、白と赤のまだら模様がびっしりと埋め尽くしている。
体高は二エルタ強。パシズより頭二つ分高い程度で、前腕の一部は膨れ上がり、その先には鋭く細い指。そして腹部も異様に膨らんでおり、『幼体二期』と同じ形状の長く、歪な二尾がゆらゆらと揺れている。地上に立つ脚と呼べる部位は無かった。そして、背中からは何らかの器官が生え、そこから巨大な『術翅』が展開し、光の粒子が零れ落ちていた。
ミリィは忌避感に身体を震わせる。ロロ・アロロへの嫌悪感とは違う、本能的なものだ。それは、アドルタ=エヴィトの尾から分離し、下腹部から現れた、名状しがたい形状の『管と針』が立ち上がるのを見たことで、更に増す。
全員が理解した。この『成体』は死を前にして、本能を満たそうとしているのだ。本来ならば龍の肉体へ寄生させるものを、目の前の
アルハが座ったまま術弩を抜き、射る。その光矢はアドルタ=エヴィトの膨らんだ腹部に向かったが、再びアドルタ=エヴィトは飛翔し、それを躱した。
「何をぼけっとしているんですか!あいつは、あれは」
「ぼくたちに、卵を産みつけるつもりだ」
アドルタ=エヴィトの飛翔術光をなんとか追おうと、周囲を見回すアルハに、
「口に出して言うなよ……。あの野郎、性格どころか趣味がサイアクだ」
顔を青くしたカルツが応えた。
「………」
アルハの射撃で、パシズは何かに気付いた様に呟く。
「術矢を避けた。脅威だと感じている。攻撃を避けなければならない……」
はっと気づいたアルハが振り返る。
「つまり、体表結界は、術矢に耐えられない程に薄い……?」そして、
「もしくは、無い……!」三人の声が重なった。
「皆、そっちに行く!」「!」
ミリィの声に反応し、三人は迫る光影を辛うじて躱すと、草地に散り散りに転がった。
重症を負ったパシズはそのまま立ち上がれず、右腕の激痛に呻く。そして左腕を庇いながら立ち上がったカルツの目の前では、アドルタ=エヴィトの追撃をアルハが跳ね退きながら躱していた。
カルツが援護しようと術弩を構えた矢先に、アドルタ=エヴィトの背後からミリィの術矢が飛ぶ。しかし、バシン!という音と術式光を残して、またもや邪天龍”成体”は瞬く光の中に姿を消した。
ミリィとアルハは背中合わせになり、術弩を背腰の革ベルトの留め金に留めた。そして、同時に幻剣術を展開する。接近した所に至近距離からの一撃。今、可能性が最も高いのは、相手の襲撃の隙に勝機を賭ける、
―――――――――――――――――――――
草原の只中を駆ける馬一頭。
その背に跨るティムズ=イーストオウルは、楊空艇の砲火の跡が示す、戦場へと向かっていた。早駆けの振動が、未だ完治していない傷を疼かせる。
伝信術網の起動時に不在だったティムズに、戦況を知る由はなかった。そして、傷が残る身で、戦いに参加する意味があるのかと、自身で疑いもする。だが、行く事で何かを変えられる
馬が駆けた跡に散る、
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