第七節6項「リトル・アドベンチャー」
小さな冒険は、ふと始まる。
「よっ…妖精……!?」
「嘘でしょ……」
ティムズとミリィは、眼前一杯に現れた小さきものたちに度肝を抜かれていた。
二人が居るのは第四龍礁中心部、レベルB南部の高原地帯、大小の丘陵と森に囲まれた、数えきれない程の冷泉の群れの中。
まだまだ残る未調査の区域の、初歩的な地形測量などの基礎調査の為に、この地に降り立った二人が目の当たりにしたものは、泉と、その周辺に林立する若木。そしてその間を、鈴の様な飛翔音を鳴らしながら、薄い光を帯びた術翅を使って、楽しそうに飛び回る、人の肘腕程の大きさの龍たちだった。
一見、たおやかで可愛らしい少女の様な体躯から伸びる、鮮やかな色の体毛が、ドレスやローブの様にも見えなくもない。
細い手足に、長い尻尾。髪型?や体つき、体色は様々で、この一帯だけでも十数体の『妖精』が飛び回っているようだ。
「これ、もしかして、アーリーフェルン……霊精龍ってやつ?」
「ええ……凄い。本当に居たんだ」
御伽噺や寓話語られるそのものの姿。実在すら疑われており、この龍について触れている書物や資料は皆無に等しく、数少ない記述の殆どは『こんな龍も居るって言ってる奴がいるけど、小説とかの読みすぎだよね』という、まともな龍学者なら取り合わないようなものだった。
「一体、
「私も信じてなかった。かわい……くは、ない……いや、やっぱり可愛い、かな……?」
近くの木枝に止まったアーリーフェルンの頭部を、まじまじと観察したミリィが唸った。間近で見るとやはり龍の特徴的な、切れ長の瞳孔や牙の並ぶ口が見えたからだ。
「もうどんな龍が出て来てこようとも驚かないからな、俺はっ」
ティムズは、お互いにじいっと見つめ合うミリィと、アーリーフェルンの様子を見比べ、本当は心底たまげているのを誤魔化すように、呟いた。
しゃららん、という軽やかな響きに乗って、光筋を残しながら飛ぶアーリーフェルン達に見守られながら、二人は本来の仕事である測量と調査に取り掛かる。
測量に用いる測り棒の先端にちょこんと乗って羽根を休める者や、ミリィの後ろ跳ね髪を物珍しそうにくすぐる者や、ティムズの頭に乗っかろうとする者など、伝説の存在にしては、随分人懐っこい。……というか、すごく邪魔だ。
最初は気を遣って、彼女(?)達のやりたいようにやらせていたが、測量棒を倒されるなどの被害が続出して、全然作業が捗らない。
「ああ、もう!頼むから仕事させてくれよっ。今日は他にも色々と回らなきゃいけないんだからさ!」
痺れを切らして、しっしっ、と追い払う仕草をするティムズから逃れ、そしてまたまとわりついてくるアーリーフェルン。
一方でミリィは、持ち込んだ備品をアーリーフェルンたちが、がじがじっと
「ああぁっ、その巻尺は借り物の高級品なのっ、やめてえっ!」
「ううう……また給料から弁償しないといけなくなっちゃう……」
学術部から貸し出され、今は無残な姿になった測量器具たちを前に、ミリィはがっくりと項垂れて落ち込んだ。
アーリーフェルン達はあくまでも奔放に、なんとなく突然現れた
―――――――――――――――――
悪戦苦闘の末、なんとか予定の調査を終えた二人は、別行動で周辺の哨戒を行っていた楊空艇マリウレーダに連絡を入れ、回収されるのを待つ。
「ミリィ。そんなに落ち込むなよ。事情を話せば判ってくれるって……多分」
「でも、雑に扱うな、っていつも怒られてるのに、どうしてまたこんな事にい……」
恐らく過去最高の被害総額を叩き出し、大いに落胆しているミリィの代わりに、ティムズは荒らしに荒らされて辺りに散らばった備品などを拾い集めていた。
泉の畔に座り、頭を抱えているミリィの嘆息など露知らず、アーリーフェルン達は、時折、泉の水面すれすれを飛び、ぱちゃんと水面を蹴って水飛沫を上げている。
その戯れを暫くぼうっと見つめていたミリィは、少し気を取り直したようだ。
「……シィバがこの話を聞いたらさぞかし悔しがるだろうな。まさに伝説、って言える龍だし」
「そのシィバは何処で何してるんだ。暫く
「あの娘は本来、南方基地の所属だからね。あっちの仕事も忙しいんじゃないかな」
「成る程。どこもかしこも、皆、お忙しい限りで……って、おい、それは駄目だ!それは持っていくなよ、返せっ!」
慌てるティムズの声に、振り返るミリィ。
二匹のアーリーフェルンが、戦具を収めてある革帯を、よいしょ、よいしょ、と一生懸命引きずって持ち去ろうとしており、取り返そうとするティムズと取り合いになったところだった。
戦闘の可能性はないと判断して外していたのだが、その辺りに適当に放りだしていたティムズの方が悪い。
ミリィが笑い、なんとか奪還に成功して戻ってきたティムズに語り掛ける。南方基地の件で、ふと思い出したのだ。
「そうだ。南方基地の事なんだけど。今度、見学の申請をしようと思ってるの。一緒に休みをもらって、行ってみない?」
「へっ」
「あくまでも研修で、遊びに行くっていう訳じゃないわ。でも、折角だから、アルハやオーラン、それにオルテッドたち……も誘って、皆で行ってみたいなと思って」
「あ、ああ。それは面白そう……」
南方基地の事は色々と話を聞いているし、そこを拠点とするもう一つの楊空艇隊が、特殊な楊空艇を運用しているという話にも興味があった。不図のミリィの提案、誘いは、以前のティムズなら二つ返事で喜んでいただろう。だが。
言葉に紛れたアルハの名を聞き、一瞬だけ、答えに詰まる。
「……どうしたの?」
「……ん、いや。ほら、マリウレーダが戻ってきたから」
ミリィが不思議そうに見つめたが、ティムズは、丁度、周辺の哨戒から戻った楊空艇が、二人を回収するために高度を下げて来た気配に、気を取られた振りをした。
二人は無事にワイヤーで巻き上げられ、楊空艇マリウレーダへと帰還する。
しかし。
ティムズ達は知らなかった。
ミリィの鞄の中に、興味深々で近づき、覗き込んだアーリーフェルンが、するっと潜り込んでいた事を。
――――――――――――――――――――――
格納室に上がった二人は、測量器具をどさどさと床に置き、貨物扉を閉め。
「――じゃ、皆の休みが合うのはまだ当分先になりそうだけど、許可が下りたら、遊……じゃないや、見学に行こうねっ」
「ああ、楽しみだ。あそこの楊空艇ってマリウレーダやアダーカとはまた全然違うんだろ?」
「うん、第四龍礁史上で最大の船なのよ。何しろあの海域には、デ・ナルマスっていうすっごく大きい海棲のF/IIIが――」
『約束』を取りつけ、早くも気持ちが港湾基地に向いたミリィが、機嫌よく話を続けようとするが、
「……何を浮かれてるんだ。一体どうした、この有様は……?説明しろ」
二人を待ち、格納室の隅で立っていたパシズが、それを遮った。
盛大にぼろぼろにされた備品の数々を見下ろし、怪訝な顔をしているパシズに、ミリィが応える。
「ああ、これは……ね、聞いて。すごい龍と出逢ったの。パシズも聞いたら絶対にびっくりする龍!まさか本当に居るとは思わなかったなあ」
「勿体ぶらずにさっさと言え。私はそう簡単に驚いたりはしない」
パシズは、ティムズに渡された、地形調査結果をまとめた書類の方が大事だと言わんばかりに目を通したまま、明らかに興味がなさそうな口ぶりで返す。
「それがねー……」
ミリィが地上で出逢ったものの正体を明かそうとしたとき。
ミリィの鞄がもごもごと蠢き、次の瞬間、隠れていたアーリーフェルンが、鈴を打ち鳴らすような音を立てて飛び出した。
「きゃっ!」
ミリィがまるで女の子みたいな叫び声を上げる。
驚くティムズとミリィの前で、暗所に閉じ込められて一時的にパニックになったらしいアーリーフェルンは、格納室の壁に何度かぶつかって、ブリッジに繋がる通路扉から、逃げ去るようにして飛んでいった。
「……今のは……?」
呆気に取られて、その姿を見送るしかなかったミリィに、パシズが尋ねる。
「うん、あれがそう。アーリーフェルン。鞄に入ってたなんて、気付かなかった……」
「な……んだ、と……」
超びっくりしたパシズは、手に持っていた資料をバサバサと落とす。
「ば……」
「ばかもの!!アーリーフェルンはF/III龍だ!!」
「えっ」
間。
「えええぇっ!?」
今度はティムズとミリィが超びっくりした。
(非公式)F/III-二種一項-霊精龍『アーリーフェルン』
その存在を示唆する、あらゆる記述、記録は非公式の扱いとされているが、一部の
一見可愛らしく、無害そうな龍に見えても、その霊力と術式行使力は並外れており、好戦的ではないにしろ、逆鱗にひとたび触れてしまえば、楊空艇をも大破させる程の威力の術撃を放ちながら暴れ回るらしい。そして実際に、過去にたった一匹の霊精龍によって、楊空艇を轟沈せしめられた事例もあるという。
―――――――――――――
「――ビアード、大変だ!!アーリーフェルンが船内に!」
「な……んだ…と……」
血相を変えてブリッジに飛び込んだパシズの報告に、今度はピアスンが青褪め、手元に持っていた、何かの書類をばさばさと落とした。
パシズの背後から、ティムズとミリィも飛び込んでくる。
「す、すいません!私のせいです!てっきりスーラポネーと似たような龍だと思って……!」
「タファールっ!緊急事態だ!全索龍機構を解放!」
すぐさま叫んだピアスンだったが、タファールの呑気な声が返ってくる。
「んな事言われても、船内の龍なんて感知できませんって……。ほっときゃいいでしょ。その内、外部に面した通路あたりから、勝手に逃げ出していくんじゃないすか」
しかし、その楽観的予測は、マリウレーダのあちこちで、色んなものをひっくり返したり、ぶち当たったりする、がんがらごっしゃんばっきばき、という、不吉な破裂、破壊、衝撃音によって、即、打ち砕かれた。
「……全索龍機構を解放。船長、次の指示をお願いします」
タファールは、すげえ真顔になった。
「とにかく、機体基部に致命的な損傷を受ける前に、追い払うか、捕まえるしかない……!頼んだぞ、
「あ、ああ……」
「は、はい……」
「え、ええ……」
ピアスンは、呆然とする
かくして、楊空艇マリウレーダの内部を舞台にして、小さき龍を相手にする、大捕り物の幕が上がったのだった。
――――――――――――――――――――
「なんだろう、餌でおびき寄せるとか?チーズとかで」
「ネズミじゃねえんだから」
「じゃあどうしろって言うんだよ!」
「どうしろって言うんだって言ったか?こうしろ」
どうなったかというと、
幻剣の代わりに虫取り網を握ったティムズ達。
こうなった。
「こんなもん何処に積んでたんだよ、タファール……」
「うるせえ」
どたんばたん。
「居た!そっちに行った!」
「あああっ、窓を破って!窓から!窓から!」
「ティムズ、虫網は剣とは違うのだぞ。構えはこう……」
「それどころじゃないでしょう!」
「甲板に上がったぞ!外に追い払うチャンスだっ」
「…………!」「……!」「……っ……」
「なんでまた中に戻るんだよっっ!!」
「ギャレーに逃げ込んだわ!換気管を伝って!なんてすばしっこいの!」
「やめろー!それは俺のとっておきのレシピなんだあ!」
「ああっ、それ私の着替えっ!やだっ、外に投げないでえっ!」
(あ、空にミリィの下着が飛んでる)
「何じっくり眺めてるのよあんたっ!」
「……皆して何バカやってんのよ……」
楊空艇内のあっちこっちを駆け回り、大騒ぎをしている
その背後に、突如として現れたアーリーフェルンが、編み込んだ後髪を引っ張り、ぶんぶんと振り回し、レッタは金切声を上げた。
「痛っった!痛い痛い痛い痛い痛い!痛いって!」
「……何、すんの、よっ!!」
涙目になったレッタが身を捩り、足元にしまってあった工具を拾い上げて、アーリーフェルンに向けてぶんぶんと振り回すが、霊精龍は器用にそれを避けて、鈴音を残して、ブリッジを出ていった。
ふうふうと肩で息をするレッタに、操舵席の後ろに隠れていたタファールが、顔だけを覗かせた。
「行ったかい?」
襲撃を察知し、すぐに避難したのだ。助けようという素振りすら、ねえ。
「ちょっとこっち来なさいぶん殴ってやるわ」
工具を手にしたまま、タファールを険悪な顔で睨むレッタ。
「……すまん、急だったもので、つい」
レッタが振り返る。
ピアスンも船長席の後ろに隠れていた。
――――――――――――――――――――
「……くそっ、何処に行った……?……??」
アーリーフェルンの行方を捜して、楊空艇の通路を行ったり来たりしていたティムズは、片手にハンマーを携え、辺りを睨みながらのしのしと歩いてきたレッタとすれ違い、困惑した。
だいぶ機嫌が悪いようで、ティムズはたた呆然とレッタが、肩を怒らせる背姿を見送る。
そして、後からやってきたタファールが、小声で囁いた。
「何やってんだよお前ら……
レッタがキレたのは勿論、殆どはタファール(と、ほんの少しはピアスン)の
五人掛かりで包囲網を狭めた結果、ティムズが、甲板上で遂にアーリーフェルンを追い詰めた。しかし、アーリーフェルンは相変わらず、外に逃げ出そうというつもりはないらしい。
虫取り網を構えたティムズと、アーリーフェルンの最期の対決が始まった。
「てやあッ!」
「ぎゃあ!」
負けた。
顔を引っ掻かれたティムズが
態勢を立て直したティムズは、虫取り網の柄が容易く切断されているのを見て、ぞっとした。これでも一応、れっきとした作戦活動用の装備品で、頑強な霊木で造られているものだ。それを音も無く断つとは。
「ティムズっ!」
加勢に上がってきたミリィ、パシズ、レッタが甲板上に姿を現し、タファールは昇降口から、そのキノコ頭のみを、にょきっと覗かせる。
そして、アーリーフェルンは、何の前触れもなく、甲板上から機体の外へと飛び立った。
「……あれ?」
何をした訳でもなく、突如として訪れた決着に、全員が当惑する。
強いて言うのなら、マリウレーダがいつの間にか、アーリーフェルン達の
散々に機体を引っ掻き回されて、引っ張り回されたマリウレーダ隊は、アーリーフェルンがくるくると軌跡を描きながら飛び去っていく様を、ただ、呆然と見送った。
結局、アーリーフェルンは終始、遊んでいるだけだった。
いきなり現れた人間の若者たちが、仲が良くて、楽しそうだったから。
悪戯を仕掛けると、慌ててくれるのが面白かったから。
突然暗くて狭い場所に入り込んで、びっくりしたから。
見た事もない場所が珍しかったから。
初めて出逢ったものが、気になったから。
――ごめんね、みんな!でも、とっても楽しかった。また遊ぼうね!
若いアーリーフェルンは、地上で待つ仲間達の元へと舞い戻る。
迎えた霊精龍たちは、軽やかな鈴の音で、いっとき、姿を消していた仲間を怒り、心配し、安心し、何処へ行っていたのかと、尋ねる。
束の間の冒険を、仲間たちに語り、伝えた。
仲間たちは、驚き、笑い、羨ましがった。
――新しい友達が増えたよ!それも、一気に、七にんも!
小さな冒険者の、ちょっとした活劇は、これにて、一件落着。
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