第五節11項「一つの終わりは幾つの始まり」
焼き尽くされた苔やシダがくすぶる、焦げるにおい。そして、灰が舞う講堂の中央に、石壁から漏れた陽光の中に横たわるティムズの姿を見る。
「……ティムズ!!」
駆け寄って、その身体に手を伸ばそうとするミリィ。
「ティムズ!……しっかりして、ねえっ……っ……!」
息を吞み、
ミリィの声に反応したティムズの眼が、薄く、微かに開く。
「やあ、ミリィ……」
「……!ティムズ、動かないで!今、止血してるから」
「追ってた、女、法術士……あいつは、危険……」
「判ってる、知ってる!無理に喋っちゃ駄目」
ティムズは、遭遇した者の情報をなんとか伝えようと、呻く。しかし思索は引きちぎられた鎖の様に重く、寸断されていく。
「やばいかな、これ。寒くなって、きた」
精一杯、力なく笑ってみせ、ティムズは大きく息を吐くと、意識を完全に失った。
「ティムズ?だめよ、目を開けて!目を――」
「ミリィ、どうした?ティムズに何があった!」「……!」
程なく飛び込んできたパシズも、ミリィと傍らで倒れているティムズの元へと駆け寄り、その身体に深い
「どうしよう、パシズ。血が、血が止められないっ、どうすれば良い?どうすれば」
青褪めた顔でパシズを見上げ、必死にティムズの脇腹を抑えるミリィの手の間から、黒ずんだ血が溢れ出している。
「まずいぞ、肝臓をやられているかもしれん。急がねば、すぐに……し……」
「すぐに……?」
言葉を飲み込んだパシズを、今にも泣き出しそうな表情で、ミリィは見つめ続けていた。パシズは、ティムズの脇腹の傷に手を伸ばす。
「手をどけろ。俺が主要式をやるから、お前は上から補強式を乗せてくれ。やれるな?」
「でも、すぐに、マリウレーダに運ばなきゃ。皆に手伝って貰わなきゃ」
「取り乱すな!とにかくこの場で腹部の出血を止めねば、船まではとてももたん!」
パシズの怒号に、はっとして我に返ったミリィの目に、意思の光が戻り、はっきりと頷いた。
「……判った。手を離す。良い?」「よし」
ミリィに代わり、ティムズの脇腹を押さえるパシズの手に、ミリィは手を重ね、これまでにない程に集中した。賢狒龍との消耗戦で、残された霊力も残り僅か。それでも最後の一滴まで力を振り絞り、それまでに一度もなかった事だが、初めて、心の底から、神という者が居るのならば、どうか、仲間を、このひとを、助けさせてください、と祈った。
――――――――――――――――――――
…………。
深海からゆっくりと浮上していくように、意識の闇に光が溶け出していく。しかしティムズの身体は、本能的に意識が戻るのを嫌がった。痛みを再認識するのを避けようと、取り戻しかけている意識を、また奥底に引きずり込もうとしていた。
それを振り切って、ティムズは目を開けた。二段ベッドの裏側が目に入った。仮眠室は薄暗く、夜である、ということだけが最初に判った。試すまでもなく、起き上がるのは無理だと感じた。限界まで痛めつけられた身体は、動くことを拒んだ。そしてそんな身体に、包帯が何重にも巻かれまくっている所為でもある。ぎっちぎちだ。
楊空艇マリウレーダの中央居住ブロックに、幾つかある、クルー用の仮眠室の一つ。タファールが”収納場所”と呼ぶ、狭く、細長い室内には、木製の粗末な二段ベッドが無理矢理に
調度品らしい調度品は殆どない。部屋の隅に、これまた粗末なロッカーが一つと、ランプ等を置くキャビネット。そして丸椅子が一脚あるだけ。
低速で航行するマリウレーダの、低く唸る機関音の響きと、僅かな風切り音。聞き馴染んだ『仲間のこえ』に安堵したティムズは、寝台の下段で、ただぼんやりと頭上を見上げていた。
暫くして、外縁通路に面した扉が、静かに開いた。仄かな月明かりが差し込むのを感じたティムズが目だけを動かすと、月光に金髪を照らされ、部屋の中を、おずおずと覗き込んだミリィの顔が見えた。
「……おはよう。天国にしてはボロすぎるよ、このベッド」
ティムズは、掠れた声をかける。
「っ!よかった、気が付いた……」
ミリィの顔が驚き、明るくなった。寝台の傍へといそいそと近づく。月明かりに浮かぶ戦衣の袖にはティムズの血が滲んだままだ。だが、彼女自身には、目立った外傷はなさそうだった。ティムズはミリィと同じぐらいにほっとする。
ミリィは、ベッドの傍らの木椅子に腰掛けた。
「……具合、どう?」
「リャスナ……いや、密猟者の、女は?」
容体を気に掛けるミリィに、ティムズは尋ね返した。目覚めて蘇った痛みが、気を失う前の危機感も連れ戻していた。ミリィは少し間を置いて、応える。
「行方は判らない。本当に強力な術士……追跡は一旦諦めたの。船長とパシズの判断よ」
ミリィは、少し辛そうに微笑む。
「それに、傷ついたあなたを放って追う訳にもいかなかったから」
「……すまない、俺が、もっとしっかりしてれば……一人で行くんじゃなかった」
「そんなことない。あなたは出来るだけの事をした。責めるなら、ついていけなかった私達を責めて」
「………」
それでも悔しさを滲ませ、押し黙るティムズに、ミリィは事の顛末を語る。
「あなたを船に戻した後、あの寺院跡を調べた。連中はあそこを拠点に活動して、集めた龍族素材を保管していたの。あの女……は、それを取りに戻ったのね」
「でも、あなたのせいで、全ては持って行けなかったみたい。殆どは、私達が回収できた」
そして、ティムズを励まそうと、口調に力が籠った。
「だから、あなたが彼女を追ったのは正しかった。決して、無駄じゃなかった」
「捕まえてたらもっと無駄じゃなかったさ」ティムズは自虐的に笑う。
ティムズにとっては、ただの慰めに過ぎなかった。逃しさえしなければ、確かにその通りだと胸を張れたのだが。
ミリィは、暫くティムズの顔を見つめて、やがて静かに呟く。
「私は、ただ……あなたが助かってくれた。それで、充分」
ティムズの目は、ミリィの方に向いた。明かり窓から入る僅かな月明かりに照らされた彼女は、三日月の様だった。その影にある表情は、よく見えない。しかし、ミリィの言葉と、血に汚れた袖から、手を尽くしてくれであろうことを想った。
「……助けてくれて、ありがとう」そして、素直な言葉が漏れる。
「それに、心配させて、ごめん」
「ううん、私じゃない。皆のおかげ」ミリィが首を振る。
「皆……タファールのおかげでもあるのか。ここ、本当はあいつの寝床だし」
「そうね。『回復したら、きちんとシーツを洗って返して貰う』って言ってた」
「それって、あいつ流の『頼む、死なないでくれ』って意味かな」
「そうなんじゃない?」
笑って脇腹の痛みに耐えるティムズ。ミリィもくすくすと笑った。
だが、ティムズの笑顔はふと消える。自分を瀕死に追い込んだ
「…………」ミリィの、紫の眼を見ようと、じっと見凝らす。
そんな事を知る由もないはずのミリィが、ティムズの頭に浮かんだ名を見て取ったように、口を開いた。
「……リャスナという女や、ウォロスタシア解放戦線のことは、捕えた男二人から聞き出してる。だから、今は何も考えずに、休んで」
「……ああ」
リャスナとは決定的に違う、慈しむような声に、ティムズの不安は拭われる。痛みが和らいでいく感覚すらした。苦痛と戦い続けていた身体の力は緩み、痛みの代わりに気怠い眠気、が身体を満たしていく。
しかし、あまりにも大量に、強固に巻かれていた包帯の締め付けが邪魔をした。
「ところで、この包帯、やりすぎじゃない?殆ど身動き取れないんだけど……」
「えっ?ああ、うん……そうかな?」
「犯人はきみか」
ミリィは確かに必死にティムズを救おうとした。ただ、必死になりすぎたあまりに、マリウレーダに積まれていた包帯をかたっぱしから巻いたのだ。
「気持ちはありがたいけどさ、ものには限度ってもんがあるよね」
呆れるティムズ。ミリィは恥ずかしそうに顔を伏せ、口籠った。
「だって、あんなに血が出て。……死んじゃうかと思ったんだもん……」
それは、目の前で、大事なひとを失いかけた恐怖を、思い出したからでもある。
―――――――――――
密猟者から奪取した素材の輸送と、そして何より負傷したティムズの搬送の為に、楊空艇マリウレーダは第四龍礁管理局本部へと帰還する。勿論、ティムズは治療を受ける為に、療術士たちが待ち構えていた療術棟へと、即刻放り込まれた。
パシズやミリィ以下、マリウレーダ隊の総力を挙げた応急処置は功を奏した。おかげで命に別状はなく、更に、重篤な後遺症が残る可能性もないだろう、と療術主任は語った。この朗報はティムズを知る者達を大いに安堵させ、しかし、調子に乗らせる事ともなった。
ティムズの入院を知り、心配してくれた同僚たちが、入れ替わり立ち代わり訪れ、
衛生学上はどうかと思われる行為だが、死にかける程の重症を負った者へ、それぞれが知る色々な療術式をとりあえずブチ込んでおけば、治癒力が多少なりとも増すのではないか、という、アラウスベリアの慣習というか風習というか迷信であり、効果があるかどうかは定かではない、いわゆる「おまじない」というやつだ。
特に、素材管理部の主任、マルコ="マリー"=フォートレスが必要以上に触ってくるので、ティムズは辟易し、ついにキレた。
「やめっ……どこ触ってんだよマリー……マルコ!!」
「うーん、いい筋肉の付き方してきたわネー。
「誰か助けてぇ!!」
絶叫して逃亡しようとしたティムズは、ベッドの上で悶絶し、喘いだ。
こうした理由で、ティムズの療室の扉に『面会謝絶』の札が掛けられるまで、さほど時間は掛からなかった。命からがら帰還してから、たったの二日後の事である。
騒ぎは勘弁だが、誰も来てくれないとなると、それはそれでさみしい。ティムズは出歩ける程に回復するまで、時折包帯を替えにくる無口でぶっきらぼうな療術士(四十五歳、男性)としか顔を合わせられなかった。
――――――――――――――――
時は遡り、帰還翌日の昼。
ティムズの災難はさておき、マリウレーダ隊の面々は、再び空へ発つ準備に追われていた。逃走したリャスナの追跡は最も優先すべき事ではあったが、学術部からもまた新たな調査依頼が舞い込んでおり、一応は内容に目を通す必要がある。龍礁という地においては、どんな些細な出来事でも何かの予兆かもしれないのだ。
「とは言え!ああもう、一体いくつの案件を抱えりゃいいんすか、俺たちゃ」
タファールが、調査要望書の束を、長机にどさっと放り投げた。
「文句では仕事は終わらんぞ、タファール。一つ一つ潰していくのみだ」
ピアスンは手元の書類に目を留めたまま、窘める。
「それにしたって、この量はあんまりすよ」束の一番上の書類を手に取る。
「微弱な地震活動、孔雀龍の鱗の収集、歌龍の捜索……?なんだこれ、こんなもん調べてどうすんだ」
「孔雀龍の件は私も少し興味があるな。楊空艇のパーツにもってこいの素材だし」
「この楊空艇オタク」「それは褒め言葉だっつってんの」
口を挟んだレッタが、タファールの素早い罵倒をあっさりといなす。タファールはレッタをじと目で睨んでいると、捕えた密猟者男二人への取調べを終えたジャフレアムとパシズが、談話室へ入ってきた。
―――――――――――
「連中の話は、概ねティムズの証言と一致した。連中は確かにウォロスタシア解放戦線と名乗る、いわゆるレジスタンスに属する者たちの様だ。かの国の事は私も良く知らないが、為政者による弾圧と迫害が長年横行しており、反旗を翻した人民たちが武装決起、その資金調達を目的にこの地に来た……という事らしい」
「ウォロスタシアは
ピアスンの傍らに立つパシズの報告を、長机の対面に立つジャフレアムが引き継ぎ、溜息を吐いた。杞憂を浮かべる紫髪の若き上司に、ピアスンは厳しい目を向ける。
「この数か月のリドリアの動きは緩慢すぎる。最早機能不全と言う他ない。イアレース管理官。あなたはリドリアへ出向いたんでしょう。一体何が起こっているのか教えてくれ。運営に口を出す立場ではないと自重してきたが、部下が死にかけた。密猟者も増加傾向にある。命を賭けて闘う者たちに報いるために、我々にも情報を共有してほしい」
「……私にも良く判らないのだ。ただ、委員会の顔ぶれが以前とは全く変わっている。局長にも面会したが、まともな話は何一つ出来なかった。すまない、私も手は尽くしているが、この件は政治に関わるものだ。そして、道義を持たざる為政者は、得てして、事実を隠すことを自らの力として、振るう」
「とにかくですね、イアレース上級管理官どの。その辺の話はともかく、無理なもんは無理です。ティムズ隊員の負傷もあり、我々の作戦遂行能力は著しく低下しております。余計な仕事を増やすなと学術部の連中に命令してください」
それまで三人の会話を黙って聞いていたタファールが、痺れを切らした。
だが、その言葉を呼び水としたかのように、マリウレーダ隊には、また新たな『余計な仕事』が増える事になる。
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