第五節『深央旅索』

第五節1項「スターテッド・オーバー」

 どこまでも澄み渡る真夏の青空をける、一つの影。


 第四龍礁管理局の直属として、龍礁内部で発生する様々な事件、事故に対応する為に編成されている幾つかの龍礁監視隊レンジャーが駆る楊空艇の一つ、『マリウレーダ』は、その全長三十エルタ(m)ほどの機体に、刺す様な陽光を浴びながら、第四龍礁の中央部『レベルB』上空を航行していた。


 深く、濃い蒼色に銀の装飾が施された配色は、それだけ見れば気品を感じさせるもののはずだが、各所に事後的に装備された翼や、危険な龍との戦闘に耐えるべく増強された追加装甲板(しかも大いに傷ついている)のせいで、極めてアンバランスな外見になっており、この一見ごちゃごちゃした古い楊空艇を知る、龍礁に携わる者たちの意見は総じて「よくもアレで飛べるものだ」というものだった。


 八カ月前、嵐の夜に遭遇したF/IIIエフ・スリークラスの龍との交戦で大破し、長らく修復を受けていたが、大勢の努力と知恵によって、約三か月前に再び空へと復帰する。


 外見とは裏腹に――見たままの通りとも言える――多種多様な改造がなされた機体は、現在、龍礁に配備されている他の楊空艇に勝るとも劣らない性能を発揮し、龍礁内に生息する龍族の調査や、それを狙う密猟者の捕縛、更には人間に危害を与える龍種の討伐など、様々な任務で八面六臂の活躍を見せていた。


 ―――――――――――


 新緑に染まる森林を眼下に望みながら、地上100エルタほどを飛ぶ機体の、後部側面の整備ハッチから地上を見下ろす一人の青年。片手片足だけを機体に掛け、全身を機体の外に放り出していて、手が滑れば真っ逆さまという格好だが、その表情に落下への恐れは無い。


 龍礁監視隊員レンジャーが活動時に着用する制服(戦衣)と、配属当初より少しだけ伸びた黒髪が飛翔の風圧で踊る。そして『彼』のゴーグルの奥の黒い瞳が、地上を流れる森から滲み出る黒い影の群れを捉えた。


「……ここにもか……!」


 ゴーグルを上げ、目を凝らしたティムズ=イーストオウルは影の正体に舌打ちすると、機体内部に飛び込んで、各所に設置されている伝信術プレートに手を当てた。

 叫び声が機関の唸り声と飛翔の風切り音をねじ伏せる。


「ブリッジ!ロロ・アロロを視認した!!わんさか来る!」

『……!……!!………っ!』


 ぼんやりと青く光る木板を通し、若い男の声が返って来るが、周囲の雑音に埋もれて良く聴き取れない。だが次の瞬間には、それをものともしない、大型の獣の様な野太い声が割り込み、木板がびりびりと震えた。


『タファール、どけッ!』

『ティムズ!ミリィ!上に上がるぞ!!甲板上で応戦用意だ!』

「了解!」


 怒号で応えたティムズはそのままの勢いで木扉を力任せに閉め、狭く暗い連絡通路を駆け抜ける。機体中心部の居住区画の脇に差し掛かったところで、機関音が更に力強くなり、各種の翼を展開するガコンガコンという音が響き、マリウレーダが高度を上げ、戦闘機動に移った事を示した。


 細い階段を駆け上がり、機体上面の狭い甲板に出る。

 そこでは既に、屈強な体躯を持つ灰色の髪の男性と、金髪を後ろで束ねた女性が、迫る邪龍との戦闘に向けて準備を整えている最中だった。


「術弩の『矢』が残り少ない!あの数を相手にするのはキツいですよ!」

 ティムズは到着するなり、灰色髪の男性の背中に声を投げる。


「落ち着け。我々は機体に取り付いた奴を引き剥がす事に専念する。術弩の出力は最小限に絞っておけ。仕留める事は叶わずとも、とにかくこの空域から離脱するまで持ちこたえるのだ」

 焦燥する声に対し、パシズ=バルアが冷静に、低い声で応えた。


 ティムズは凛々しく頷くが、その口から出たのは、引き締まった表情とは裏腹の、全く自信のない小声だった。

「はい。……ええと、どうやるんでしたっけ」


 屈んで装備品の確認をしていたミリィ=シュハルがぱっと顔を上げ、またか、という顔をした。


「まだ覚えてないの!?あなたの国から送られてきた武器なのに!」

「そんな事言われたって知らないよ!」

「散々訓練して来ておいてそれはないでしょう!」

「知ってるだろ、精度が必要な法術は苦手なんだって!!」


「言い争っている場合か!」

 パシズの一喝。

 ティムズとミリィはお互いを睨みながら、ファスリア製の術弩を起動した。


 三か月前のロロ・アロロの大群との決戦で損耗した術弩に代わり、ティムズの母国、ファスリアから供出を受けて導入された最新式の術弩は、上手く法術式を扱えば射出する光矢の威力、数を自由自在に調整できるという代物だったが、ティムズはこういった器用さが要求される法術に関しては、相変わらず、満遍なく、きっちりと不得手のままだった。



 機体全体が大きく振動した。マリウレーダの各部位から法術式の光が次々と展開し、回転しながら幾重にも重なって、射撃準備スピンアップが完了する。


 急ぎ戦闘の用意を終えた3人は一様に柵から身を乗り出し、戦端の暁を見守った。


 ―――――――――――――――――


『ロロロアロロロッ!!』


 その名前の由来となっている独特の咆哮と共に、小柄な黒色の龍の一群が、獰猛にマリウレーダに向けて飛び迫っていた。その数、目算でおよそ数十。


 先頭を飛ぶロロ・アロロが射程圏内に達すると、マリウレーダが展開している術式が収束し、数えきれない程の針の様な光が、飛来するロロ・アロロの群れに一斉に降り注ぐ。


 直撃を受けたロロ・アロロたちの身体が黒い霧となって散る。

 その闇を払って飛び出した幾体かの龍が、他よりも明らかに速い速度で旋回し、マリウレーダの射撃をことごとく搔い潜り、マリウーダよりも上空へと一気に昇っていった。


「……アロロ・エリーテ!!上を取られた!来るぞ、構えろ!」


 見上げたパシズが一息に叫ぶ。


 素早く幻剣を開き、応戦体勢を取った3人を取り囲む様に、甲板上に3体の『ロロ・アロロ・エリーテ』が爪音を立てて着地した。以前に3人が交戦した個体よりは一回り小さいが、身体の細部は獲物への殺意を具現化したように、より攻撃的に進化している。


 三人が相手のその姿形から特性を類推するいとまもなく、アロロ・エリーテは示し合わせたかの様に、同時に襲いかかってきた。


 お互いを支援する為に固まっていた3人は否応なく散り散りに回避せざるを得ず、呆気なく分断されてしまい、それぞれの戦いが始まった。


 ――――――――――――


 飛び掛かるアロロ・エリーテの牙、翼爪を躱したティムズが、対峙する歪な邪龍の姿を見据え、悪態を浴びせる。


「相っ変わらずキモいな、お前ら!!」


 意味が無いことではない。気迫を以て精神的な優位を誇示ことは、野生の獣を相手する際には、大抵においては有効な手段だからだ。言葉の内容はただの罵倒だが。


 詳細な意図は通じなくとも、覇気に圧されたアロロ・エリーテはティムズを観察するように首を傾ぎ、動きを止める。ティムズは素早く深呼吸し、眼前の敵を真っ直ぐ見据えたまま、その向こうで、既に戦っている仲間の様子に意識を向けた。


 ミリィもパシズも、展開した幻剣を手に、相対する邪龍と激しい攻防を繰り広げている。素早く動き回り、アロロ・エリーテを翻弄するミリィと、無駄のない最小限の動きで、的確に相手の隙を突き、行動そのものを潰していくパシズ。戦闘様式は全くの正反対だが、どちらもアロロ・エリーテと互角以上に渡り合っている。


 龍礁監視隊員レンジャーたちが以前まで扱っていた幻剣術符は、術式が封じられた木製の短剣から非実体の光剣を放ち、相手に衝撃を与える程度の威力だったが、これもまたファスリアから供述された軍用の上位互換品と代替されており、軽鋼の剣と遜色ない『切れ味』を持つものになっていた。ロロ・アロロの出現と前後し龍礁全体の警戒レベルが引き上げられた事により、これら高位の『対龍装備』は順次解禁されていた。


 これにより、龍礁監視隊員レンジャー個人の対龍戦力は飛躍的に向上していた。ただ、それも武器があれば誰でも言う訳ではない、それを扱う為の基礎訓練に、日々研鑽を重ねているからこそでもある。


 ティムズは意識を相対する敵アロロ・エリーテに戻す。

 じりじりと間合いを測り、お互いの初手を伺う、戦意を秘めた黒曜石の様な瞳と、虚無を湛えた白蝋はくろうまなこが交錯した。


(……行くぞッ!)


 心の中で一人、自分自身へ向けたときの声を上げたティムズの左手が素早く動き、腰に下げていた術弩を抜く。

 狙いも定めぬまま片手で構えた術弩から幾本もの光矢が放射状に放たれた。反応したアロロ・エリーテは身を守ろうと翼を丸めて身体を覆う。すると翼の表面に、禍々しい紋様が浮かび、光矢は容易く弾かれた。


 だが、ティムズは矢を放つとすかさず前方へ跳び、距離を詰めていた。


 低い態勢から、邪龍の頭部へ目掛けて幻剣を振り上げる。

 一撃。

 返す刀で袈裟斬り。

 二撃。

 更に腹部へ横一閃。

 三撃。


 しかしどの剣撃もアロロ・エリーテの結界に阻まれ、光刃はその身体までは達しない。幻剣を弾いた防御結界の術式の波紋が瞬く。浴びせられた連撃に怯んだアロロ・エリーテがよろめいて2歩、3歩と後ずさり、更に身を翻したティムズが間髪入れず、喉元に向けて至近距離からの術弩の連射を撃ち込んだ。


 爆竹の如く弾ける光。


 凄まじい衝撃に両者は弾き合うように離れ、ティムズは後ずさりながら着地した。

 直近の射撃ですら、その殆どを防がれてしまったが、結界を破った一筋の光矢がアロロ・エリーテの肩を貫き、ぶすぶすと煙を上げていた。


 体勢を持ち直し、頭を下げて姿勢を低くした邪龍は、歪んだ牙を剥き出しにして吠える。まるで、傷付けられた事で更に膨らんだ怒りと殺意そのもので、ティムズをほふろうとするかのように。


(……硬い。けど、やれる!)


 渾身の連続攻撃も決定打足り得ず。

 しかしそれでも、ティムズの一矢いっしは、殺戮と嗜虐しぎゃくを顕現する漆黒の龍の身体へ、小さくも確かな傷を穿うがった。



 ――――――――――――――――――――――


「くそったれ!これで何度目だよ!頭数ばかり揃えてちょこまかしやがって!!」


 タファール=ネルハッドが火器管制を司る術式を必死に操りながら毒づいた。

「船長、これは不利っすよ!このままじゃオーバーロードする!」


 機体の最前部に位置する操舵室。

 狭い室内には5つの席があり、中央側面に2つずつ、後方中央に1。本来は4名で行うはずの操舵制御を担当するのは、若いキノコの様な刈り上げた黒髪の青年と、ぼさぼさの赤茶髪を後ろで大きく編んだ眼鏡の女性のふたりだけ。


 後方の船長席では船長キャプテン帽子とフラック・コートをまとった、いかにも『船長』といった風体の、ロマンスグレーの男性が椅子から身を乗り出していた。


 ビアード=ピアスンが帽子を押さえながら鋭く命令を下す。

「方位200!急速降下いっぱい!目標高度0、谷に降りるぞ!」


 タファールの背後で、背中合わせで座っていたレッタ=バレナリーがぎょっとして振り返る。素早く振り返ったので眼鏡が落ちそうになり、指で押さえた。

「ぜっ、ゼロ?船長!それは……っ」


 しかし、ピアスン船長の決然たる表情を見てレッタは言葉を飲み、そして叫んだ。


「……了解!タファール!航行制御コントロールは全てこっちに回して!他は全部あんたに任せる!」



 マリウレーダ隊は空へ復帰して以降、レベルBの哨戒活動、及び生息している龍族の生態調査を主な任務としていたが、至る所に『湧く』ロロ・アロロの掃討にも追われていた。

 龍礁本部近辺の制圧を完了させたのち、『央部』と呼ばれる東方の奥地への調査飛行を継続しており、その任務中でしばしばロロ・アロロの群れと遭遇、交戦を繰り返しており、今まさに襲い来る一群はその中でも最大規模と見られた。



 ――――――――――――


「はァっ!」


 気迫の一声と共に、パシズの対龍槍がアロロ・エリーテの脚部を貫いた。

 激痛にのたうちまわる邪龍は側面の柵を乗り越え、機体各所に身体を打ち付けながら後方の推進機関に吸い込まれ、瞬時に蒸発し、白昼の青空に光の粒子となって散る。


 パシズが周囲の状況に目を走らせる。マリウレーダの対空射撃をすり抜けてきたロロ・アロロの通常個体が機体を包囲する様に飛び回り、追撃を加えんと続々と甲板に飛来してきていた。交戦中のティムズとミリィに目を向けるが、加勢する間はない。術弩を抜いて接近するロロ・アロロを次々と撃ち抜いていく。


(まずいぞ、ビアード!機体そのものを狙って来ている!)


 飽和攻撃を続けるロロ・アロロは、次第に甲板上の生者3人だけではなくマリウレーダの機体各部に張り付き、牙や爪を立て始めていた。



「私たちを釘付けにするつもりなのね……!」


 ミリィも単独のアロロ・エリーテをずっと相手させられている事に危惧しつつも、その強固な守りをなかなか崩せずに居た。手数で優位を保ってはいるが、何重にも展開する術式を突破するには、パシズの対龍槍並みの出力が必要と思われた。

 

(……試してみるしかないか)


 ミリィは何度も繰り返し見せた様に、アロロ・エリーテの懐へ跳び込む。

 剣撃を警戒して、翼で身を覆う邪龍。


 だがミリィは直前で急制動を掛けて立ち止まり、おもむろに左掌をかざした。ミリィの左腕から一気に術式が開き、雷撃が現出し、翼に浮かんだ防御結界を打ち砕く――。


 レッタ謹製の雷術符に過負荷をかけて解き放ち、雷撃を与える術。以前にティムズで『実験』して以降、細かい改良を重ねていたものだ。

 ミリィが得意とする翔躍と同様に、術符の霊基を全て消費するため、たった一度しか使えないが、その代価として瞬間的に絶大な威力を発揮する事が可能だった。

 ティムズが垣間見せる『強跳躍』をレッタなりに解析、応用を試みていたものでもある。


 ――くるりと回転し、鋭く薙ぎ払ったミリィの幻剣が、邪龍の翼を瞬断した。

 そして破られた結界と翼、僅かな間隙を縫った光刃を胸に突き立てる。


 腕に伝わる感触に、ミリィは歯を食いしばった。


 アロロ・エリーテの身体がぐらりと揺れ、倒れるのと同時に、マリウレーダ各部の可変翼が次々と動き出す音が響き始める。


「……!!」

 パシズとミリィが顔を見合わせ、それから、残り一体のアロロ・エリーテと戦っているティムズの方を向いて叫ぶ。


「「『何かに掴ま』れ!」って!」

「えっ……うわッ!?」


 迎撃可能な許容範囲を超え、マリウレーダはまとわりつくロロ・アロロの包囲を突破出来るだけの速度を得る為に、機首を大きく下げ、急降下を開始した。搭乗歴の長いパシズとミリィはその挙動をすぐに察知したが、初搭乗からまだ日の浅いティムズには予期できず、斜めになった甲板を、対峙していたアロロ・エリーテと共に転がり落ちていく。


 アロロ・エリーテにとっても完全な不意打ちで、飛翔して逃れる事も出来なかったようだ。混乱した邪龍は一時的にティムズから意識が外れ、防御結界の術式も乱れる。ティムズは転がりながらもその隙を捉え、回転する視界の中、アロロ・エリーテの首筋へ向けて剣筋を走らせた。


 首を裂かれた邪龍は、空気混じりの断末魔を上げ絶命し、腐り崩れていく。


 目端で止めを刺したことをしっかりと見届けたティムズは、それ故に受け身を取るという事を完全に失念していた。転がり切った先の壁面に強かに後頭部を打ち、昏倒する。力の抜けた身体がずるずると、甲板のふちへと流れた。

 手から取り落とした幻剣術符がカタカタと音を立てて跳ね転がり、木柵の間から地上の森へと落ちていく。


「ティムズ!!」

 

 柵に捕まっていたミリィが叫び、甲板上を滑り降りて、今にも落下しそうなティムズへと手を伸ばし、その手がティムズの袖を握った瞬間。


 楊空艇マリウレーダの周囲に、閃光が走った。

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