第三節10項『交錯する線/穿たれていく点.』

「あの……馬鹿どもがあぁぁ!!」


 パシズは地面に向かって、渾身の怒りを込めて叫んだ。

 制止を無視して駆け出していったミリィと、それを追っていったティムズへの怒りもだが、何よりも、肝心な時に『また』身動きが取れなくなった自分への慚愧ざんきの念が爆発した。

 

 しかし、やるべきことをやらなければ。顔を上げたパシズが、手首に巻いたバンドに仕込まれた伝信術符を展開して、冷静に、緊急事態発生の文言を告げる。


「緊急。緊急。こちらデアボラ2。緊急。ケース4発生。座標57-4-23。至急全隊に通達してくれ。対象は本座標から東に向かい逃走中、繰り返す……」


 ―――――――――――――――


 「ぐあっぷっ……いてえ!くそ!……このっ……!」


 ティムズが跳躍術の制御をまたもやミスり、転んで地面を舐めるが、腕で顔を拭うとまたすぐに身を起こして跳ね駆け出す。ミリィの直後に駆け出したはずなのに、森に入った途端、あっと言う間に見失ってしまっていた。


 ミリィと共にあの密猟者――彼女はさっき『狩龍人かりゅうど』と呼んだ――を追い詰め、闘おう、というつもりではなかった。単純に彼女を止めなければいけない、と考え、咄嗟に身体が動いただけだった。


 皮肉にも日頃の『鬼ごっこ』と同じ状況だった。しかし今は二人ともが鬼であり、片方の鬼を別の鬼が止めるというルールだ。懸かっているのは勝敗ではなく『命』。

 普段のミリィが手を抜いているとも思えなかったが、男を追うミリィの速度は更に増しているように感じて、その背を見たティムズは背筋を凍らせてしまった。その速度もさることながら、彼女のあの執念とも言ってもいい、覚悟、は『龍が好き』なだけで湧いてくるものなのだろうか?


「ミリィ!何処だ!どっちに行った!?」


 叫んでも声が届く範囲にミリィが居るとは思ってはいない。それでも叫びながら、ティムズはとにかく、真っ直ぐに森の中を跳び続ける。

 通常、隊員同士の術符交信は不可能だ。

 『足』を使って走るしか『手』はなかった。


 ―――――――――――――――――――


 ティムズの遥か前方を走るミリィも『狩龍人』が何処に向かったのかは判らない。

 しかし直感がこの先に居る、と告げていた。


 通常の密猟者なら、大抵の場合、必要な獲物を得られればそれで目的を達したと引き揚げようとする。だが、龍をたおすこと、に固執する者は違う。称号を得るため、見栄を張るため、欲求を満たすため、ただ、斃す事に意義を求め、その為だけに殺し続けていく。


 その特有の気配と殺気が、ミリィをラテルホーンの元へと導くしるべとなっていたし、それを裏付ける証拠も見付けていた。


 木々の間に、何か腐ったようなものがぶすぶすと音を立てながら、崩れていく物体が転がっていた。ミリィはそれを見てはっとし、止まる。

 急速に腐食と風化が進行し、みるみる灰となっていく『それ』を見て、ミリィは驚きと困惑が混じった表情を浮かべた。


(ロロ・アロロ!?なんでこんなところに!)


 だが、今重要なのは『それ』が何故ここに居るか、ではなく、それが何故『こうなった』かだ。理由は一つ。あの男が『それ』を『こうした』からだ。

 

 やはり、あの男は、止めなければならない。これが答えだ。そして理由だ。

 この先に、奴は居る。

 

 ミリィは往く道の正しさを確信し、狩龍人を追う為に再び駆け出した。


 ――――――――――――


 『ギィイィィッ!』という断末魔の声を上げて、黒い生物……人の背丈より小さい、蝙蝠の様な体躯を持つものが斃れ、灰になっていく。


 ラテルホーンが腕を一振りして術爪を閉じ、それを見下ろして苦々しい表情を浮かべる。

 周りを木々に囲まれた、だいぶ広い場にラテルホーンは立っていた。


(……これも龍なのか?魔物にも見えるが、少し違う。しかし呆気なさすぎる。こんなものを例え百仕留めたとしても自慢にはならない。そして何より、血を流さない……)


 既に数体を斃して来ていたが、ラテルホーンの衝動を満たすものではなかった。

「余計な手間を取らせるな」

 ラテルホーンは、既にその原型を失った蝙蝠の様な『龍』の頭を踏み潰し、更に奥へと広がる森へと視線を投げる。


 ざさっ、ざさっ……ざささっ。


 梢が揺れる音が間を置いて鳴り、その梢から小鳥たちが一斉に上空へ飛び上がっていく姿が見えた。その下をゆっくりと進むものは、ラテルホーンの元に確実に近寄ってきていた。



 ――――――――――――――



「本当にこっちで良いんですかあ?また道間違ってるんじゃないっすか」


「てめー何だか最近生意気になってきてねーか。心配するなって、ちゃーんと地図でこの辺の地理は確認してきてっから」


 アカムが、がさがさと低い木を掻き分けながら、前方を歩くエフェルトにぼやくように声を掛け、エフェルトがまずは不満、次に答えを返した。

 龍礁ここの連中に見付からない様に、通常の道ではなく、鬱蒼と茂る木立の間を歩いてきた為、彼の帽子には小さな葉っぱが沢山くっついていた。


 エフェルト達は、龍礁北部の道なき道を、自由を求めて歩き続けていく。と言えば聞こえは良いが、つまりは脱走だ。龍礁ここで過ごした数日の内に、地上を巡回する監視隊員たちの情報を集め、安全であると思われるルートを決めていた。

 万が一の為の各種術符や、武具もこっそりと『仕入れて』きておいた。


 三人は樹々に囲まれた開けた草地に出る。梢が途切れ、直上の日光が三人を強く照らす。

「かああ、あっちいなあ……」

「この調子でずっと歩いていたらまずいんじゃないか」

「腹減ったっす、何か食いもん持ってきてないんすか」

「てめえさっき俺のパン食ったろ!!」「腹減ったら何もできないんすよ俺は!」

「まあまあ」「その鞄よこしてください」「ふざけるなこれは俺のだ!!」


 逃避行中としてはあまりに緊迫感のない3人が唐突に口喧嘩を始める。食べ物が絡むといつもこうだった。アカムが人のもんを勝手に食うのだ。


 するとそこに、ガサガサガサッという音が響き、ティムズが跳び込んでくる。


「ッ!!」


 お互いに胸倉を掴み合い、一触即発だった三人がティムズを見て警戒する。

 自分達を捕らえにきた追っ手だと思ったらしい。

 なので、肩で息をしているティムズが三人を見て、叫ぶように尋ねた内容はすぐに把握できなかった。


「……はっ、はぁッ……!あんたたち……?なんでこんなとこ……いや、ミリィ……ミリィを見なかった!?」ティムズが息を切らしながら問う。


「はあ?」怪訝に顔をしかめるエフェルト。


「……っ、金髪の、女のレンジャー……!」息を吞みつつティムズが言い直す。


「ああ……あの跳ねっ返りか、知らねーよそんなもん」


「そう……」


 汗を拭って、ティムズは3人が何故ここに居るか、を気にすることもなく、再び駆け出そうとする。その様子を見て、安堵したアカムが口を滑らせそうになった。


「なんだ、俺らを捕まえにきたんじゃな……うぶっ」

 モロッゾが腕を伸ばしてアカムの口を封じた。



 ティムズは再び3人を見据えて、一瞬何かを考えてから、それを口に出す。


「……頼みがある、ミリィ……俺の仲間、を探すのを手伝ってくれないか」

「はあ!?」


 エフェルトが顔を歪めて、何を言ってるんだこいつは、という顔をした。

 ティムズが状況をなんとか説明しようとして、切れ切れに続ける。


「お願いだ、危険なんだ。今、やばい男を追ってる。パシズですら傷つける相手なんだ。このままじゃ、ミリィが危ない」


「お断りだ。何でそんな事しなきゃなんねえんだよ。関係ねーし」

「大体な、その女に俺等は捕まったからこんな場所でクソくだらねえ仕事させられてんだ。勝手にてめえで探してこい」


 やる気がありません、と言わんばかりの立ち姿で、にやついたエフェルトが断る。

 その言葉、態度にティムズの怒りが急激に沸騰した。―—くだらねえ仕事?


「……捕まっただって?命を救われた、の間違いだろ……!?」

「それに、ここの皆は……皆、自分の仕事に誇りと責任を持ってやってるんだ!てめえらみたいなクズに言われてたまるか!!」


 吐き捨てるように叫んだティムズが、もう相手にしてられるか、と跳躍の構えを取った所に、エフェルトが更にからかう様に煽りを入れた。


「ガキの癖にようく吠えますこと。あの女もうるせえガキだった――」

「そんなガキに助けられたてめえらは何なんだ」


 食い気味にそれだけ言うと、ティムズは再びミリィを追う為に跳び出していった。

 



「…………」

「………ちっ」

「……良いのか?本当に深刻な様子だったぞ」「何があったんすかね」


 その姿を見送り、舌打ちをしたエフェルトの背中に、モロッゾとアカムが話しかける。エフェルトは声を低くし、キャップを更に目深に被りなおしつつ、これからまた逃走する予定の方角へ向き直りながら応えた。


「……良いも悪いもねえよ。何か起きたっつーなら逃げんのに都合が良いかもな。神様に逃げろって言われてんだよ。……行こう」


 しかしその目は、ティムズが去った方向に向けられていた。


 ――――――――――


 ラテルホーンは満ちていく歓喜に身体を打ち震わせていた。

 —―遂に出逢えた。これがそうか。なんと…たくましい生き物なんだ。


 ラテルホーンの視線の先の木々の間から、巨大な灰緑色の龍、がゆっくりと歩を進め、彼の方に近づいてきていた。ラテルホーンはその名を知らぬが、それは、ティムズとミリィが遭遇したF/II緑象龍りょくぞうりゅうと同種の成体だった。

 

 幼体のどこか愛くるしい風体とは違い、全身が硬く引き締まっており、強靭な体躯は体高が3.5mほどで、体長は7mほどはあるだろう。それが一歩ずつ、ラテルホーンの様子を見定めながら迫ってきていた。


「…ありがとう。龍よ。私に栄光を運んできてくれて…」


 ラテルホーンが両腕をばっと開き、術爪を展開して構えを取る。

 それの殺気を見て取った緑象龍が立ち止まり、頭を上げて咆哮を上げた。

『……ォオォオオォォオォッ!』

 そして地響きを立ててラテルホーンに向けて突進する。


 ラテルホーンがにやりと笑って、「ヒヤアァあァッ!」と奇声に近い雄叫びを上げて跳びあがり、宙を舞う。空中で身体を捻りながら、術爪を龍の首筋へと走らせる。


 突進をかわされた龍がドドドッ、と音を鳴らして立ち止まり、興奮した様子でラテルホーンに向き直った。入れ違いになったラテルホーンも着地後すぐに龍に向けて構え直す。

 

 龍の首筋の鱗が破断し、そこから血がたらり、と垂れたのを見て、ラテルホーンは更に衝動をみなぎらせ、昂らせて、がくがくと身体を震わせた。


 

 ――ああ、これだ!これを観たかった!堪らん。綺麗だ…美しい!素晴らしい。

 もっとだ!もっと観たい。もっとその命の奔流を見せてくれ。私を満たしてくれ…!


 今度はラテルホーンの方が先に動いた。足元で跳躍符の青い術式光が閃き、ジグザグに跳んで距離を詰めていく。

 龍は身体を捩って尾撃を繰り出したが、ラテルホーンはそれも小さく跳んで避けつつ、尾の付け根に術爪の一撃を加える。


『ォオォオッ!オォッ!』

 痛みに呻いた緑象龍が激しく身体を揺すり、ラテルホーンを捉えようと尾を振り、地団駄を踏む様に暴れ回った。


「はははッ!愚鈍なやつだな!ほら、ほらほら!私はすぐ前に居るぞ?ほらァっ!」


 狂った様に笑いながら、ラテルホーンは次々と緑象龍の身体を切り刻んでく。

 その素早い攻撃に翻弄され、緑象龍は攻撃に身を晒され続けるが、堅強な肉体と鱗はラテルホーンの術爪に致命傷を許さず、緑象龍はその戦意を失うことはない。


 しかしそれが災いして、ラテルホーンの嗜虐心を更に増幅させて、彼が一方的に龍を嬲り続ける理由にもなっていった。


 奮戦を続けていた緑象龍だったが、多くの傷を受けて血を失い、やがて体がふらふらと揺らめき始める。ラテルホーンは最後の止めを刺そうと、既に周りの状況も判らなくなっている様子の緑象龍に歩み寄り、その身体に手を触れた。


「本当にありがとう。本当に、良かった……。これを貴様に、あげよう」


 そう言うと、ラテルホーンは術爪を大きく広げ、緑象龍の胸…恐らく心臓があるであろう場所にそれを深く、ずぶりと刺し込んで、天を仰ぎながら目を瞑り、ぶるっ…と震えた。視界に白い閃光が瞬くような気分で、ラテルホーンは、満たされてゆく。


 ―――――――………!


 上を見上げたまま目を瞑っていたラテルホーンの目が見開かれる。


 素早く背後を振り返りその気配の主を捉える。/龍の身体がぐらりと揺れる。

 ミリィが音も無くラテルホーンへ迫っていた。/龍、地響きを立てて倒れる。

 ラテルホーンが術爪をミリィ目掛けて振る。 /ミリィ、直前で方向を変える。

 術爪を回避したミリィ、倒れた龍を一瞬見る。/ラテルホーンが跳びかかる。

 ミリィ、後方へ跳ぶ。           /術爪を避けられたラテルホーンが


 ……笑った。


「さっき目にした…お前もレンジャーか!!ははっ!速いな…!」

「お前ッ…!」

 

 ミリィは歯を食いしばって眼前の男を睨んだ。

 目の前で斃れた緑象龍。……間に合わなかった。

 この男が龍を刺した瞬間はミリィも目撃していた。だから全力で跳んだ。

 それでも駄目だった。せめて一瞬でも早ければ……!


「メインディッシュのあとはデザートと相場は決まっている」

「そちらから提供してくれるとはサービス満点だな、三ツ星をやろう」


 気軽な冗談を飛ばす様に首を傾げたラテルホーンが、次の瞬間には低い体勢でミリィへと跳ぶ。小柄なミリィの腹部ほどまでに身を屈めた姿勢で跳び込んできていた。


(……脚っ!)


 ミリィはラテルホーンの狙いを読んだ。咄嗟に上へと跳び、確かに太腿に通る動脈を狙っていたラテルホーンの術爪が空を切る。


(間抜けッ!)

 ラテルホーンは心で嗤う。空中に跳んだものはもう次の手を避ける事はできない。

 今のミリィの様に体勢を崩したものは尚更だ。術符での防御も出来ないだろう。


(頂いた!)


 バシン!と音が鳴り、紫の術式光が閃き、空中に式痕を残す。

「……ッ!?」ラテルホーンが上空へ腕を伸ばしたまま、腕越しにミリィを見る。


 空中を『蹴った』ミリィがラテルホーンから離れた場所に後ずさる様に着地し、幻剣を開いていた。ラテルホーンは更に上機嫌になった様だ。


「なんと、翔躍しょうやくか!まさかこんな所で使い手に出会うとは!」

「娘、良いぞ……お前は、良い!はぁ……いいぞ、ぉ……。」



「……っ!」

 下卑た笑いを浮かべて、ミリィを…ミリィの身体、を見て、声を上ずらせるラテルホーンに、ミリィは激しい嫌悪感を感じ、ぞくっと震えた。


 この男は一片の迷いも躊躇もなく、まっすぐに動脈を狙ってきた。それに……

 なんて気持ちの悪い、人間なのだ。ミリィはこんな人間には出会った事がなかった。

 少なくとも今まで出会ったどんな密猟者でも、生活の為、家族の為、生きる為、一線を越えた者は居なかった。この男はその線を踏みにじり、易々と越えてきたのだ。


 そして、ミリィは後悔した。翔躍をこんなに早く使うつもりではなかった。


 術符の霊基も、体力も、霊力も全てを大幅に消費する術だった。通常はもっと重要な瞬間に使うはずの切り札を、早々に使って手の内を明かしてしまった。使わずには居られなかった。この男から離れたい、という衝動から逃れられなかった。


 しかし、そんな事はもうどうでもいい。この男を許してはいけない。


   それを許す事を、自分に赦してはいけない。


   …じり。     /      …ざっ。

    「……!」   /   「……ッ!」

      …パシッ! / バシッ!!


  ミリィとラテルホーンが同時に跳び、二人は相手を

             

        倒す為に/斃す為に

          闘い始めた。

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