『大丈夫ですか? 椿』

 そう言って、古い橋の上を一生懸命になって渡っている椿に向かって、椿の肩の上にいる薫は椿の顔を見る。

「うん、大丈夫。ちょっと怖いけど、……心配しないで」

 にっこりと笑って、椿は言う。

 そんな椿の足は小さく震えてはいたけれど、椿はゆっくりと、でも着実に一歩ずつ、大雨のあとの夜の森と森の間にある大きな増水した川の上にある古い橋の上を歩いていった。

 椿は両手で橋の紐をしっかりと握って、ごーと言うとても強い音を立てて流れる茶色い川の上を移動する。

 時折、どこからか、とても強い風が吹いた。

 その風が、川の水を運び、古い吊り橋を揺らして、(まるで椿のことを邪魔しているかのようだった)一生懸命になって頑張って古い橋を渡っている椿のことを困らせた。

 ……この川の勢い。落ちたら、きっと助からない。

 ちらっと下を向いて荒れ狂う(まるで怒っているような)巨大な川の様子を見て、椿は思う。

 ……楓ちゃんは大丈夫かな? この川の中に落っこちてたり、……しないよね?

 そんなことを考えると、椿の心臓はすごくどきどきした。

 にっこりと笑う楓が、巨大な水の中に吸い込まれていくイメージが、椿の頭の中に浮かんだ。(そんな不吉なイメージは、もちろんすぐにかき消したのだけど)

『椿。余計なことは考えないで。今は橋を渡ることだけを考えなさい』

 静かだけど、強い口調で薫が言った。

「……わかった。そうする」

 薫のことを見ないで、自分の今の目的地である自分の真正面にある、橋の向こう側のなにも先が見えない暗い闇を見つめて、しっかりとした口調で椿は言う。

 それから椿は無言になって、ただこの古い橋を渡ることだけに集中した。

 その間、……ぎいぎい、と言う不吉な吊り橋の出す音だけが椿の形のいい耳に聞こえていた。

 大きな荒れ狂う茶色い川と、その上にある古い橋を一生懸命になって渡っている少女とその肩の上にいる一匹の猫。

 そんな光景を薄い雲に少しの間、隠れていた明るい月が顔を出すようにして、(あの子は、こんな夜の時間にいったいなにをしているだろう? と、興味が湧いたのかもしれない)明るく照らし出していた。

 ……それから少しの時間を使って、椿は古い橋を無事に渡りきった。

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