4.「悪魔」

「私は嶋村雛乃しまむらひなの、この「嶋村研究所」の所長だよ。君は……リチャード・ロブソンで良いんだったかな」


 女は眼鏡を押し上げ、身を乗り出すようにしてリチャードを上から下までじっくりと眺めだした。


「確かに、俺はリチャード・ロブソンですけど……名乗りましたっけ」

「さっき、ちょちょいとハッキングを仕掛けたから知ってるだけだよ」


 サラッととんでもないことを言われ、リチャードは思わず硬直する。その間に金髪の女性が奥の部屋から現れ、サッとコーヒーを出して立ち去って行った。

 リチャードは居心地悪そうにアイリスの方を見るが、彼女は平然と突っ立ったまま何も口を挟んでこない。


「私は100年前、冷凍睡眠コールドスリープによって戦火から逃れようと眠りについたんだけど……」


 予想以上に壮大な話から始まり、リチャードの目が点になる。とりあえずコーヒーに口をつけ、平常心を保とうと努めた。


「……ってことは、100年前の……ガチの、トーキョーの住人ってことです?」

「そういうことだね」


 雛乃は誇らしげに胸を張り、言葉を続ける。


「まあ、うん、予想通りというかなんというか……とにかく、起きたら故郷は焦土だった」

「そ、それは……キツいっすね……」

「まったくだよ。でも、かつての研究を続けるには問題がなくてね。それが不幸中の幸いだった。そして、研究成果のひとつが君というわけ。分かったかい?」


「分かったかい?」と指をさされても、リチャードにはさっぱり合点がいかない。

 目を白黒させていると、雛乃は「ふむ」と頷いて補足した。


「誰かの『手記』に見覚えは?」

「……あ」


 父親の書斎から見つけた、「アイリーン・レナード」の手記。それを手にした途端、リチャードに埋め込まれたチップは「異物」と化した。


「まさか、洗脳を解いたのは……」

「私ということになるかな」


 感謝するべきなのか、それとも恨むべきなのか……リチャードは渋い顔をするしかなかった。


「とりあえず、ここに滞在するなら基本的には安全だから、安心して。……君にやって欲しいことは山ほどあるけど、それも追って説明するから」

「は、はぁ……?」


 雛乃が「アイリス、頼んだよ」と声をかけると、無言を貫いていたアイリスが「部屋に案内するわ」と歩き始める。

 ……と、アイリスが手をかけるより前にドアが開き、先程の金髪の青年が現れた。


「あら、ロビン。どうしたの?」

「いえ、わたくしも、ぜひご挨拶をしたいと存じまして」


 慇懃いんぎんな態度で、ロビンはニコニコと笑う。


「あー……そうだね。今の段階じゃ、ややこしくなるかなと思ったんだけど……」


 眉をひそめる雛乃に構わず、ロビンはリチャードに手を差し出した。


「初めまして、お客様。どうぞ、私のことはロビンとお呼びくださいませ」

「お、おう。ロビンくんね」


 リチャードは握手に応じ、気付く。……握った手が明らかに、人間の硬さではない。


「もしかして……ロビンくんもアンドロイド?」


 アンドロイドであるのなら、この馬鹿丁寧な口調にも納得できる。……が、ロビンは首を横に振った。


「いいえ、私は、厳密にはアンドロイドではございません」


 ロビンの細められた瞳が、すっと開く。

 黒い白目の中に浮かんだ赤い瞳が、リチャードを見据えた。


「私は……そうですね。世界連合には『悪魔』と呼ばれております」


 変わらず穏やかな微笑みで、「悪魔」を名乗る青年は言葉を続ける。


 ……リチャードも、話に聞いたことはあった。


 かつて、人類は「大罪」と呼ばれる七つの欲望を制御できず、争いにより多くの悲劇を生んだ。

 第三次世界大戦勃発後、人類は思想統制により欲望を制御され、必然的に「大罪」も過去のものになったとされていた。


 けれど、ある日……欲望を貪り、人間に「大罪」をそそのかす存在が現れたらしい。彼らは、に再び混乱を巻き起こそうとしている……と、言われている。

 世界連合はその存在を「悪魔」と名付け、人類の脅威とみなした。


「『強欲』を司る悪魔、マモン。それが、世界連合がつけてくださった便宜上の呼称でございます。……ただし、この研究所においては『ロビン』という固有名をいただいておりますので、私を呼ぶ際は、そちらの方でお呼びいただけますでしょうか?」


 悪魔を名乗った青年は、丁寧な口調で己の身の上を語る。

 リチャードが横目で雛乃の方を見ると、なにやら液晶画面のついた端末を操作中らしく、こちらには目もくれない。


「ち、ちょっと待ってよ。君が悪魔って……冗談キツイって」

「……ええ、その疑問も、至極当然のことでございます」


 その瞬間、金髪の青年の体が崩れ落ちた。

 リチャードが呆気に取られていると、今度は背後から声が響く。


「お客様、次はこちらをご覧くださいませ」


 恐る恐る振り返ると、奥の部屋から今度は金髪の「女性」が姿を現した。……見覚えがある。先程、コーヒーを出してきた女性だ。


「今、この体を操っているのも『ロビン』でございます」


 変わらずにこやかな表情で、女性は語る。……よく見ると、その体は腕が一本欠け、コードが覗いている。


「私は、半径約1キロメートル以内の距離であれば、いわゆる『脳』の機能が人工物である物体……すなわち『機械』を自らの『体』として扱うことが可能です。人型か、否かは問いません。しかし、ソフトウェアに著しいバグやエラーがある場合、また、あまりにもセキュリティが煩雑はんざつである場合はその限りではありませんので、ご了承ください」


 今度は女性の体が崩れ落ち、雛乃がいじっていた端末から声が響いた。


「お分かりになりましたか?」

「待っ、勝手にSeri乗っ取んな!?」

「申し訳ありません、ヒナノ。よく聞き取れませんでした。もう一度、ゆっくり話してください」

「嘘つくな、絶対聞こえてんでしょお!?」


 リチャードは、まだ状況を呑み込めない。うろたえている間に、倒れていた青年が起き上がり、再びにこやかに語り始めた。


「いかがでしょうか? 私が人智を超えた存在であると、ご理解いただけましたら幸いです」

「わ、わかったよ! つか、信じるしかないだろ、こんなの……!」


 リチャードの言葉に、ロビンはどこか満足げに「ありがとうございます」と応え、敬礼した。


「補足になりますが、言語に関しては各機体にプログラムされた範囲のものでしか使用できません。必ずしも私、またはお客様が希望する語彙が使用機体に備わっているとは限りませんので、その旨ご容赦くださいませ」

「それ……喋るのめんどくさくない?」

「おっしゃる通りでございます」

「あっ、やっぱりめんどくさいんだ……」


 アイリスは黙って事の成り行きを見ていたが、やがて崩れ落ちた女性型アンドロイドを引きずり、奥の部屋へと連れていく。


「ロビン、パフォーマンスするのはいいけれど、片付けのことも考えて」


 ロビンは文句を吐き捨てるアイリスの方を向き、


「申し訳ございません。念の為いくつか確認いたしますが、」


 と語りかけ、


「その『片付け』には報酬なんて出ないわよ。当たり前でしょ」


 途中でセリフを遮られた。


「左様でございますか……」


 明らかに落胆したように、ロビンは肩を落とす。ふと、リチャードは、本人が「強欲を司る悪魔」を名乗ったことを思い出した。


「それで……なんで、『悪魔』がここにいるの?」


 リチャードが疑問を口にすると、雛乃が大きくため息をついた。


「それ、話すと長くなるんだよねぇ……」

「そうね……」


 雛乃のボヤキに、アイリスも同意する。

 ロビンはわずかに目を伏せ、ためらうような「間」を置いて話し始めた。


「『要処置者』が適切に『処置』されることはご存知ですね?」

「……まあ……」


 かつてのリチャードなら、想像すら及ばなかっただろう事実。

「洗脳が効かないから」といって、生命を奪われる恐怖が、この世界には存在している。


「……私も、かつてはあなた様と類似する特徴を持っておりました」

「人間だった……って、こと?」

「左様でございます」


 ロビンは、それ以上のことを語ろうとはしない。

 張り付けられたような笑みが、リチャードにはどこか悲しげにも見えた。

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