3. 嶋村研究所
「……なぁ、俺……空気どれくらい吸ったっけ?」
リチャードは青ざめた顔でアイリスに問う。
無機質な四角形の建物は目の前だが、扉が開く気配はまだない。
心なしか息苦しい気もしてきたし、発熱してきた感覚もある。
有害な大気をどれほど肺腑に取り込めば症状が出るのか……分からないからこそ、寒気も追加されて体が震えてくる。
「言い忘れていたけど……その噂、デマよ」
「え」
「ここでは思想統制のための電磁波が届きにくくなるの。……普段あったものが突然なくなるから、吐き気や不安感、焦燥感、自律神経の乱れは症状として現れるけど、大気に特別視するほどの異常はないわ」
病は気から……という、どこかで聞いた言葉を思い出した。
確かに、「気」を馬鹿にすることはできない。頭の小さなチップひとつで左右されるほど矮小なものではあるが、多大なコストをかけてでも制御せねばならないほど絶大なものでもある。
……と、話しているうちに自動扉が開いた。手招かれるまま、リチャードはアイリスに続いて歩き出す。
「お待ちしておりました」
金髪の男が
「ロビン、とりあえずコーヒーでも出してあげて」
「かしこまりました。ミルクはお付けいたしますか?」
何事か聞かれたが、生憎とリチャードには言葉がわからなかった。この土地の言葉だろうか……。
……と、じわりと頭に「馴染む」感覚があった。ズキズキと異常を訴えていた頭痛も嘘のように消えている。
「……どうも、お待たせしました」
白衣を着た、小柄な女性が、廊下の奥からすたすたと歩いてくる。
「電磁波を上手く利用すれば、言語体系はこっちに合わせられる。初めまして、リチャード。言葉はもう理解した?」
そして、得意げに語りながら傍らの部屋を指し示す。……入れ、ということだろう。
確かに、目の前の相手の言語はわかる。……けれど、彼女が金髪の男と同じ喋り方とは限らない。
ちらりと視線を、白いタートルネックを着た男に戻す。
「ミルクはお付けいたしますか?」
……さっきと一言一句変わらず、さっきと寸分違わない抑揚で、男は繰り返した。
「えっと……砂糖も多めっていける?」
「かしこまりました。少々お待ちくださいませ」
愛想のいい笑みを浮かべ、男は廊下の奥へと消えていく。
「海の男」とデカデカと書かれた背中が、あまりにも態度とは不釣り合いに見えた。
「……。あれ、執事か何か?」
「いいえ? ただの仲間」
アイリスはしれっと答える。あの馬鹿丁寧な口調に疑問を持っている様子はなかった。
白衣の女性が先程自分で指し示した部屋のドアを開き、リチャードもその後に続いて足を踏み入れる。
「ロビンのことはまだ気にしない。……それより、聞きたいことがあるんじゃない?」
「……どこから教えてくれます?」
「そりゃ、どこからでも教えるけど……まずは、分からないことを言ってくれなきゃ時間の無駄だよ」
白衣の女性はソファに腰を下ろすと眼鏡を押し上げ、こちらを凝視する。
戸惑いながら、リチャードは「分からないこと」を探すが……悲しきかな、何が分からないのかすら分からない。
「……。えっと……お姉さん、名前は……?」
ようやく絞り出せたのは、そんな取りとめのないことだった。
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