僕と一途と優しさと
れぜさん
第1話 出会いの季節
「扉が閉まりまーす、ご注意下さーい」
春の香りがしてきた三月中頃、僕は今日も午前九時二十分発の電車に乗ってバイトへ向かう。地元の偏差値50くらいの大学へなんとか合格し、授業にもギリギリ付いていってたものの、やりたい事も見つからないまま三年生の夏頃に大学を中退した僕は、今年でフリーター四年目を迎えていた。
最寄りの駅から十五分くらい歩いた町はずれにある洋風の小さなカフェ、僕はここで働いている。
以前働いていたチェーンの焼き肉屋や居酒屋は自分に合わなかったので長続きしなかったが、この店は今年で三年目になる。客層や店の雰囲気もそうだが、なにより従業員のみんなが良い人たちばかりだからこんなに続けられているのだろう。今日はそんな僕が大好きなこのお店に、新しくパートの女性が入ってくるらしい。
「今日からこのお店で勤務させていただくことになりました、南条楓と申します。よろしくお願いします」
透き通るような綺麗な声で彼女は言った。街中を歩いていたら誰もが振り向いてしまうような、テレビか何かで見たことがある気がしてしまうような、それくらいの顔立ちをした女性が、目の前で自己紹介をしている。僕は、真夏に雪が降るようなそのあまりの非現実に驚きを隠せなかった。肩先を通り抜ける美しい黒髪と、整った輪郭の中に配置されているそれぞれのパーツが、これでもかというぐらいに存在感を放っていた。久しぶりに女性のことを心の底から綺麗だなと思った。
でも、それと同時に、この人とは住んでいる世界が違うなと心のどこかで思ってしまった。
「月城優太です。よろしくお願いします」
「月城さんですね、こちらこそよろしくお願いします」
「とりあえず今日はお客さんも来ないし暇なので、先にお店を案内して、その後は一緒に簡単なことからやっていきましょう」
「分かりました」
しかしいくら何でも美人すぎるだろ。なんで急にこんな美人雇ったんだ? あの店長。僕は疑問に思いながらも淡々とお店を案内する。何がどこにあるだとか席の並べ方だとかそれらしいことを説明している間、僕は一度も南条さんと目を合わせながら話すことができなかった。普通に教えるだけなのになにをこんなに緊張しているんだろうか。
「店長、どうして急にあんな美人さん雇ったんですか? 顔担当は片岡さんじゃ物足りなかったとか?」
「ちょっ月城先輩それは失礼すぎません!?」
「ごめんごめん冗談だって」
閉店作業を済ませた僕は、バイトの片岡さんと店長と休憩室で喋っていた。結局南条さんとは雑談すらできず、南条さんは夕方頃に先に帰ってしまった。
「いやー俺だって最初はびっくりしたよ、急にあんなべっぴんさんがわざわざ店まで来て面接お願いしますって言ってくるもんだからさ」
店長が珍しく真面目な顔をしながら続ける。
「なんでも半年前くらいに離婚したばっかりなんだってよ。しばらくは実家で暮らしてたけどそろそろ一人暮らしも考えないといけなくなって、うちに面接を頼みに来たって感じだな」
「えーあんな美人さんなのにバツイチなんですか!
馬鹿な男もいるもんですねえ」
「それな。俺と再婚してくれたりしないかな? てか俺のことを知ってこの店に面接しに来たとかじゃない?絶対そーじゃん!」
「店長はそろそろ真面目にお相手さん探したほうがいいですよーもう四十五歳のくせに」
「はーいわかってまーす」
店長と片岡さんがくだらない会話をしている間に、僕は色んな事を考えていた。南条さん、バツイチだったんだとか、なんで離婚したんだろうとか、普段は人のことなんかまったく気にしないのに、何故か興味を抱いている自分がいた。
春は出会いの季節だとか言うが、思えばもしこの時に南条さんと出会っていなかったら、僕の人生はもっと違ったものになっていたのかもしれない――
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