2巻 第21話 異国のまかない
この店も外国人の店員が増えたなあ、と職場内を見回して、沙也香は思った。
中東の青年は焼き場を任されているし、他にも新しく中国人の料理人が入り、沙也香と同じ接客担当のアルバイトにも韓国からの留学生が明日から入るのだそうだ。
海外からの客のみならず、異文化に触れる機会は、居酒屋でも相当な頻度になっているのである。
「今日のまかない、できましタヨ!」
中東の青年の声が開店前の店内に響き渡る。
──あ、今日のまかない担当は彼なんだ。
ラッキー、と沙也香は思った。
彼はときおり、故郷の料理や技法をまかないに使って試そうとする。それを「この店の味じゃない」とよく思わないベテランもいるが、沙也香としては、エキゾチックな感じがして好きだった。
「今日は、トマトの肉詰めを作りまシタ」
トマト、と聞いて沙也香は耳を疑った。
肉詰めといえばピーマンだし、以前に椎茸の肉詰めも食べてはいたが、トマトは未経験の世界だった。
「トマトって、おめえ……」
どうやらベテランの料理人もあまり想像していなかったらしい。
しかし、確かにベテラン料理人を絶句させるだけのインパクトが、その一皿にはあった。
皿の上には丸々の加熱されたトマトが一つ。フタのように被さった溶けたチーズが美味しそうではあるが、それでも、トマトが載っただけの皿はかなり奇異に見えた。ごはんと味噌汁と漬けものが添えられているから、なおさら奇妙さが強い。
「でも、いい香りですよ」
沙也香は率先して席に着き、割り箸を手に取った。
「だって、ハンバーグにトマト系のソースは合うんだから、それにチーズを合わせたら美味しいに決まってるじゃないねえ」
そう言って、睦美もそれに続く。
「そうはいってもだな……」
なおも渋るベテラン料理人の肩を、店主の竜一郎が「まあまあ」と叩いた。
「……この店にある食材では本場の料理そのものとはいかないでしょうが、他の国の味に触れるいい機会じゃないですか」
「別に悪いって言ってるんじゃねえですよ。ただ、和食を学びに来てるなら基本をしっかりやるのが先だろって言ってるだけでしてね」
中東の彼は、国に帰って和食の店を出すのが夢なのだという。
ベテラン料理人も意地悪で言っているのではなく、それを知っているからの態度であるらしい、ということは沙也香も知っている。実際、このベテランが中東の青年に熱心に料理を教えているのを何度も目にしているのだ。
ぶつくさいいながらも、ベテラン料理人もまかないの前に座る。
「いただきます!」
早速、沙也香はトマトの肉詰めに箸を入れた。
表面のトマトは火が通って柔らかくなっており、簡単に箸で切ることができた。
箸が入ったところから、じゅわりと肉汁が湯気とともに染み出してきた。
「……割ったときのワクワク感は素晴らしいですね」
竜一郎が言った。言葉とは裏腹に口調はとても冷静で、料理のプロとして吟味している、という姿勢のようだった。
味は、まさにトマトとチーズをソースに使ったハンバーグだった。違いがあるとしたら、挽肉の隅々にまでトマトの味が行き渡っていることと、一般的なハンバーグより複雑で刺激的な香辛料の香りがついていることだろうか。
表面のトマトの柔らかい食感も、ハンバーグではなかなか感じることがない味わいかもしれない。
慣れ親しんだハンバーグのようで、しかし、根っこの部分で違っているようで、まさに異文化を味わっている気がした。
「私、これ、すごく好きかも」
美味しいこともさることながら、ごはんが進む。
「これ、本来もごはんと食べるお料理なの?」
沙也香が訊くと、中東の青年は、
「米は食べるヨ。でも、ピラフみたいにするカラ、日本の食べ方とはチョット違う」
と答えた。
「……おそらく、これでもかなり日本風にしてあるんじゃないですか。本場ではもっと香辛料を利かせたり、ヨーグルトを使ったりするんじゃないですか」
竜一郎の言葉に、中東の青年は「そうダヨ」と笑ってうなずいた。
「詰め物の料理はもっとたくさんアルヨ。ピーマンやパプリカはもちろん、茄子、ズッキーニ、カボチャでも作る。詰めるものも、肉だけじゃなくて、野菜や豆や米を入れたり、地域によってもいろいろあるカラネ」
「でも、こりゃ手間がかかりすぎるんじゃねえか? 中身くりぬいて、具を作って詰めて、その上でオーブンで焼いたり煮たりしなきゃならんわけだろ。仕込みが大変すぎて、メニューに加えるのは難しいかもな」
ベテラン料理人が食べながら言った。味に文句を言わないからには、そこは認めているのかもしれない。
「……確かに、気軽にメニューに加えるのは難しいですね」
竜一郎もベテラン料理人の言葉にうなずいた。
「手間がかかる、だからご馳走で、もてなしの料理なんダヨ」
手間がかかる料理だから、ご馳走。
なるほどなあ、と、食べながら沙也香は妙に納得してしまった。
「恒常メニューに加えるのは無理でも、たまに数量限定で『本日のオススメ』に加えることならできるんじゃないですか」
そう言ったのは睦美だった。
「こういうの、喜びそうなお客さんも結構いるじゃないですか。片菊さんたちなんか、きっと大喜びで頼むでしょ。もう名前もトマトの肉詰めとかじゃなくて、お国での呼び方をまんま書いておく感じで」
確かに、あの三人は「これ、なんだろう」から始まって、頼んでワイワイとシェアしたりするだろうなあ、とありありと想像できてしまって、沙也香はクスッと笑みを零した。
「あー、あの三人は喜びそうだなあ」
沙也香のみならず、竜一郎も、ベテラン料理人も、中東の青年までもが、うんうんとうなずきながら笑っている。
「……では、二ノ宮さんの意見を採用する形で、この料理をメニュー化する調整をしてみましょうか。味付けも下手に日本風にするよりは本場そのままを目指した方がよさそうですし、盛りつけもこれでは殺風景すぎますので」
竜一郎の決定に、中東の青年が顔を綻ばせた。
こんな個人経営の居酒屋にも異文化交流があって、というか、むしろこういうところで起きる文化の衝突のようなものこそ、実は生で異文化を体験するということなのかもしれない。
──そういうのって、面白いな。
将来的に、何かそういう文化がぶつかり合う場を作ったり、手伝ったりすることができたら素敵なのではないか。
しっかりと将来を見据えている中東の青年に比べて、自分は漫然と生きているだけなのでは、と少し卑屈に悩んでしまっていた女子大学生は、何か光明のようなものを見つけたのかもしれなかった。
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