2巻 第1話 焼肉と生肉


 居酒屋で、初対面の常連と話すことは珍しくはない。

 意気投合することも、わりとある。

 しかし、まさか居酒屋で仲良くなった友人と家飲みをしたり、今回のように焼き肉屋に来ることになるとは、さすがに嘉穂も想像していなかった。

「嘉穂さん、タン塩とカルビ追加しますけど、他に何か頼みますか?」

 そう訊いてきた眼鏡の最年少、いかにも真面目という雰囲気の新社会人女子は新藤貴美である。

「そんなに気を遣わなくてもいいわよ。会社の飲み会じゃないんだから」

 苦笑して、嘉穂はマッコリの入った陶器のタンブラーを口元に運んだ。

「職場の飲み会って気を遣うわよねえ。わかるー。貴美さん、真面目だし新人だからいろいろ大変でしょ?」

 上ロースの焼け具合をチェックしながらそう言ったのは、ゆるふわおっとり系美女の七瀬美月だ。

 貴美は商社勤めだし、美月もブティック店員という勤め人なので、二人とも飲み会での苦労というのはあるのだろう。

 一方で、嘉穂はフリーランスのライターである。出版社主催のパーティに招かれたり、同業者との飲み会はあっても、上下関係が強く影響する職場の飲み会というのは知識として知っているだけで、ほとんど体験はしていない。

「私はそういうの、あんまり苦にならないんですよ。あ、すみませーん!」

 貴美が通りかかった店員を呼び止める。

「タン塩とカルビ、一皿ずつください。えーと、それから、トングをもう一つ貸してもらえますか?」

 そして、貴美は嘉穂と美月の顔に「何か他に頼みます?」と言いたげな視線を向けた。

「あたしは、別にいいかなぁ。まだビールもあるし」

「マッコリのおかわりと、馬肉ユッケを」

「あはは、嘉穂さん、さっきからナムルとかキムチとかチャンジャとかトッポギとか、焼かなくていいものばっかり」

 美月がけらけらと笑う。

「だって、美月さんと貴美さんが全部頼んで全部焼いてくれるんだもの。まあ、もともとお肉よりおつまみ系が好きなのはあるけど」

 貴美は幹事的な仕切り雑用を率先して引き受けるが、美月は完全に焼肉奉行である。トングを握ったまま離さず、焼いた肉をどんどん「食べて食べて」と嘉穂や貴美の取り皿に入れてくる。

 嘉穂としては至れり尽くせりだが、何もさせてもらえないのも少し寂しい。

 それに、嘉穂が頼んだ焼かない肴の数々も、別に嘉穂一人で食べているわけではない。肉に気を配る人が足りているから、みんなで食べられる焼かない肴を嘉穂が見繕っているだけの話なのである。

「ところで、マッコリって美味しいんですか?」

 貴美が嘉穂に訊いた。

「一口、飲んでみる?」

 嘉穂はマッコリのタンブラーを貴美に差し出した。

「はい、いただきます!」

 嬉々として貴美はタンブラーを受け取り、一口飲んだ。

「あー。なんていうか、にごり酒に近いですかね? 思ったより甘いし、ちょっと乳酸菌飲料みたいな感じ……? あと、ちょっと炭酸っぽさというか、微炭酸くらいのシュワシュワ感が」

「そうね。独特の酸味と発泡感があるわね。マッコリにも色々あって、原料は小麦のものもあるけれど、主にお米だから、にごり酒やどぶろくに近いのは確かかもしれないわ。度数はだいぶ低いけどね」

「なるほど……。飲みやすくていいですね」

「ええ。特に、焼肉には合うわよ。甘酸っぱさがお肉の脂と相性が良いのかもしれないわね。まあ、焼肉自体が韓国のお料理だし、合うのは当たり前だけれど」

「あ、聞いたことがあります! 同じ土地のお料理とお酒は合うって!」

「そうね、よくそう言われるわね」

 肉を焼きながら、そんなやりとりをする嘉穂と貴美を、美月がニコニコしながら見つめている。

「相変わらず、面倒見のいい師匠と勉強熱心な弟子って感じねえ」

「ちょっと、やめてよ。もう、最近はみんなして師匠師匠って……」

「まあ、確かに嘉穂さんからはいろんなことを教わってますけど」

「貴美さんも、受け入れるんじゃないわよ」

「はぁい」

 ぺろりと舌を出す貴美の顔に、反省の色はない。

 その様子に、美月はますます嬉しそうな顔をして、

「まあまあ、みんなそんな二人の仲の良さが好きなんだってば。はい、嘉穂さん、お肉焼けたよー」

 と、トングで美味しそうに焼けた上ロースを嘉穂と貴美の取り皿に配る。

 こういうところだよなあ、美月がモテるのは、と嘉穂は思う。

 真っ先に大皿料理を取り分け、等分する必要がある料理を切り分け、率先して肉を焼く。女子力と言うよりは、世話焼き力というか、むしろ母性に近い何かなのかもしれない。

 嘉穂とて、そういうムーブをしようかな、と思うことはある。

 しかし、考えている時点で美月がさっさと始めてしまうのだ。

 貴美も似たような動きをしているが、どうしても社会人流の気の遣い方に見えて、やはり美月の感じとは何かが違うのだ。

「気の遣い方が、恋愛向きというより、上司受けなのよねえ、貴美さんの場合。すかさずビールを注ぐとか、そのときはラベルを上に向けるとか」

「はい? 私がなんですか?」

 貴美が首を傾げる。

「いいえ、なんでもないわ」

「あ、お肉とマッコリが来ましたよ」

 店員が運んできた追加分の肉を、貴美が率先して受け取り、どんどん美月の側に置いていく。そして頼んでいたトングを手に、

「せっかくですから、ドンドン焼きましょう。美月さん、私もお手伝いしますよ!」

 と、ユッケの皿を手に持った。

「待って! 貴美さん、それは違うから!」

 慌てて、嘉穂は貴美の手からユッケの皿を奪い取った。

「ユッケは焼かない!」

「へ? そうなんですか。てっきり、ハンバーグ的なアレかなー、でも網の隙間から落ちちゃわないかなー、とか思ってました」

「勘弁してよ、もう。ただでさえ生の牛は食べられる場所も機会も減って、酒飲みとしてはしょんぼりなんだから。馬くらい生で食べさせて」

 嘉穂と貴美のそんなやりとりを聞いて、美月は、ケラケラと笑いながら肉を焼き続けていた。

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