第18話 焼き場の若者
嘉穂にはカウンター席の中でも特に好きな席がある。
カウンター内の厨房の、焼き場が見える席だ。
調理場が見える店というのは、楽しくていい。キビキビと働く料理人は見ていて飽きることがないし、料理が出来上がっていく過程が断片的にでも見えるのは心が躍る。
そして、その中でも特に、焼き場で焼き魚や串焼きが焼き上がっていくのをぼーっと眺めながら飲むのが好きなのである。
「すみません、シイタケ焼きと茄子焼きをください」
嘉穂は店員の沙也香を捕まえて、注文を伝えた。
自分が頼んだ品が焼かれるのを眺めるのは、また一段と格別である。
カウンターのこちら側から中へと注文が伝えられ、料理人たちの動きの中に嘉穂のための動作が加わる。
眺めるにしても、自分のための料理となると楽しさも格別だ。
嘉穂のシイタケや茄子を始め、焼き鳥や焼き魚に目を光らせているのは、嘉穂より少し若いくらいの男性である。
その肌は浅黒く、顔の彫りは深い。
中東の国からやってきたその若者は、もちろん日本人ではない。
何ヶ月か前には、先輩の料理人に片言の日本語で何度も質問をしながら仕事を教わっていたというのに、ときおり先輩料理人が様子を見に来たりはするものの、しっかりと一人で焼き場を管理し、回している。
──頼もしくなったわねえ。
焼き場に向かう若者の姿を見ながら、嘉穂は日本酒を口に運んだ。
何ヶ月程度では、まだまだ経験としては少ないのだろうが、その背中はすっかり一人前になったように見える。
言葉も文化も違う国で働くのは大変だろうに、その中でも来るたびに着実に仕事を覚えていっているようだった。
若者は焼いていた茄子を皿に移し、焦げ付いた皮をこうとして、
「アウッ」
と悲鳴を上げた。
どうやら熱さに驚いて手を引っ込めたらしい。
「大丈夫?」
嘉穂はカウンター越しに、思わず声をかけていた。
「ア、ハイ。平気、平気。茄子は焼いたらとても熱いデシタ」
照れ臭そうに、若者は笑った。
「ごめんね、大変なの頼んじゃって」
「イイエ、これも勉強デスから」
そう言いながら、皮をいた茄子焼き二つに、刻んだミョウガとおろし生姜を添えて、若者はその皿をカウンター越しに差し出した。
「ありがとう」
それを受け取って、嘉穂は自分の前に置いた。熱い思いをしてしまった若者には申し訳ないが、茄子から立ち上る湯気が食欲をそそる。
湯気を立てる茄子に油を少しかけて、まずはミョウガを載せて、パクリ。
熱が入ってとろりと柔らかくなった茄子に、シャキシャキしたミョウガの香りがとても合う。そして、焼きたての熱さにはふはふしながら食べるのが茄子焼きの醍醐味だ。
日本酒を挟んで、次はおろし生姜でパクリ。
茄子と生姜が合わないはずもなく、間違いのない安定の美味しさ。
まったく、ただ茄子を焼いただけでどうしてこんなに美味しいのか。
「ハイ、シイタケ焼きデス」
若者がまた、カウンター越しに直接皿を出してきた。
丸々焼かれた大振りな焼けたシイタケが二つ、逆さに置かれていた。シイタケの笠の中には、焼かれたことで滲み出たエキスが溜まっている。
そして、添えられているのはおろし生姜と少量のフライドオニオン。エキスに溶くようにおろし生姜を載せて油をひと垂らし、その上からカリカリのフライドオニオンも載せて、エキスをこぼさないようにそろりと口に運ぶ。
かぶりつけば、肉厚のシイタケの歯応えと香りたっぷりのエキスと生姜の香りが流れ込んでくる。パリパリしたフライドオニオンの食感も心地いい。
まったく、ただシイタケを焼いただけでどうしてこんなに美味しいのか。
──やっぱり、焼き物は目の前で焼いて貰って焼きたてを食べるのが最高よね。
何しろ酒が進む。
今日はもう少し焼き物で攻めようか、と思い焼き場へと目をやって、ちょうど別の席の誰かが頼んだのであろうホッケを焼き終えた若者と目が合った。
「何か焼きマスカ?」
屈託のない笑顔で、若者が言った。
「焼き鳥、オイシイヨ。タレの味、オイシイヨ」
あ、タレが好きなんだ、と思いつつ、嘉穂は、
「じゃあ、焼き鳥をもらおうかしら。モモ二本と、つくね二本をタレでお願いするわ」
と直接若者に伝えた。
「ありがとうございマス。伝票お願いしマス!」
若者は店員の睦美に大声で伝票への記載を頼み、早速焼き鳥を焼く仕事にかかった。
「焼き鳥のタレが好きなの?」
再度、若者と目が合ったので、嘉穂は訊いてみた。
若者は「もちろん」とうなずいた。
「オイシイヨ。私の国でも、きっとみんな好き。きっと大人気」
「あら。もしかして、帰ったらお店を出すの?」
にいっと笑って、若者はうなずいた。
「今、和食は世界中で人気ダヨ。本場で修業してきたは、看板デショ?」
なるほど、と嘉穂はうなずいた。この若者、かなりしっかり将来のビジョンを持っているらしい。
「私の国は戒律でお酒呑まない人も多いけど、美味しいものを食べるのはみんな好き。ダカラ、きっと焼き鳥はいっぱい売れマス」
そう話しながらも、若者はときおり焼き場に目をやり、焼いているモモやつくねをひっくり返したり、しっかりと手も動かしていた。
果たして彼が開く店はどんな感じになるのだろうか。
焼き鳥はともかく、刺身はどうなんだろう。そもそも、お酒を飲まない人が多いのだったら、居酒屋という形態自体が問題なのではないだろうか。
きっと、今嘉穂が食べている茄子焼きやシイタケ焼きなどは、海外の人にはシンプルすぎて受けないような気もする。特にスパイシーな料理に慣れている人には。
きっと、国が変わればそこの人々の舌に合わせた味の調整も必要になってくるだろうし、ガラッと変わってしまう料理もあるかもしれない。
「お刺身とかはどう? 受け入れられそう?」
「んー、スシもサシミも有名で和食っぽいから、食べてミタイ思ってる人はたくさんいるカモ。でも、納豆は難しいダヨ。ゴボウも木の根っこみたいで、少し難しいカモ」
「あー、なるほど。どっちもヘルシーなんだけどね」
「ウン、そこを上手くアピールできると、ワンチャン?」
そんな略語をどこで覚えた、と嘉穂は苦笑した。
「まあ、アピールもアレンジも、どんどんやればいいのよ。食べてもらえないことには始まらないものね」
「デモ」
若者は少し声を潜めて、
「店長はお客さんが喜ぶならドンドン手を加えればいいって言ってくれるケド、中には伝統を守らなきゃダメだ、って言う人もイルヨ」
と言った。
「あー、うん、それって、いいとかダメとかじゃなくて、そのままの方が人気が出る料理と、手を加えた方が人気が出る料理がある、ってことじゃないかしら」
有名な和食の代表格の料理なんかは、和食を求める客にはそのままの方が受けがいいだろう。逆に、受け入れられにくいものなら、現地の人たちの味覚に合わせて調整した方が受ける場合もあるだろう。
「日本にもあちこちに中華料理のお店があるでしょ? 日本人は中華料理が大好きだけど、決して本場の味そのままの料理ばかりじゃないのよ? 麻婆豆腐なんか日本人に合わせて相当辛さを控えてるはずだし。でも、だからこそ『本場の味をそのまま持ってきた』ってことを売りにするお店もあったりね」
例えばイタリアのナポリにナポリタンはない。スパゲッティ・ナポリタンの発祥は日本である。
パスタも日本に馴染んで久しいが、ナポリタンのみならず、タラコ味やら大葉と大根おろしの和風やら、本場にはないアレンジを日本で独自に生み出している。
ラーメンのお供の餃子も、日本では焼くのが一般的だが、本場の中国ではスープに入れる水餃子がメインで、焼くのは翌日の余り物処理だと嘉穂は聞いたことがあった。
日本ではメジャーなアンパンも、パンに餡子を入れたのは欧米の人ではなく日本人の勝手なアレンジである。
日本でもやっていることを、他の国でやってはいけないなんてこと、あるはずがない。
逆に、とある国ではかけうどんにベーコンエッグを載せてみて、それが思いのほか美味かった、なんてこともあったのだそうだ。天ぷらを載せるうどんや蕎麦があるように、実は油はうどんや蕎麦のつゆと相性がいい。そして月見うどん・蕎麦があるように、卵もまた合わないはずがないのだ。それでも、ベーコンエッグを載せる、という発想は日本人からはなかなか出てこない。
「ナルホド……」
「それに、どんなアドバイスをした人も、最終的には責任なんか取ってくれないんだから、自分の判断で好きなようにやっちゃえばいいのよ」
「そうすることにしマス」
そう言って笑いながら、若者は、
「モモとつくね、ドウゾ」
と焼き上がった焼き鳥をカウンター越しに出してくれた。
「ありがとう」
茶色いタレを纏ったモモが二本と、鶏のハンバーグを竹べらのような太い串で刺して焼いたようなつくねが二本。
つくねは真ん中の辺りに窪みを作り、そこにウズラの卵の黄身が載せてある。
箸で卵黄を割り、黄身を全体に延ばして、手で串をつまみ上げて一口囓った。
柔らかい肉、甘辛いタレと、それをさらにまろやかにするウズラの卵黄、むとときおりコリコリした食感があるのは軟骨を混ぜ込んでいるからだろう。
モモも、串を手に持って直接食べるのがいい。複数人で飲み食いするなら串から外してシェアすることも否定はしないが、一人で食べるならそんな気を遣う必要もない。
弾力はあるが歯を立てればスッとみ切れるモモの肉は、むほどに鶏の旨みが溢れ出してくる。
タレの美味さと、炙ったことにより加算された香ばしさの組み合わせが絶妙なのだ、と思う。それこそが、焼き鳥が愛される理由なのだろう、と。
塩でその香ばしさと鶏の味を楽しむのも悪くない。嘉穂とて塩味の焼き鳥は大好きである。しかし、ときおり、この甘辛いタレの焼き鳥を無性に食べたくなる。
このつくねもモモも、鶏肉自体が嫌いだというのでなければ、他の国に持っていっても美味しく食べてもらえる気はする。
しかし、反面、これがお国柄でアレンジされるとしたらどんなふうに変わるのだろう、ということについても興味は尽きない。
海外に行けば、やはりその土地の名物や料理を食べたくなるけれども、あえて海外で日本料理店に立ち寄ってみるのも面白いのかもしれない。
そして、他の国で予想外の進化を遂げた日本食が逆輸入されるような展開も、どんどん増えると面白い。
この焼き場を任されている異国の若者は、自分の故郷で日本の居酒屋料理をどんなふうに変化させていくのだろう。
それを想像することは、嘉穂の創作意欲を大いに刺激するのだった。
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