中性代名詞は言葉のジェンダーを超えるか
フランス語の辞書に、ある単語が記載されたことがニュースで話題になっている。話題というより物議をかもしていると言った方がいいだろう。なぜならその単語がフランス語に存在しない「中性の人称代名詞」だからである。
前回の話と重なるが、フランス語は男性名詞か女性名詞かに分かれる。当然代名詞も同じことで、「彼」は
ところが最近、「プチ・ロベール」という権威のある辞書が、そのウェブ版に
この掲載に真っ向から異議を唱えたのが教育省の大臣。「こんなん認めたらフランス語の将来はない!」と怒り心頭である。ただでさえ難しいフランス語教育にこれ以上余計なもんを付け加えるな、とも言っている。ほかにも政治家や言語学者などがこの造語の掲載に対して抗議している。ある代議士は「こういう包括的な言葉はフランス語を汚すものだ」とまで言った。
確かに iel という単語を実際にどうやって使うのかには疑問がある。この代名詞を文章の中に入れると文法的な不都合が出てくるからだ。
フランス語では修飾する言葉によって形容詞の性も変わる。iel を主語にしたとき「美しい」は
だから伝統的なフランス語を尊重する人たちがプチ・ロベールに対して「正しい言葉でないものを辞書に入れるとは何ぞや」と怒るのも分かるのだ。
これに対してプチ・ロベールは、
「もうすでにSNSなどで使われている単語であるし、知らない人が見たら意味が分からない。だから辞書の役割として説明しているだけである。決してウォーキズムのプロパガンダをしてるわけではない」
と反論している。
ウォーキズムというのは、アメリカから来た考えで、「社会的な不平等や差別に対して意識を持っていること」を意味するそうだ。人種、宗教、性別、性的指向、いろいろ含めてポリティカル・コレクトネスというものに配慮しようという類の考えである。
iel に対して物議が起こったのは、プチ・ロベールがこの単語を辞書に加えることでウォーキズム思想を広めようとしていると解釈されたからである。フランス語と認めるか否かの裏に、実は思想的・政治的な問題が隠れているのだ。
いかに「フランス語を汚す」と言われても、iel という代名詞に助けられる人が一定数いるのは確かである。だから文法はどうあれ使いたい人が使うには自由だと思う。プチ・ロベールでの掲載は、こういう単語が必要な人たちもいるのだと気づかせただけで充分功績があるのではないだろうか。
中性の代名詞が言葉のジェンダーを超えるかは不透明だ。一年後に iel が書籍版の辞書に載っているか、あるいは世の中から消えているかは、使う本人だけではなくそれを受ける側にもよる。
言葉は歴史であり文化であり、時代とともに流れていくものだ。それは自然にかたちを変えるもので、誰かが意図的に細工をするものではない。広まるか、広まらないかは結局は個人的なレベルの問題なのだから。
とりとめのない話になったが、最後にあるニュースで誰かが言っていた言葉を引用して終わりにしよう。
「言葉は人々のものであり、フランス語の将来は実際に使う人々が決めるものだ。この言葉を使えという権限は、プチ・ロベールにも、教育大臣にもない」
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