オルセーの五階 

 パリには数え切れないほど美術館があるけど、僕はオルセー美術館が好きだ。

 ルーヴルのような迷路ではないし、開放的でのんびりして居心地がいい。


 多分「もと駅舎」の建物がそう思わせるのだろう。ゼロ階から五階までストンと吹き抜けで、広々と感じる。今は真っ白な彫刻が並んでいる場所に昔は線路が並んでいて、機関車が出入りしていたと思うとなんだかワクワクする。造りがほとんどそのままなので、イメージがしやすいのだ。

 ガラス張りの壁には重厚な時計がドンとかかっていて、駅の名残りを強く印象づける。両わきの壁には規則正しい花柄のモチーフが施されて、アーチ型の天井まで繋がっている。そして丸みのある天井からは豊かな自然光が館内へと射し込み、彫刻たちに陰影をつける。

 

 ルーヴルみたいな広々とした宮殿もいいけど、この駅舎の建物はどこか懐かしさを覚えるような飾らない魅力がある。優雅だけど気取ってない。居心地がいいというのはそういうことかも知れない。


 僕が一番好きなのは五階だ。


 ここは印象派のフロアで、言ってみればオルセーのメインディッシュである。「美術の教科書に載ってる印象派なら全部こちらにあります」というぐらい、ほとんど独り占め状態だ。


 だけど印象派は後に取っといて、何が好きかって言うと、それはここの大時計を見ることだ。


 この建物は、セーヌ側から見ると左右の端に二箇所、大時計が埋め込まれている。下には「パリ-オルレアン」と書いてあって、それがまたいかにも駅っぽいのだけど、五階はちょうどこの時計のある場所に当たる。だからここは大時計の裏側を見ることができる、ちょっと心の躍る楽しい場所なのだ。

 

 エスカレーターで一番上まで上がったところ、印象派の展示室へ入る手前のがらんとした片隅に、その時計はある。


 そばで見る文字盤はでっかい。床から天井まである。

 太い線で縁どられたまんまるの枠。その中には、古めかしいローマ数字がぐるりと囲むように並び、クラシックだけどちょっとごつい感じのする二本の針が、裏向きの時刻を指している。そしてこの大きな文字盤の隙間からは、パリの風景がガラス越しに広がっている。


 この時計のある場所は逆光なのでいつも暗い。だから真っ暗な壁に浮かび上がる大時計は、さながら屋根裏部屋の明かり取りの窓だ。時計盤の模様がついた巨大な丸窓。できることならこの片隅にベッドを置いて暮らしてみたい。贅沢な屋根裏部屋になるに違いない。


 もう一つの大時計は印象派のフロアを突っ切った先の館内レストランの中にあり、内装の一部みたいになっている。やはり巨大な丸窓みたいに、漏れ入る日光が客席を照らしている。


 でもレストランに入る必要はない。なぜならここには建物の外に出られる扉があるからだ。テラス、と言っていいのか分からないけど、ここでは外の空気が吸える。外壁の彫刻にさえ触れることができる。


 ここは絶景だ。

 手すりから眺めると、眼下にはセーヌ河が流れ、対岸にはルーヴル美術館、その隣に続くチュイルリー庭園の緑が見える。

 均等な高さの屋根にきっちりと揃った窓が並ぶ、オスマン式の建物。その遥か向こうには、緩やかに盛り上がったモンマルトルの丘があり、白亜のサクレ・クール寺院が小さく浮かび上がっている。


 僕はこの眺めが大好きだ。ナントカと猫は高いところが好きというけど、ここからの景色を見られるのならなんでもいい。パリはやっぱり美しい街だ。


 普段は狭いところでチマチマ暮らしているから、自分の生活の領域しか見えなくなる。だからたまにこうして俯瞰で眺めてみると、この街の価値を再認識させられる。日常を忘れ、ただその美しさに見惚れるだけ。それは初めて訪れた街に感動する時の新鮮な気持ちと似ている。


 テラスの小さなキオスクでコーヒーを買い、ベンチに腰かけてぼうっとこの景色を眺めたら、それだけでご馳走。心が満たされる。


 オルセーの五階は、パリに暮らしていることを素直に幸せだと感じさせてくれる、贅沢で、貴重な場所なのである。




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る