秘密の寝顔

時田知宙

第1話

「家に行ったこともないのに?」


 あ、しまった。と思った。つい嫌味が出てしまった。お酒を飲むとけっこう、普段は我慢していることを言ってしまう。

 1年も2人で会っているのに、家に1度も入れてくれないことを不満に思っているのが、ばれてしまう。

 ずるいもので、彼は何も言わない。聞こえないふりをしている訳ではなくて、少し悲しそうな顔をして、目を伏せてしまう。あえて飲み込んでいるんだと思う。飲み込んで、言い訳はしない。この人はずっとそうだ。口ばっかりで、嘘ばかりつく男よりはずっといい。ずっといいけれど、何も言ってくれないのはずるい。そして、さみしい。

 何故家に入れてくれないかなんて、何故いつも終電で帰るかなんて、私とは付き合ってないからに過ぎない。

 そこをはっきりさせてしまうと、この関係は終わってしまうかもしれない。彼がそれを惜しいと思っているだけなのか、本当の理由がほかにあるか、私は知らない。

 知りたいけれど、聞いても教えてくれないことは、二度と追求しないようにしている。好きだからだ。そして、秘密を持つ相手に一方的に執着するのは、惨めだと思うからだ。


 なんとも思ってないようなふりをして、会話を切り替える。楽しく食事をして店を出た。

 セックスはしたいけれど、ホテルに行こうと誘う気にはならなかった。私ばかり好きで、本当は真剣に付き合いたいと思ってるなんて、バカみたいだ。

 もう数ヶ月前から、食事をしてセックスをするだけでは満たされなくなっていた。他のことも共有してみたかった。でも、彼が望まない限り、それは出来なかった。1人で思っても、意味のないことはけっこうある。それらを可愛くワガママに言えるほど、若くて無知でもない。

 今日も私が1人になってから、虚しくなるのはわかっていた。このまま会わなくなるのもいいや、と思ってもいないことを思いながら、彼を見送る為に駅に向かった。


「今日は急にありがとうね。」

さよならの代わりのつもりでお礼を言うと、彼は方向転換してホテルの方に歩き出した。寄り添うようにされて、私はいやだと言えなかった。

 密室に入ると私のスカートの中に手を入れて、八重歯を見せて楽しそうに笑うので、やっぱり拒否出来なかった。普段はつまらなそうな顔してじっと黙っているのを、本当に楽しいと思ったときにだけ思い切り笑うのを、知っているから、拒否なんて出来なかった。

 それでも申し訳程度には抵抗したが、彼の指や体から伝わる体温がじわじわと熱くて、結局良いようにされてしまった。

 付き合ってもないのに、愛のあるようなセックスをじっくりとしている自分たちがおかしかった。


 服を整え終わると、半ば強引に引っ張られて彼の大きな胸に収められた。

 背中越しに抱かれて腕を見ると、いくつかの小さな傷跡が星みたいに散らばっているのが見えた。仕事の時に怪我したのだろう。


「頑張ってるんだね。」

「…てきとう。」

「そんなこと言って、いつも仕事ちゃんとやるでしょ。」

 えらいね、と付け足して彼の襟足を撫でていると、静かな寝息が聞こえてきた。寝るのはや。私も彼の高い体温でまどろみながら、彼の腕の星をなぞって眺めていた。

 結局憎めないのだ。私は、彼のことを。私が会いたいと言えば、休みのない日々でも必ず会える時間を探して、この時間に仕事が終わると伝えれば、私の最寄り駅でじっと待ってくれている彼のことを。

 気まぐれな猫のような、まるで忠犬のような、私を抱きしめるとすぐに眠ってしまう動物のような彼のことを、私は好きでたまらないのだ。

 このまま一緒に眠って朝を迎えたいけど、私が起こさなければ彼は終電を逃してしまう。

 そうなったらいいと思うけれど、実際終電を逃した時に、歩いてタクシーを探す彼を思い出すと切なかった。

 仕方なく腕をすり抜けて、アラームでもかけようかと自分の携帯を取った。なんだかふと、カメラを起動して、彼の寝顔を撮ってしまった。カシャッ。彼は起きなかった。


 終電の少し前に彼を起こすと、のんびりした口調で、

「間に合わないんじゃない。」

と言って欠伸をしていた。

 間に合わなくても、いつも帰るくせに。そう思っているのがわからないように

「大丈夫だよ。先に出てもいいよ。」

と言うと、目を擦りながら、ううんと首を振った。


 ぼやぼや眠たそうな彼を無事に終電のホームまで送り出して、家に帰る途中にあの写真を見た。写真の中のすやすやと眠る彼が愛しかった。帰り道は虚しくなくなっていた。


 寝顔を撮ると、なんだか彼が私だけのものになったようで安心する。明日何時に起きて、何をするのか、誰と会うのか、どこに住んでるのかさえ、私は何も知らないけれど、この写真を撮った瞬間だけ、私とだけいたことを思い出させてくれる。それが嬉しかった。

 寝顔を勝手に撮るような女だと思われたくないので、絶対に言えない秘密だけれど、あなたの何も私に教えてくれないのなら、ゆるして欲しい秘密だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

秘密の寝顔 時田知宙 @mtogmck

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ