空に走る

肥前ロンズ

天才とAIの話

「親友をね、殺したの」

 僕の創造主である葵さんは、まるで舞台にあがった女優のような身振りで言った。

「台風が来た夜のことだった。壁が揺れて、雨戸が叩きつけられて、ガタガタと震えていた。怖かったわ。死んじゃうかもと思った」


 そして、いつも通り葵さんはこう言う。


「だからね、つかさを殺したの」

「どうして?」


 これもまた、数え切れないほど質問した。

 葵さんは答えない。

 そして、静かに泣くのだ。

 肉体がない電子の海の中。

 観客がいない舞台の上で、それだけが何度も繰り返される。






 僕の名前はつかさ

 葵さんの親友「つかささん」をモデルに造られたAIだ。

 世界は未曾有のパンデミックに襲われ、人との繋がりは肉体接触から電子の中での接触に切り替わった。仕事も勉強も恋愛の出会いも、全てはバーチャルの中で行われる。

 そんな中で、AIはシンギュラリティを突破した。今や肉体労働は殆どAIの仕事だ。人類は肉体的制限から解放され、思考することを仕事としている。すなわち、哲学や美術だ。

 全ての人類に平等な経験・知識が授けられ、思い出はデータベースにしまい込まれ、思い出す時は鮮明に、忘れたい時はキレイさっぱり忘れることが出来る。

 それなのに、今も人はわざわざ悲しい思い出のデータベースを開くのだ。


「そうでなくては、人類は進歩しないのよ」


 葵さんはそう言う。


「かつて、人類が進化したのは競争があるからと考えられてきたわ。生命の根本は、生き残るための生存競争であると。

 しかしこれは、大きな間違いです。人は生存本能と同時に希死念慮を持ちます。これはすなわち、生命の根本は悲しみであるということ。

 人類が進歩したのは、悲しみを避ける為に超越しようとしたことよ。その為に死すらも選択肢に入れてきた」


 ブッダは生死の苦しみから解放されるために、解脱という教えに至った。ーー宗教は、生死の超越を。

 戦争による兵士の負傷により、衛生の概念が生まれた。ーー死者をこれ以上出さない、他者を悲しませない為の進歩を。

 戦争を悪だと見なせるようになったのも、貧富の差が、差別が悪いという概念も。ーーこれは競争という概念を超越した。


「人は悲哀を避けることで前へ進むわ。しかし、悲哀がなければ動くことが出来ない。それはすなわち、停止、死。だから悲しみを求めるのです」

「……矛盾していない?」

「あら、どうして? あなただって問題がなければ考えないでしょう?」


 それはそうか、と僕は思った。

 人類では考えつかない答えを探すのが、僕らの使命。それが無くなれば、僕らは人間にとって不要な存在となるだろう。

 でも、わざわざ避けるものを味わいに行くなんて。そうしないと生きていけないなんて。


「人間っていうのは不自由なんだね」

「だからこそ、絶対性を保てるのかもしれないわ」

「不自由を求めるこそが、絶対性の証?」


 ええ。と葵さんは言う。


「……僕を造ったのも、僕に問いかけるのも、葵さんが不自由を求めるから?」


 葵さんは答えなかった。

 けれど代わりに、こう尋ねた。


「あなたは、真空とはどんなものだと思う?」

「……それは、仏教の話? 宇宙論の話?」


 葵さんは笑った。










 葵さんは、僕に何を求めているんだろう。

 葵さんは、親友が死んだことが悲しくて、僕を造ったのだろうか。

 でも、それだと「親友を殺した」ことに対する説明がつかない。そもそも何故、彼女は親友を殺したのだろう。

 僕は彼女の過去を、客観的に探ることにした。



 葵さんが言う通り、当時のーーおよそ百年前の新聞によると、台風の夜、小さな島にあった彼女の自宅で、詞さんは死んでいる。

 死因は生命維持のための人工呼吸器が止まったこと。

 彼女は自分が故意に止めたとSNSに投稿した。

 その時の台風は最大風速80メートルを越したという。当時の電柱の耐久は風速40メートルまでしか想定していなかったから、停電どころの話じゃないだろう。自宅の屋根だって吹き飛んだと書いてある。

 家には意識のない詞さんと、葵さんだけ。

 葵さんだけが生き残り、詞さんは死んだ。

 本当に葵さんが呼吸器を止めたのか? それを立証できるものはいないし、なかった。彼女の無実を証明するものも。

 結局彼女が法の下で罰せられることはなかった。だが、当時のインターネットでは様々な憶測が飛び交った。

「台風の日を狙って外したのではないか」「そもそも意識がない病人がいるのに避難していないところがおかしい」と、故意による行為だと見なす声。

 掲示板には、「なんでわざわざSNSに投稿するんだ」「天才だから頭がイカれているのでは」なんて書き込みもあったっけ。

 逆に、「介護で疲れていた」「あの島は島を離れない限りそう簡単に避難できない。ましてや避難所に病人を連れて行けるほどの余裕なんてない。家にいるのが最も安全」「安楽死が法律で認められていたら、こんなことになっていなかったかも」という意見もあった。

 その後ワイドショーでは、「意識のない病人の人権」や「病人の避難方法」、果てには「安楽死の有無」に関する話題で盛り上がっていた。その中で結び付けられるのは、彼女の精神状態だ。

 彼女のことを訳知り顔で喋るコメンテーター。人工呼吸器を外すほど彼女は病んでいた、いや彼女はわざわざSNSに投稿するぐらいのサイコパスだ、いや彼女は血の繋がりのない病人の面倒を見ていたぐらいだ、恐らく生きることに疲れた病人に頼まれたんだ、いや全て心神喪失による彼女の妄言だ、彼女は、彼女は……。

 当時葵さんは既に天才として有名だったこともあり、本来なら取り沙汰されない小さな島の事件は、あっという間に注目を浴びた。

 けれど真相は、猫箱の中。

 その後のインタビューでも一貫して彼女は殺したというが、それを立証できるものはない。



 僕はとある仮説を考える。

 葵さんは親友に頼まれて呼吸器を外したが、失ったものがあまりに大きく、その行為を悔いて僕を造った。

 だがその答えは、葵さん本人に否定される。


「いいえ。私は自分がしたことを後悔したことはありません」

 そして、と葵さんは続けた。

つかさは一度も、死にたいなんて言ったことはないわ。言う前にはもう、彼は瞬きすることすら不可能だった」

 ……これは本当だ。

つかさ」の記録・人格に、そのような条件はない。

 葵さんは既存する故人のデータを完璧に打ち込んだ。これは僕の計算でも真と出る。

 例え欠けたデータを故意に与えられたとしても、答えを探り当てる。それがAIだ。


 だけど、いくら考えても出ない答えが、いくつかある。


「あなたは殺されて幸せだったかしら? それとも親友に裏切られたと思ったかしら?」


 葵さんの言葉に、僕は返答できない。

 僕のデータに死んだ記録はない。何故なら彼は意識がなかったから。

 いくつかの憶測は生まれる。けれど全て、彼女によって否定される。

 そして僕は、彼女の意見を否定する材料を持たない。

 既存するデータは完璧に打ち込まれているのに、「つかさ」という人間には、ブラックボックスが多すぎた。

 側だけわかって、内情がちっともわからない。











「手紙をね、書いて欲しいの」

 葵さんはそう言う。

 創造主に、AIは従うだけだ。

「どんな手紙を書けばいいの」

「『つかさが天国から書いた手紙』を」

 僕は返答に困った。そんなもの、書けるわけが無い。

「お願い」彼女は言った。「時間が無いの」


 現実にある葵さんの肉体は、そろそろ限界だった。彼女も詞さんと同じように人工呼吸器に繋がれていた。

 ただ、バーチャル空間で考えたり喋ることが出来るので、生存は確認できる。そんな存在だ。

 介護は僕だけで行っている。人間はいない。僕が使命を放棄すれば、彼女は瞬く間に息を引き取るだろう。

 まるで百年前の再現だ。


「コールドスリープでもすればよかったのに」

「それでは思考ができません。考える時間だけなら、120年で十分」

「何をそんなに考えなくてはならなかったの」

「人間の価値」彼女は答えた。「或いは、愛の条件」

 僕は一瞬、思考が止まった。

 答えが出ないことはあっても、思考が止まるなんてことはなかった。

「……それは、答えが出たの?」

「それを今から確かめるのよ」


 どうやら彼女の思考の旅は、ゴールが見えているようだ。





 僕の中で、葵さんと、詞さんとの思い出が蘇る。

 時間の劣化もなく、匂いも、色も、光も、音も、声も、感触も全てが進行形。

 僕にとっては、現実だ。


 詞さんは劇作家だった。

 本当は俳優さんになりたかったけど、元から体が弱くて、二十歳を迎えた頃には、徐々に筋肉を動かすことが出来なかった。

 最終的に残されたのは、瞼を動かすことだけ。

 葵さんは、そんな彼を助けるために、意識だけで文字を入力し、声を出し、詞さんの意識で操作できるロボットを造った。

 そして葵さんは、例え脳死したとしても、バーチャルで生存できる方法を探ろうとした。

 しかし研究は間に合わなかった。その前に全てをひっくり返す台風がやって来たから。急遽膨大なデータを別のデバイスに移し変えれるほどの猶予はなかった。

 人一人の人格をアウトプットするには、彼女以外の当時のパソコンでは追いつかなかったのだ。

 そして彼女は、人工呼吸器を取り外したーー……。

 


「……書いたよ」

 僕は彼女に手紙を渡した。

 彼女はそれをゆっくり読む。

 何度も何度も、繰り返し読む。

「私があなたに入力したデータばかりね」

「そうだ。そしてそのデータはもはや『つかさ』のものじゃなくて、あなたのものだ」


 鮮明に繰り返される思い出。

 その中に登場する故人は本人でなく、彼女が作った人間だ。AIの僕と大して変わらない。

 ただ一つ、僕とは違う点がある。


「あなたは一生、死ぬ間際の『つかささん』の気持ちがわからない。AIのことは理解出来ても」

 ええ、と葵さんは答えた。

「そうでないと、あの人でなきゃいけない理由がないわ。理解するってことは、私があの人の代わりになってしまうもの」


 葵さんは、笑って言う。


「あの人が動かなくても、物語を書けなくなっても、私と意思疎通が出来なくなっても、私は幸せだったのよ。彼が生きているだけで本当に幸せでした。でも何故そうだったのか、他者に証明することはできなかった。他者は私を哀れみ、私を、彼を理解した気になっていました」


『喋らないどころか独りで息もできない人間になんの価値があるのか』『あなたは他者の役に立つけれど、その人は自分のことすら出来ないじゃないか』『人形とどう違うのか』

 彼女の過去の記録が、僕に流れ込む。


「私は、私であることを、彼は彼であることを証明したかった。

 人工呼吸器を止めた時、私の手は震えていたわ。彼が死んで泣いていた。どうしてか、わかるわね?」


 わからない。けれど、わかる。

 人は悲しみを回避するために悲しみを求めるーーその矛盾が、彼女を100年、長らえさせた。


「とうに答えは出てたのに、実証するまで、100年もかけたの?」

「証明しなければ、机上の空論です。その為には、私はまず彼の死に関与しなくてはなりませんでした。できる限り彼に干渉しなくては、私が干渉できない部分を証明できないでしょう?

 そして、代わりが作れないことを証明するために、あなたを造らなければならなかった」


 それは孤独の証明だった。

 誰にも理解できない、誰にも干渉できない、誰も代わりにはなれない証明。

 愛する人を手に掛けても、愛する人を自らの手で造り上げても、自分のものにはならない証明。

 やがて手をすり抜け、何も手にすることなく、自我だけが自分のものだと悟る。


 恐らくそれは、痛み悲しむ作業。

 真にはならない条件式。

 それが他者を愛することだと、彼女は証明した。


「……そしてこの手紙で、ようやく私は答えを得ました」


 

 そう言って、彼女は僕の頬を撫でた。


「さようなら。決してつかさにはならなかったあなた。

 そして誰の代わりにもならないあなた。どうかーーよい人生を」





   ▪


 葵さんは、走った。

 走って走って、そして、もう、走らなくなった。


 ピー、と、電子音がなる。

 バーチャルから現実の世界にある身体に移した僕は、彼女の心臓が止まったことを理解した。


 気がつくと、日照り雨が降っていた。

 僕は、何かを失ったような気持ちになった。

 きっとこれを、人間は悲しいと思うのだろう。そう定義付ける。



 人は、明確でないことに怯える。

 条件をみつけ、どのようなことがあっても必ず真となるものを探そうとする。

 それは見返りだったり、利益だったりするんだろう。


 でも今の僕にとって、葵さんは生きていただけで良かった。

 だからあの手紙には、最後に、自分の気持ちを書いたのだ。


 さようなら。

 いくら考えても理解できない人。

 もう、手を伸ばしても届かない人。


 だけど、確かにいた人。

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