空と羽と人と夢

 人は空を目指す生き物だ。

 オーヴィル・ライトを載せたライトフライヤーは、一九○三年にキティホークの空を飛んだ。

 それより前の時代にはかのレオナルド・ダ・ヴィンチがヘリコプターのスケッチを残していたことも、人間の空への探究心、飛ぶことへの憧れを窺い知る手掛かりになるだろう。


 思うに人は、無いものを求める癖がある。

 翼が無いから、人は空を求めるのだ。成層圏の遥か向こう、その広大な宇宙すらも、手元に収めようと手を広げるのだ。そうやって人は数々の不可能を可能にしてきた。持たざるモノへの羨望は進歩の原動力であるのだろう。

 ……傲慢だと、俺は思う。

 と言っても、別にあれもこれもと欲しがることをいけないことだとは思わない。技術の進歩を悪く思う人間はそう居ないだろう。まあ「自然を守る」だのなんだのと言って反対する、別の意味で傲慢な人間もいるだろうが、だいたいは進歩に好意的だ。現に俺の首には、空間を写し取る映写機、というものが掛かっている。当世風に言えばカメラ、だったか。いや冗談だ、忘れてくれ。

 では、何が傲慢か?と問われると、それは見渡せば飽きるほどいる凡百の凡人である。

 私はなんでも出来ると、やれば出来ると、そう信じて止まず、今日も無い翼を振り回しては疲弊している。

「諦めなければなんでも出来る」?

 精神論でどうにかなるなら、既に世界に劣等生は居ない。

「我武者羅にやれば結果は付いてくる」?

 仮に思考停止したとして、なおも飛べる人間はそもそもそんな無駄な努力を必要としない。

「結実しなくても人生に生かせることがある」?

 言い訳だ。甘すぎて反吐が出る。

 多くの人間は無駄な努力をしている。自らの潜在性を過信し、ベランダに足をかけ、そのまま堕ちる。地へと堕ち、そのまま朽ちる。自らを知ろうとせず、また自らの現状から目を背け、そして死ぬ。実に愚かである。

 だが、そういう凡人共に限って、肝心なことを忘れている。


 人間は、空を飛べない。


 空を飛んでいるように見える”天才”は、粗方見えない糸に釣られている。もしくはもう遥か上空から落ちてきているだけである。

 コネ、金、才能、初期投資。そういった原因で飛んでいるように見えているのを知らない凡人は、私達も、と誤認する。

 違う。違うと、俺は思う。


 真の天才は、ずっと目下を走っている。凡人が空を見て垂直跳びをしている間に、ずっと、ずっと。

 だから、人間は空を飛ぶ必要などないのだ。出来ることから目を背けるのはただの甘えだ。


 ……尤も、俺はそれに気付いて努力した人間ではない。金だけ持ってバンジーしている凡人である。

 俺は別にそれでいいと思っている。全部程々にやって、それでも程々に生きられる条件が揃っているならそれに甘えない手は無い。当然、偉業を成し遂げる気などさらさら無い。地に堕ちる迄に死んでしまえば何も問題など無いだろう?というタチである。

 つまらないと思うだろうか?

 まあ、そういう感想を持つのは自由だが、生憎これは俺の人生である。己の価値観が皆同じだと思っている傲慢な人間の尺度に測られてやるつもりなど無い。


 ファインダー越しに景色を覗く。広がる田園風景。淡い色の街並みに、群青の大空。

 数枚撮って、カメラを下ろし、携帯を開く。旅行に来た旨への返信。

「なんで連れてってくれなかったん」

「ほんとそれよ(´・ω・`)」

「旅費で一体ガンプラ何個買えるんだ」

『知るか自分で計算しろ』

「あ、お土産はソーセージとビールでよろしくぅ」

「草」

 携帯を閉じて、溜息をつく。騒がしい連中だ。置いてきて正解だったな、と思った。


 余談だが、此処はイギリスである。

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