第10話…「魔王様の守るべきモノ」
それは気絶した娘の一閃による傷、それでしっかりとつけていたお面がズレ、普段お面と合わせる事でメイド長が得ている能力…精神状態に対する耐性が薄れたのだろう。
彼女も獣人、能力で押さえていた種族特有のソレが、この場の他の娘たちの発情の匂いに当てられて活性化してしまったのだ。
お面を取ったメイド長の顔は、それはもう綺麗な顔立ちであった。
整った顔、長いまつ毛に…整えられた眉、筋の通った高すぎない鼻、全体的に大人びた印象のある顔の中に、これもまたぱっちりとした目も綺麗なモノで、くりくりとした雰囲気も持つ目が綺麗…美しいという印象とは別に、可愛らしさも覗かせる。
普段見ぬメイド長の顔。
日は消えかけ、暗闇に国中が落ちて行く最中、薄暗さの増していくこの場において、その顔は、魔王の胸を高鳴らす。
お面を付ける理由を、魔王は聞く事をしてこなかったが、それを見ていると無性に惹かれるものがある。
「・・・。」
そして、自然と…その顔へ、魔王の手が伸びた。
その頬は積もったばかりの初雪のように柔らかく、それでいて家を温める暖炉の熱さにも似た温かみがある。
メイド長は、くすぐったそうに自身の頬に触れる魔王の手へ、自ら頬を摺り寄せられる。
魔王とて、そういった経験が無いという訳ではない…が、魔王になる…と決めたその時から、区切りを付けた。
この人肌に触れる心の安らぎに心を揺れ動かされる。
「・・・。」
だがしかし、いや、だからこそ、魔王はその手を離す。
「…フンッ!」
そして、暗闇に沈みゆく森の中に、パアァーンッ!と綺麗な音を響かせる。
魔王は自身の両頬を手で加減なく叩いた。
魔王ともなれば、女の1人や2人…いやそれ以上、迎え入れる事など容易い事、その証明として、彼はここにいるのだから。
そこに感情が付随しているかは別だが。
子とは、未来を託し…残すモノである。
竜の血を引く彼にとって、その血を与える事、継がせる事はその場の空気で決めていい事柄ではないのだ。
むやみやたらに女遊びをし、その結果生まれてくる子供の辿るかもしれない未来の1つを、彼は地獄の底ほど深く理解し知っている。
その両頬に走る激痛は、場の空気に呑まれないため。
発情期特有の催淫効果は、状態異常として魔王に効く事はない…、だからこそ、空気…流れ…と言った状態異常に含まれない…、なし崩し的な場の力を覆すには、ソレが一番なのだ。
「魔王様?」
大人らしさの中に潜む子供らしさ、メイド長は大人であるが…。
キリッとしていつも冷静な彼女の普段見せぬ姿、淫魔に何か術を掛けられた訳じゃない…そもそも魔王には効かない…、それでもなお惹かれる魅力は確かにそこにある。
彼は、男故に、もったいない…と断腸の思いで、彼女を…メイド長を本気で…殺意を持って睨みつけた。
「…ッ!」
その瞬間、メイド長は、自ら魔王から距離を取り、そして、外していたお面を再びつける。
「ハッ!?」
そして彼女は、何かを思い出したかのように息を飲んだ。
「お面をちゃんと付けたな? いいか? 外すなよ?」
彼女が頷くのを確認し、一息ついてすぐ…。
立ち上がった魔王は自身の右腕を振り上げる。
・・・すると、その腕が一回り大きくなると、鱗や甲殻に覆われ始め、爪は鋭く伸び、まさに竜の腕と言えるモノに変わった。
そして、傍で倒れて気を失っている娘を指差しつつ叫んだ。
「衝撃に備えろッ!」
全身から溢れ、可視できる程の魔力がその右腕に集まりきると、さらに大きく膨れ上がり、その状態を頃合いと見て、魔王はソレを地面目掛けて思い切り振り下ろした。
瞬間…。
まるで雷でも落ちたかのような轟音が響き渡ると、空の天井へと届かんばかりの土柱が舞い上がり、衝撃波が周囲のモノを吹き飛ばしていった。
豊富な魔力を吸って成長してきた木々達は、人間数人が手を繋いだところで一周できない太さ、そんな太さの大木達が、魔王が拳を振り下ろした場所を中心に、外へと向かって傾き、その枝は何十…何百と折れ、葉は吹き飛んでいる。
本気ではなかったが、本気を出す時に行う行程を踏んだ一撃、その一振りは周囲に立ち込めていたモノ…甘ったるい匂いも、執拗に残り続けていた獣の臭いも、何から何まで吹き飛ばしていた。
「やり過ぎです、魔王様。」
娘を庇う様に抱きかかえていたメイド長が、魔王のその一振りに対して言葉とともに、嫌味の籠った拍手を送る。
全身泥や砂だらけで汚れきり、髪なども当然乱れた姿。
そんな彼女の目は、笑ってはいなかった。
衝撃を考えれば、それだけで済んでいるのは、驚くべき部分があるけれど、メイド長のその言葉に魔王は、ただただしゅん…と縮こまる。
「すいません…。」
考えなし…軽率な行動、そう言われればそれまでだ。
彼女の目はマジだった。
魔王は、その目に本気の怒りを感じ取り…
「…こわい。」
…と小さい声でつぶやく。
同時に、普段の怒りとは違う…、さらに大きく、さらに鋭いその感情に、彼女の機嫌は少しでも損なわない様にしよう…、そう心に決めるのだった。
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