小説・趙雲別伝

雛人形

第1話 常山の趙雲

「仁政を布き、大義を為す方に仕えたい」

というのは馬上の青年が数年前から抱いている思いである。冀州きしゅうにある常山郡真定県じょうざんぐんしんていけんの出身で姓名を趙雲ちょううん、字を子龍しりゅうという彼は、その常山郡を出て幽州ゆうしゅうへ向かっていた。五百余の義勇兵を率いて仕官するためである。目下、北方で勇名を馳せている公孫瓚こうそんさんの元へ行くつもりである。

趙雲が義勇兵を集めて仕官の道を探りにいく数年前、黄巾こうきんらんと呼ばれる大乱が起こっている。この乱は中華全土に波及し、現王朝である漢王朝かんおうちょう震撼しんかんさせた。この王朝は外戚がいせき宦官かんがんの権力争いが繰り返されて腐敗しており、民衆の不満を煽る形で黄巾党と呼ばれる新興宗教集団が王朝転覆を企てたのである。

冀州も当然ながら黄巾党が押し寄せた、というよりは激戦地であったかもしれない。黄巾党の首領である張角ちょうかくは冀州出身であり、官軍を率いた盧植ろしょくと激しく交戦した。黄巾の乱自体は皇甫嵩こうほすう朱儁しゅしゅんらにより概ね鎮圧されたものの、多量の残党軍や呼応して決起した賊軍は多数存在した。常山郡に近いところにいたのは「黒山こくざん」と呼ばれる賊である。もしかすると十代の趙雲は黄巾党や黒山賊との戦いが初陣だったかもしれない。

黄巾の乱があらかた鎮圧されたかと思えば権力闘争が始まるのが王朝である。趙雲が幽州で公孫瓚に会った頃に政権を握っていたのは董卓とうたくであり、冀州にいた袁紹えんしょう韓馥かんふくは反董卓の兵を挙げたが、結局は曹操そうそう孫堅そんけん以外は誰一人戦わずに解散している。そこまでの詳細は趙雲は知らないが、北方の州である幽州にあって、異民族や反乱軍を相手に大勝し一気に有名になった公孫瓚に興味がわいた。趙雲としては腐敗した王朝よりも半ば軍閥化しつつある公孫瓚が魅力的であり、公孫瓚が名君であれば漢王朝にさほど未練も残さず天下を取らせるべく奮闘したかもしれない。同じく北方で高名な劉虞りゅうぐに仕えなかったのは趙雲が武人としての気質を色濃く持っていたからだろうか。

とにかく趙雲は無事に公孫瓚に面会でき、歓待された。この時に

「汝の志は如何様いかようななものか」

と問われた趙雲は

「仁政を布き、大義を為す方にお仕えしたいと思い参りました。侯が大義を為すお方であれば粉骨砕身働きます」

と答えた。これを聞いた公孫瓚は難しい顔をした。聞きようによってはいつでも出奔しゅっぽんすると言っているようなものである。また公孫瓚は冀州の韓馥を圧迫し、幽州牧で有徳者とされる劉虞と不和である。趙雲にどちらかに奔られても困る。

「存念はわかった。期待を裏切らぬよう私も気を引き締めよう」

公孫瓚はこう言うしかなかった。


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