第一話

謎多き少年(1)

 ジビレ・プレッチェはフェルメロス家に雇われた護衛である。担当は令嬢の警護。女性である奥方と令嬢の傍近く控えるには男性は向かない。男性の多い護衛班の中で数少ない女性警護員だった。


「ミザリー様、そろそろお戻りになりませんか?」

 護衛対象の令嬢の名だ。

「そうね。もう薄暗くなってしまったものね」

「ずっと外におられたので気付かれていらっしゃらないでしょうが、既に星明りも見えています」

「そんな時間になっちゃったのね。ごめんなさい。残念だわ。黄色のドレスに合う紫のコサージュをどうしても見つけたかったのに」

 アクセサリー探しで延々と大通りを巡っていたのだ。

「やはりピンと来るものは一期一会なのですね。あの時に買っておけばよかった」

「職人の手作りのワゴン売りだったのでしょう? 探すのは容易ではないかと」

「ネットモールでもずいぶん探したの。でも、大手のショップに埋もれて手作り品のページにはなかなか辿りつけなくて」


 ミザリーが以前にワゴンを見掛けた通りを探し回ったのだが見つからない。それも仕方ないであろう。ここは惑星国家バルキュラの首都マスバである。人口五千四百万を誇る大都市なのだ。


「諦めて誰かにお任せを」

 ジビレは進言する。

「だって、ちゃんとイメージを伝える自信がないんだもの。自分で探しだせなくては絶望的だわ。買っておけばよかったっていうのは分かっているのよ。でも、まだあのドレスが仕上がっていなかったの」

「では、お手伝いしますので代わりの物を探しましょう?」

「手伝ってくれる? ……ううん、悪いわ。仕事の時間外まで拘束するなんていけないもの」

 令嬢は配慮を見せる。

「でしたら明日の時間内でお願いします」

「それだったらいいわよね」

 ウインクして応じる彼女にミザリーは笑みを見せた。


 傍目には令嬢が我儘を言っているかのように見えるだろう。だが、ジビレはそうは思っていない。ミザリーは普段の装いも大切にしなくてはならない立場の人間なのだから。

 彼女はフェルメロス家の一人娘。軍務大臣ヘルムートが目の中に入れても痛くないほどに愛している大事な娘である。尚武の傾向の強いバルキュラにおいて多大な発言力を持つ軍務相の宝。


(もちろん、妙齢女性なりのファッションへのこだわりがここまでさせているんだろうけどね)

 それは同じ女性のジビレにもよく理解できる。


 父親の立場上、社交界へも度々顔を出さなくてはならない。装いにも必要以上の心配りが大切なのは間違いようのない事実。父の体裁のために努力している一面もあるのだ。


「帰りましょう、ミザリー様。車を呼びます」

「お願いね」


 夜陰が近付くにつれ、街行く人の層も変わりつつある。昼間の健全さとは無縁の存在も少しずつ現われはじめる。その中でミザリーの姿は目立ってしまうだろう。


 令嬢はハイエイジスクールを卒業してまだ三年の二十四歳。匂い立つような花ざかりの年頃といえよう。

 少し色濃い波打つ癖のあるアッシュブロンドを腰まで伸ばしている。よく手入れされた流れる髪からはトリートメントの香りとは別に、女性ならではの甘い香りが漂っている。フェロモンに吸い寄せられるような視線は否めない。


 迫る夜闇に浮かび上がるアイボリーの肌は若さを象徴するかのごとき艶やかな光沢を帯びているかのようだ。狭い額が描く曲線は気品に満ち、焦げ茶色の眉は柔らかな円弧で容貌を彩っている。

 いささか垂れ気味の目は柔和な印象を抱かせるだろう。そこに南国の海の青さを思わせる瞳が輝いている。

 バルキュラに多い彫りの深さで鋭角な山稜を持つ鼻も全体のバランスを損ないはしない。淡いピンクの厚めの唇も令嬢の情の厚さを示しているかのよう。僅かに紅潮した頬は夜遊びの興奮から来るものかもしれない。


(本当に綺麗な方。こんな美しい花は夜風にさらさず早めに隠してしまわないと悪い虫がすぐに寄ってきてしまいそう)

 ジビレは周囲に配る視線に鋭さを混ぜる。


 彼女とて二十八歳。人目を惹くような整った顔立ちをしている自覚はあれど、ミザリーの横に並んでいればどうしても霞みがちになってしまうのは否めない。腰の後ろに提げている物を使うような事態は避けたいものだ。


「あら?」

 疑問の声にジビレは視線を追う。

「胡散臭い輩です。危うきには近寄らずが鉄則です」

「でも、あの人の前に小さな影が路地に入っていったように見えたの」

「小さい影? こんな時間に?」

 そうこうしている間に夜になってしまっている。

「ジビレ、お願い」

「仕方ありません。ミザリー様は後ろへ」


 令嬢の示す路地のほうへと向かう。幸い、荒事を思わせるような物音は聞こえてこない。楽観はできないが、憂慮すべき事態にはなっていないと思われる。それでも彼女は警戒を解かずに一歩いっぽ路地へと近付いていった。


「は?」

 戸惑いの声が漏れる。


 予想に反し、先ほどの胡乱な男は泡を吹いて路面に転がっていたのだ。


   ◇      ◇      ◇


(なんで? まるで光を纏っているみたい)

 ミザリーは、その小さな影に後光が差しているように感じていた。

(荘厳な空気。……子供?)


 路地の奥には緑色の双眸が光を放っていた。

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