ゼムナ戦記  過去からの裁定者

八波草三郎

プロローグ

目覚めしもの

 ほとんど何もない簡素な部屋。あるのは中央で鈍く金属光を放つ寝かされた円筒だけ。一応は明かりが点っており、全体に白く感じる。


 誰の気配もないままに小さな2D投映パネルが立ち上がる。そこには「開放」の文字が点滅していた。


 よどんだ空気に微かな駆動音が響くと、中央に置かれていた円筒の上部が両開きになる。金属製の円筒の内部に何かが満たされていたわけではなく、気圧も同じだったようで空気が漏れるような音もしなかった。


 中には光沢のあるフィルムが張られている。下には薄い水色のジェル状の物質。それがジェル状物質だと分かるのは、中央が人型に沈んでいるからだ。

 横たわっているのは身長150cmほどの人体。フィルムの上にあるその姿は、まるで水面に弾かれて浮いているかのように見える。


 小さく上下する胸元に膨らみはなく少年だと分かる。黒髪は艶々と輝きを放ち、光の具合によっては青みを帯びて見える。寸分の癖もない直毛は眉のラインで切りそろえられ、相貌を縁どる黒髪は首を露わにする長さで整えられていた。


 白皙の面は静けさを湛えたまま。黒く細い眉の下の瞼は閉じられ、長い睫毛ばかりが目立つ。通った鼻筋は涼しげなラインを描き、少し薄い唇へと続いていた。

 美少年と呼ぶには語弊があるだろう。華やかさや愛嬌とは無縁に感じられる。「端正」の二文字で形容すれば誰もが納得するような顔立ちだ。


 頭と腕を通すだけのずらりとした衣装が膝までを覆っており、未成熟を感じさせる足の細さが目を引く。幼さを表すような身体つきは子供と言っていい年齢を想起させる。

 瑞々しい白い肌は、触れれば子供特有の張りつくような触り心地だろうと思える。身長からすれば男性としての性徴を表してもいいはずだが、その肌に無粋な体毛は認められない。金色に輝くうぶ毛だけに覆われているのは性別を超えた何かを感じさせるかのようだった。


 穏やかな呼吸だけを見せていた身体に変化が表れる。瞼が僅かに震えるとゆっくりと開かれた。

 露わになった双眸には湖水を思わせるような緑の瞳。静かに周囲を窺うと数度まばたきを繰り返した。

 自己の状態を確認するかの如く沈思する。しばらくして鋭く息を吸い、肘を立てて上体を起こすと再び周囲に目を走らせた。


『ここはどこだ? 今はいつだ?』

 開かれた唇からは流暢な音階が紡がれる。

『あなた様の生きておられた時代ではございません』

『なぜ目覚めさせた?』


 緩やかな抑揚を奏でる女性らしき声に少年は再び尋ねた。

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