その3

 翌朝、俺はいつもと変わらぬ時間(即ち午前6時)に目を覚ましたが、親父とお袋は既に起きていた。


 親父は庭木の水やりを済ませた後、木刀の素振りを行っている。


 お袋は既に朝食の準備を終えていた。


『お父さん、宗(彼女は普通俺をこう呼ぶ)、ご飯が出来たわよ。食べ終わったら直ぐに支度をなさい!』


 お袋の言葉に、俺は読んでいた新聞を放り出し、畳の上から立ち上がった。


 朝飯は久々に和食。

 塩鮭を焼いたもの。

 豆腐とわかめの味噌汁。

 卵焼き。

 煮豆。

 そして炊き立ての白い飯。

 

 こんなもの、本当に何年ぶりだろう。

 やっぱり、家で喰う飯というのは美味いものだ。


 ”頂きます”と、一応声に出して言ってから、誰も口を聞かない。

 黙々と箸を動かし、食べる。

 親父も俺も自衛隊にいたから、とにかく早飯である。

 (もっとも親父は退職後お袋の”躾”で、随分変わったようだが。)

 しかし俺は空挺だったから、凡そ5分もあれば食べ終えてしまう。

 え?何故空挺が早飯かって?近くに陸自のOBがいたら聞いてみたまえ。すぐに分かるから。


『宗、あんた自衛隊辞めてからもう十年以上になるでしょう?だったらもうその早飯の習慣改めなさい。でないと長生きできないわよ』

 食べ終えた俺が食器を片付けていると、お袋が眉を吊り上げて言う。

『仕方ないだろ?一度ついちまった癖はなかなか抜けないもんだよ。それに俺はあんまり長生きしたくないからな』

『何いってるの?!これからお見合いに行こうって人が、もう・・・・そうそう、お父さんから借りたスーツ、ズボンの方ウェストと裾丈を直しておいたから、後で合わせておきなさいよ』

『了解』

 俺は軽く答えながら、台所に食器を持ってゆく。


 居間に戻って、鏡の前で親父のスーツを着てみた。

 しっくりと身体に馴染む。

 ウェストも、丈もぴったりだ。

 こういう時、”親とは有難いものだ”などと思ってしまう。勝手なものだ。


 厄介なのはネクタイだ。

 やっぱりこれだけはどうも慣れない。

 しかし一応かしこまった席でもあるし、ノーネクタイと言う訳にもゆくまい。

 腹を括って締めていると、お袋が入って来た。


『宗、あんた何やってんの?自衛隊にいたくせに、ネクタイ一つ満足に結べないなんて、貸してごらんなさい!』


『結べてるじゃないか?』

『それはプレーンノットでしょう。ウィンザーノットよ!あっちの方が見栄えがいいんだからね』

 またお得意の”ネクタイ講釈”が出た。

 俺は稀代の面倒くさがり人間である。


 ネクタイそのものが嫌いだってのに、結び方なんかどうだっていいじゃないか・・・・昔からそう思っていたのだが、お袋はそれじゃ納得しない。


 親父も俺と似たようなものだったから、結婚してすぐから無理矢理あの面倒くさい結び方を叩き込まれたそうだ。


 お袋はもう一度俺を鏡の前に引っ張ってくると、ネクタイを無理矢理引っぺがし、あのうねうねと喉のまわりにのたくる結び方でネクタイを巻き付け、

『あんたもいい加減に覚えなさい。今まで結婚できなかったのは、お洒落に気を使わないからよ!』


 たかだかネクタイ一つでこの講釈だ。


 いい加減くたびれてしまったが、俺は腹の中で、

(もし今度の見合い相手が、お袋と同じ性格だったら、考え直そうかなぁ)そんな事を呟いていた。


 まあ、結局なんだかんだあって、俺の支度も終え、親父もお袋も身支度を整えた。


 え?

(いい年齢としをした男が、両親に挟まれて見合いに出かけるのか)だって?

 どうだっていいじゃないか。

 

 二人は行く気満々(特にお袋が)なんだし、それに今回の見合いは俺個人の問題というより、一種の親孝行でもあるんだからな。

 

 孝行って仕事をしてやるのも、息子の義務みたいなもんだろ?


 見合いは午前11時30分、この町で一番大きな料亭『つき村』の離れ座敷で行われるそうだ。

 送り迎えは義弟の健一君がやってくれる。


 流石に律義な男だ。


 出発する20分前には、もう既に車(最近買い替えたばかりのプリウスだ)で到着していた。

”つき村”までは30分もあれば余裕で到着する。


 お袋は地味な藍色の小紋。

 親父は一番気に入っているというグレーのスーツに茶色に白いストライプの入ったネクタイ。

(当たり前だが、結び方は当然ウィンザーノットだ)


 健一君の運転はゆっくり過ぎず、かといって乱暴でもない。実にきびきびとしたもので、待ち合わせ時間の10分前にはついてしまった。


 出迎えてくれた仲居さんが、

”先様はもうお着きになっていらっしゃいますよ”との事だった。

 そこでまたお袋がいつもの癖で、

”お父さんのトイレが長いから”とか、

”宗、あんたがネクタイの結び方くらいでてこずらせるからでしょ”なんて、一人で

俺たちに文句を言っているのがおかしくて仕方がなかった。


 俺たちが通された離れ座敷には既に敵さんが三人、並んで座っていた。

 当り前だが両親ともこちらよりは若い。

 

 父親の下川原氏は、鉄工所の経営者。真面目で堅実な性格が表情にも表れている。

 母親の方は温和で丸顔、どちらも平均的な夫婦だ。

 当の本人は桃色の訪問着に、髪をアップに結っている。

 写真よりは遥かに綺麗に見えた。

(世辞じゃないぜ。本当だ)

 ちょっと気になったのは、

 表情が今一つ冴えないと感じた。それだけである。

 両家の挨拶が終わり、一通り談笑をして、食事が出た。

 何でも向こうは下戸の家系らしく、合わなかったのはその点ぐらいで、後は結構

話も弾んでいたようだ。


 食事が終わる。

”それじゃ、我々は別室で、あとは主役二人に任せましょう”


 両親同士がそう言って部屋を出ていく。

 

 俺たちは二人っきりで凡そ八畳の部屋に残された。


 俺は困った。


 何しろ見合いなんて初めての経験だ。

 依頼人としてやってきた女性と二人きりになったことはあるが、こんな雰囲気でというのは、凡そ一度もない。

 

 何をどうやって切り出したものか・・・・


 そう思っていると、彼女・・・・下川原靖子嬢が、意外な言葉を、何だか意を決したように口にした。

『あの・・・・誠に申し訳ないのですが、このお見合い、お断りして頂く事は出来ませんか?』

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