Track 4:よかれと思って

 サキエとはインターネットで知り合った。高校に上がってすぐのことだった。

 まだウェブサイトという媒体が活発に作成されていた当時、とある日本のバンドのファンサイトの掲示板で、私はサキエを発見した。彼女は洋楽をさほど聞かなかったが、興味があるというのでサキエが好みそうなバンドを紹介し、逆にサキエは私の知らない日本のインディーズバンドを教えてくれた。

 メールでやりとりをしていく内に同い年だと分かり、更に打ち解けた。サキエは都内に住んでいたが、私の高校は県境だったので、何度か電話で話した後、実際に会ってみることになった。

 待ち合わせた駅の改札で、すぐにサキエを見つけることができた。目印に好きなバンドのCDを持っていたのだ。サキエもすぐこちらに気づき、そのまま駅前のカフェに入った。


 ネットで知り合った人間と実際に会うのは初めてのことだった。サキエもそうだと言う。彼女の両親は厳しく、門限があるのでいつもライブを最後まで見られないのだ、とこぼした。対してウチの両親は、主にむっちゃんと共に東京までライブに行くことに、もう慣れてしまっていた。

 カフェで二人でアイスラテをオーダーして窓際の席に陣取り、話し始めたらあっという間に時間が過ぎた。あのバンドの新譜いいよね。あのシンガーはライブの方が声に迫力があるよ。マジ? 一回生で見てみたいな。そんなことを、気づいたら三時間も話し込んでいて、二人とも声が枯れていた。

 以来、私の携帯電話にはサキエからの着信が増え、メールボックスも彼女からのもので埋まってきた。夏までに一緒にバイトして、二人で夏フェスに行ってみようか、なんて話も出ていた。


 学校では相変わらず浮いていた。高校にもなるとロックを聞く生徒もちらほら現れたが、むっちゃんによる英才教育を受けてきた私からすれば、言ってしまえば彼らは「にわか」だったし、流行りの音楽ばかり追いかける姿勢は好きになれなかった。私はもはや学校にも同級生にも何一つ期待していなかった。音楽さえあれば、他に何もいらない。これは後々まで私につきまとう危険思想だった。


 しかしそれでも、サキエのような友達ができるのは嬉しかった。最初は音楽の話ばかりだったが、自然と学校の話や恋愛話などでも盛り上がるようになった。

 ある日、サキエに下北沢シェルターでのライブに誘われた。三つのインディーズバンドが出演するイベントで、チケットが一枚余っているのだという。それらのバンドにはさほど詳しくなかったが、ライブは好きだし、一つのバンドはむっちゃんも知っている注目株だったので、同行を快諾した。

 下北沢シェルターは地下にあり、注意して入らないとそのまま通過してしまいそうな目立たないライブハウスだ。放課後にサキエと下北沢で落ち合い、私服に着替えてから、開場まではシェルター近くの喫茶店で盛り上がり、時間になったのでシェルターに向かった。

 客の入りは上々で、地下の狭苦しい空間は熱気と湿気が籠もっていたが、そんなことには慣れきっていた私は気にせずライブを楽しんだ。最初のバンドが終わり、二番手に例の注目株バンドが出てきた。なるほど、私が好きなニューヨークの古いパンクの影響が見える、なかなかいいバンドだった。

 サキエの門限が近づいていたので、三つ目のバンドは見ずに地上に戻った。


「今日は誘ってくれてありがとね」

 私が言うと、サキエは照れたように笑い、

「また二人でイベントとか行きたいね」

 と返した。

 しかし次の瞬間、サキエはびくんと身を縮めて私の腕を掴んだ。無言で口をぱくぱくさせながら、

「朱音、あれって……」

 と背後をさっと指さした。振り向くと、先ほどまで演奏していた二番手のバンドのメンバーが、地上に出てきていた。他の客も気づいて、何人かは握手やサインを求めに向かっていた。

「どうしよう、どうしよう朱音」

 サキエは私のTシャツの裾を掴んで震えるような声で言った。事実、手は震えていた。

「いいじゃん、握手してもらおうよ」

 人見知りとは無縁の性格の私は、サキエの手を引いてそのヴォーカルの元へ歩いた。

「お疲れ様です、かっこよかったですよ。握手いいですか?」

「ありがとう」

 背の高い金髪のシンガーはにこやかに笑って手を差し出してきた。私はそれをがっちりと握り、サキエにも倣うよう肘でつついた。緊張しているのかサキエの肩は小刻みに震えていて、ヴォーカル氏の手を握った瞬間赤面したかのように見えた。

「きみ、いいTシャツ着てるね」

 サキエが名残惜しげに彼の手を離すと、そう声をかけられた。ライブ会場には、自己主張や意思表示としてバンド関係の服やグッズを着用している者が多い。この夜私は、アンディ・ウォーホルが制作をつとめた古い映画のTシャツを着ていた。

「それ、『ブランク・ジェネレーション』のやつでしょ?」

「そうです」

「リチャード・ヘル好きなの?」

「はい、かっこいいですよね」

 ヴォーカル氏との話が盛り上がりそうだったので、サキエも輪に加えようと振り向くと、彼女は俯いて唇をきゅっと締めていた。

「サキエ……?」

「私、親うるさいから帰るね」

 小声でそう言って、サキエは小走りに去って行った。私は思わずきょとんとし、その間にヴォーカル氏は他のファンに捕まってしまった。仕方がないので一人、下北沢の駅まで向かい、そのまま帰宅した。


 その深夜から、異変は起こった。


 サキエの携帯が通じなくなり、メールも送信できない。更には、出入りしていた複数のウェブサイトに、匿名で私の悪口が書き込まれるようになったのだ。

 訳が分からなかった。サキエは私に腹を立てているのか? 一体なんで?

「自分のものを取られたって思ったんでしょ、ガキだねぇ」

 むっちゃんに相談すると、彼女はタバコの煙を吐きながらそう言った。

「自分の、もの」

「だって、その子が好きだったバンドなんでしょ? アンタがいきなりしゃしゃり出てきてメンバーと盛り上がったんなら、嫉妬してもおかしくないよ」

「嫉妬……」

 この時の私はまだ、ファン心理というものを理解していなかった。腹が立ったならその場で怒りを表明すればいいのに、何故突然縁を切り、ネット上で罵詈雑言を吐くのか。これまで自分とサキエが築いてきた友情は何だったのか。私はサキエのためにあのヴォーカルに声をかけたのに。

「バンドへの愛情って、まあ私も身に覚えがあるけど、結構恐いからね」

 サキエと再び連絡が取れることはなかった。そもそもサキエというのが本名かすら分からなかった。

「飛び越えるんだよ、そういう感情って」

 むっちゃんの言葉が蘇る。

「なんでかわかんないけどね、友情とかより、バンドへの執着の方が勝っちゃう時もあるから。まあ、いい勉強になったんじゃない?」

 確かにこれは教訓となった。

 以降、私はバンドと自分との距離の取り方を、慎重に測るようになる。そしてその努力は機能していた。


 ゴシック・プレイグに出会うまでは。

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