第10話救うという
誰かを救う、何かを救う、物凄く正しくて、立派で、これの前では
反対なんか出来ない言葉であり、誰も反論出来ない。
だけどあえて、救われる方はどうだろう?と思う。
救われて本当にありがたい、感謝すると思うのは
された方が思う事。
する方がありがたいと思え、感謝しろ、はおかしくないか?
感動も、感じた方が感動した!と捉えるもので、
感動を与えたなんて傲慢でしかあり得ない。
そうなのだ、救うなんて傲慢でしかない!
誰でも(?)ウルトラマンや正義のヒーローになりたい願望があるからなのか?
ヒーローになった後の自分への賞賛が気持ち良いからか?
自分の正しさを確認出来て、自分の価値がアガル事が嬉しいからか?
人の役に立ちたいも同じ、良い事をしている自分が良い人に思えるから。
ただされた相手からそう思われているかはわからない!
一方的な救う、助ける、は実は大きなお世話なのだという事だ!
救うどころか逆に相手に心理的に負い目という負担をかけている事になってしまう。
自己満足な行為は圧倒的にする側とされる人の図式を発生させる。
望まれていないならしない方がマシだ!
お年寄り、子供、障害者、はされる人だと決めつけるのは愚かだ!
弱者では無くて行動に不便さが有る人なだけだ!
弱者という捉え方をしたために可哀想なんておかしな捉え方をする人がいるのだ。
変に可哀想なんて思われてお節介をされて逆に心を傷つけられて
本当の被害者になってしまう。
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