探偵ごっこ


 その日、僕は幸福に大学に行くと言って、朝から家を出た。だけど、僕が実際に向かった先はニュースになっていたあの家だ。つまり幸福が誘拐されていた家である。


 結局、立ち入り禁止のテープもあって警察もいたりで近づけず、あいつが生息していた地帯は見えそうもない。


 僕はネットで買っておいた双眼鏡をカバンから取り出す。幸福にはバードウォッチングに使うんだとかっこつけておいた。「ふーん」と、かけらも興味がなさそうな返事をされたわけだけど。


「あのー、すみません」


 双眼鏡で事件現場を観察していると何者かに後ろから声をかけられた。振り返ると、少し歳の離れてそうな女二人組が立っていた。


 二十歳半ばといった感じの女性と、制服を着ている若い女性。制服の子は高校生ぐらいだろうか。姉妹や親子には見えないがどういった関係だろう。


……なんとなくだけど、学生さんの方の顔の造形というか、雰囲気がなんとなく幸福に似てるような感じがした。


「はい?」


 少なくとも声をかけられる覚えがないので、表情やらイントネーションやらを駆使して、短い返答にとびっきりの疑問詞をつめこんでみた。


「失礼なんですが……あなた、もしかして犯人だったりしますか?」


 制服の子がニコニコとした笑顔を張りつけたまま、わけのわからないことを聞いてきた。


 なんの犯人か、という部分が抜けているが、おそらく連続殺人の話だろう。


「あの、なぜ急にそんなことを聞かれるんですかね?」

「犯人は現場に舞い戻ると言いますし」

「もし僕が犯人でも犯人じゃなくてもはいとは言わないと思うんだけど」

「ああ、本当ですね!」


 僕がそう答えると、彼女はなぜか手を合わせて喜んだ。言動からやばそうだなーというのがひしひしと伝わってくる。


 しかしよく考えると、犯人を知っているのに言わないというのは、ある意味共犯といえるから、彼女の質問はあながち間違っていないかもしれない。


「でも事件現場を双眼鏡で眺めているなんて明らかに不審な行動だと思うんですけど、なぜそんなことをしていたんですか?」


 油断してたら、制服の少女はニコニコした顔で正論バットをフルスイングしてきた。


「ちょっとその、探偵ごっこを」 


「じゃあ私たちと一緒ですね!」


 女子学生は僕の苦しい言い訳に、キラキラと目を輝かせる。目の前の彼女への評価が、やばそうな人からやばい人へと見事アップグレードされた。


「ところでその双眼鏡、お借りしてもいいですか?」



 彼女はそう言いながら、手のひらを僕の方につき出した。まるで貸してもらえるのが当然かのようなしぐさだ。


 いるよね、お菓子をちょっとちょうだいっていいながら、こっちがまだいいよって言ってないのにもう食べるやつ。


「あ、はいどうぞ」


 いるよね。そういう態度にちょっとどうかなって思うものの、なにも文句を言えないで結局許しちゃうチキン野郎。


「どうもありがとうございます」


 彼女は嬉しそうに渡された双眼鏡を覗き込んだ。


 


 ……探偵ごっこというのはあながち嘘ではなかった。犯人の手がかりとなる証拠を突き止めようという思い付きのもと、僕はここまできたのだ。


 しかし現実というのは物語のように都合よくはできていないから、どうにかできるなんてことはありえないだろう。だから僕がやっているのはまさしく探偵「ごっこ」でしかなくて、犯人を見逃すことでわいてくる罪悪感をごまかすための手段に過ぎないのかもしれない。


「あの、すみませんね。気を使わせてしまって」


 若くない方というと失礼に当たるし、場合によっては極刑だけど、年上の方の女性が隣まで来て、小声でそう言ってきた。


「え、いえあの」


 なんのことか分からなくて、女性がすぐ隣に来たことにもうきょどりにきょどるが、女性は続けて、


「ほら、あの子まるで借りられて当然みたいな雰囲気だったじゃないですか。断ることを許さないような空気が出てたと思いますから」


 言われて、ああなるほどと理解した。


「気にしてないんでいいです。ああいうこと、意外と多いですから」

「まぁあの子はいわゆる社長の箱入り娘、お嬢様みたいな感じでして。与えられるのが当然の環境で育ってしまったふしがありますが、悪い子じゃないので」


 その言葉をそのまま信じるのなら、あの子は金持ちの子供ということらしい。ぜひお近づきになって媚びを売りたいところだ。


「蝶よ花よと育てられたといいますか。そのせいでちょっと頭がアレなところもありますが、基本的に善人なので」

「はあ」


 善人が必ずしも善行をするとは限らないわけではあるけども。

 

「ところで、なんの社長の娘さんなんですか」


 あとで、業種 社長 年収って調べようと思い聞いてみた。

 

「そうですね。端的に言うとヤクザですね」


 あんな双眼鏡などくれてやるから即刻この場から逃げたくなった。それお嬢様っていうか、お嬢。


 ……そういえば、幸福が男が元ヤクザで、組のお金を横領していたと言っていたのを思い出した。この人たちは関係者だろうか。


「ところでそのお嬢様とあなた様はどういう……?」

「世話係兼ボディガードですかね。まぁ不届き物を死なない程度にこらしめるだけの簡単なお仕事ですよ」



「ボディガードってスーツ着てサングラスかけてるむさいおっさんだけじゃないんですね」


 私服の彼女を見て僕はそんなことを思った。


「ああ、彼の父親は男が近づくことに大変神経質ですからね。かつて小学生時代、彼女に度々いじわるをしたa君は不思議なことに後日、急な転校を遂げましたし、あとは街中でぶつかって転ばせてしまったにもかかわらず、彼女を怒鳴りつけた34歳b君も勤め先から突然のクビを言い渡されてますね」


 耳を疑う情報が入ってきたが、怖いので聞き直したくない。


「へーそうなんですか」

「そういう私も、近づく男は死なない程度にぶち殺せと言われてますね。」


 更に聴きたくない情報が追加された。


「実は双眼鏡を渡す時に指と指が触れ合っちゃった気がするんですけど、僕ヤバかったりします?」

「ふふふふ、私は常識があるので、そんな理不尽なことはしないので、そんな怯えなくても大丈夫ですよ。」


 笑いかける女性に僕も流石に冗談かと安心したところ、


「まあ、彼女の父親にバレてない間はですけど」


 笑顔のまま付け加えられたフレーズに、バレたら大丈夫じゃないんだなと悟った。



「あの子、小学生の時に転校してからずっと女子校ですからね。すこし異性との距離感というものがわかってない節があるというか。指が触れ合うとか、そういうのを意識しないんですよあの子は。役得でしょうけど、間違って彼女の父親に知られればイコールで死ですからね。気を付けてもらわなくては」

「そうですね」


 そんな危ないやつとはかかわらないことしか最適解が見当たらないので早く帰りたいです。


「それでは注意したので、私のせいではないですよと」


 さっきまでのおしゃべりは、僕の心配してのことではなく、申し訳程度の保険を掛けるためだったらしい。ちょっと良い人かもしれないと思っていたのに裏切られた気分だ。


「ありがとうございました!えーっとあなたのお名前は?」


 そんなこんなしているうちに家を眺めていた歩く災害がこちらに向かってきた。差し出された双眼鏡を、間違っても僕の指が肌に接触しないように慎重に受け取る。早く帰りたい。


「お嬢様、こちらもまだ名乗ってませんよ」

「そうでしたか? これは失礼しました。平泉こころです」

「新田です」


 二人は名乗って、ぺこりと頭を軽く下げる。フルネームで名乗ったこころさんに対して、ボディーガードの女性は名字だけを名乗った。


「えっと、武田花丸です」

「では花丸さんとお呼びさせていただきますね!」


 やたらうれしそうなこころさんをしり目に、隣で新田さんが僕の名前を聞いた瞬間「ぷっ」っと吹き出しかけたのを僕は見逃さなかった。変な名前ですみませんねぇどうも。


「しかし外からだと何もわかりませんね」


こころさんが頬に手をあてて、なにやら考え込みだした。


「あの、それじゃあ僕はこの辺で」


 ぼくはにげだした!


「やっぱり中に入らないとですね! では行きましょうか花丸さん!」


 しかしまわりこれてしまった!


 こころさんはそう言うやいなや、にこやかな顔で僕の手を握ると、顔に似合わないパワーでぐいっと引いて、事件現場の方に大股でずんずんと歩いていく。手を握られた時、色んな意味でドキッとした。


 ……どうやら双眼鏡を貸した時と同じで、彼女の中で、僕が同行することはもう決定しているらしかった。


 後ろからついてきていたボディガードの女性が僕の耳に顔を寄せて、

 

「すみませんね。ほら、最初に言った通り、この通り彼女はアレなところはありますけど、悪気はないんですよ……たぶん」


 そう耳打ちしてきた。ひときわ小声でつけくわえられた最後の一言が不安でならない。

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