黒髪乙女と迷宮の魔女
小紫-こむらさきー
1:宵闇色の少女
身体が宙に浮いている。知らない部屋を見下ろすような感覚。
(あれ……私、何をしていたんだっけ)
声を出そうとしても、音にならずに消えていった。自由に動けない……これは夢? それとも……誰かの魔法?
仕方なく、私は部屋の中を見える範囲で観察することにした。
漆喰を塗られた壁に囲まれた部屋は、それなりに凝った作りの調度品が置いてある。なんとなく貴族などが住むという
シンプルな作りの長椅子と、その奥に置いてある寝台には、誰かが眠っているみたい。少し目を凝らすと、そこに寝ているのが綺麗な黒い髪をした女の子だということがわかった。
肩辺りでまっすぐに長さを整えられた少女は、よく見えないけれど上等な服を着ているようにみえる。
ぐぐーっと視線が自分の意思に反して動く。誰かと視界を共有しているのだろうか?
曖昧な意識のまま、景色をぼうっと眺めていると、部屋の奥にもう一人、誰かがいることがわかった。
華奢すぎず、しかし男性らしいとも言い難い中性的な耳長族……ううん、耳は尖っていなかったから、多分ヒト族なのかな。
白銀めいた色をした長い髪が僅かに揺れる度に、虹色の燐光が煌めく。ふと、顔を上げた時に見えた瞳も髪と同じ不思議な色合いだ。
事務机のようなものに座って羽ペンを走らせている……お仕事でもしてるのかな。
僅かに見える手指は、綺麗で華奢だけど少し骨ばっている。チラリと覗く喉元を見て、その綺麗な人が男性だと気が付いた。
彼の目の前には光を放つ魔法陣みたいなものが浮かんでいる。それを見ている綺麗な男性は、柳眉を僅かに顰めながら、再び羽ペンで何かを記しはじめる。私のよく知る人も、似たような表情で羽ペンを走らせていたな……と思い出して、アレは彼だけの癖ではないんだなと、妙な納得感を得た。
それにしても、どうしよう。前後の記憶がないのはどういうことなんだろう?
私に、この二人を見せる目的はなんなのだろう?
いつも一緒にいるはずのカティーアがいないことと、前後の記憶がない心細さで不安になりはじめた時、座っていた男性がふと顔を上げた。
椅子を引いて、彼が立ち上がる。私を知覚した? と焦ったけれど、そうではないと彼の穏やかな表情からわかる。
虹色の燐光を放つ美しい髪を揺らしながら、彼は寝台の方へ歩いて行く。青い布地に金や銀の糸で刺繍がたくさん縫い付けてある豪奢な服と、肩にかけている朱色の
彼が寝台の近くへ行くと、寝ていたはずの少女がもぞもぞしてから、首を持ち上げる。
談笑をする二人を見ているうちに、視界に少しずつ黒い糸が混ざっていく。驚いて、思わず自分の身体を確認するけれど、私の髪に変化はない。
いつのまにか腕にも、足にも視界に紛れ込んできた真っ黒な髪が絡みついて、逃げようともがくけれど、どんどん私は髪の毛に埋もれていく。どうしよう。助けて、カティーア。
目の前はあっと言う間に真っ暗になって、私はそのまま意識を手放した。
「わああ!」
女の子の悲鳴が聞こえて、目を開く。
真っ黒な髪の毛に包まれて意識を失ったはずの私は、どこかに寝ているわけでもなく、自分の身幅よりも少し広い程度の通路に立っていた。
さっきの出来事を思い出して、慌てて自分の身体を見回してみる。
黒い脚衣に
「どういうことなの?」
一人で唸りながら、壁に付いていた手を動かした。ざらりとした手触りの砂色の壁は表面が少し剥がれ落ちて、石畳が敷き詰められている床にパラパラと散らばった。
さっきの悲鳴は、気のせいかな? どうしよう。
ここがどこかもわからないのに、悲鳴の主を探しても大丈夫かな? 少し迷っていると、剣同士がぶつかり合った時の音を何倍も大きくしたような、鋭い音が聞こえてきた。すぐ後に、石畳を硬いもので叩くような音が移動していく。虫か動物の足音みたい。
「迷って後悔するよりは……いいか」
そう自分を奮い立たせて、音が聞こえた方へ走り出す。カティーアのことも気になるけれど、近くにいる人を助けられたら、その人に事情を聞いてみよう。
まっすぐに続いている通路を駆けて向かうと、壁が見えてきた。壁の左右で道が二股に分かれている。
左の通路へ目を向けると、巨大な黒い影がスッと見えて更に先の過度を曲がった。さっきから聞こえてくる大きな足音の他に、小さな足音も聞こえてくる気がする。
影を追いかけて走りながら、腰に巻いたベルトを探る。普段なら持っているはずの短刀が、今日は付いていない。
握っていた手を開いて、念じてみる。小さな薔薇の花がふわりと現れて消えた。武器は無いけど……魔法なら使える。魔素が濃いから怖かったけれど、暴走をする気配も無い。
一応、物理攻撃を弾く不可視の障壁を張りながら曲がり角を進む。
少し先に見える黒い影が、近付くにつれて明瞭になってきた。アレは……蜘蛛だ。
雄牛くらいの大きさはありそうな巨大な蜘蛛が、のしのしと目の前を歩いている。脚の付け根も背中にも、目の前にある大きなお尻にも、ゴワゴワとした黒毛が生い茂っている。
蜘蛛の身体が邪魔でわかりにくいけど、多分この先は壁だ。立ち止まった蜘蛛の前方から、硬いものがぶつかり合って擦れる音がする。まだ追いつけない。
蜘蛛が前脚を大きく持ち上げた。ぽうっと蜘蛛の前方にある床が青みを帯びた光を発した。魔力を宿した光は灯るだけでなにかが起こるような気配が無い。
急いで床を蹴って蜘蛛の身体を飛び越える。濃い褐色をした八つの眼が付いた頭の先には、小さな女の子が腕で頭を庇うような姿勢でうずくまっている。
「間に合って……」
障壁を他人に使おうとして、戸惑う。使ったことが無い魔法よりも、私が前脚を受け止めた方が確実だと思ったのに……。
女の子の頭に、蜘蛛の前脚が振り下ろされそうになる瞬間、雷の魔法が放たれた時のようなバチバチという音と、青い閃光が辺りを包んだ。
蜘蛛がキィキィと威嚇音を発しながら後ろへ下がっていく。
焦げた臭いの煙に飛び込んで、女の子の肩を抱いた。どこにもケガは無さそうでホッとしながら女の子の顔を見る。
肩当りで切りそろえられた宵闇色の髪と、瞳孔との境目がわからないほど黒い不思議な瞳が私を捉える。
「あの……」
「お話は、後でしましょう」
驚いて私の顔を見た女の子の話を遮って、去って行く気配の無い蜘蛛へ向き直る。
砂のように右脚が崩れているにも拘わらず、残った方の前脚を大きく持ち上げて振り下ろそうとしていた。
武器はない。魔法しか使えない……。こんな無茶を一人でしたとバレてしまったらカティーアに怒られるかな?
でも、死んでしまった方が多分彼は悲しむから、戦うしか無い。
両腕を前に突き出して、大きな薔薇が蜘蛛の前脚を受け止めるイメージをする。
胸の辺りから発した熱が腕を通って掌から放たれた。
「わ……すごい」
背中から可愛らしい声と一緒に小さな拍手が聞こえて、少しだけむずむずする。
一か八かで試してみた薔薇の盾は、上手に機能してくれたみたい。
背中は行き止まり。だから、この蜘蛛をなんとかしないと……。
考えがまとまらないまま、姿勢を崩した蜘蛛に近付くために脚に力を入れた。身体の熱が魔力と一緒に勝手に両足へ向かっていく。
ほんのり蒼く光っていた床が、熱を持つ。
魔力を奪う罠かと思ったけど、違ったみたい。
私の魔力を吸った蒼い光は、見慣れない植物の形になって蜘蛛の身体に伸びていく。私の魔法じゃ無い。後ろの女の子に近い気配の魔法。でも、あの子が魔法を使えるなら、もっと早くに使うはず。
わからないけれど、とにかくチャンスには違いない。
「えいっ」
茨で出来た槍を使って蜘蛛を貫くと、ボロボロと砂みたいに崩れ落ちた。床には、黒い砂が作った小さな山が残っている。
碧い光も、ふわりと光の粒になってどこかへ飛んでいってしまった。
罠ではなかったことと、蜘蛛を一人で倒したことに安心して、私は後ろにいる女の子を振り返る。
「よかったぁ……。それで、あなたは」
改めて、女の子を見た。
肩のあたりで切りそろえられた綺麗な黒髪と虹彩と瞳孔の区別が付きづらいほどに黒い瞳。透き通るような白さの肌。あちこちを締め付けるようなきっちりした服と、動きにくそうな足首まで覆ったスカート。
こんな危険な場所には似合わない格好というのが第一印象だった。
好奇心を抑えきれない仔猫のような表情でこちらを見上げている女の子に、私は微笑んで手を差し伸べる。
「あ……あれ」
でも、彼女は目を見開いたまま私の後ろを指差した。
みるみるうちに血色が悪くなっていく女の子を見て、慌てて背後へ視線を向けると、先ほど崩れて小さな山になっていた砂が不気味に舞い上がり蜘蛛の形を作っていた。
もやもやした蜘蛛の輪郭が鮮明になっていく。
砂を周りに漂わせた蜘蛛は、僅かに身体を動かして、八つの目で私たちを自分の正面へ捉えた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます