【掌編】空中バナナ

江戸川台ルーペ

ペンギンズ

「まんまる、ほらまんまる起きろよ」

 大きな方のペンギンが、タオルケットに包まれて眠っている小さい方のペンギンを揺すった。まんまる、と呼ばれたペンギンは目を開け、開かない目を線みたいにして小さな身体を起こした。

「なぁに、今何時」

 まんまるの声は高い声だった。頭が丸く、小さな腹はぽっこりと白い。デフォルメされたぬいぐるみで、しっとりとした毛並みをしている。


「バナナ見にいこうぜ」


 大きな方のペンギンは声が低く、やや舌足らずだった。まんまるの身体の二倍程の大きさがあり、息をすると、時々鼻や喉から自然と小さく「ぐぅ、ぐぅ」という音が聞こえた。くちばしは赤く、やはり腹は白かったが、薄い黄色で背中側の黒と腹の境界線に縁取りがされていた。まんまるには無い、おとなの証なのだ。


「バナナを見に行くってどういうこと」

 まんまるは小さな声で聞いた。部屋のベッドでは飼い主の人間が寝息を立てており、目を覚まさせるといささか厄介な事になる。飼い主は、ペンギン達のぬいぐるみが喋ったり歩いたりする事を知らないのだ。


「ノンノン、さっき水飲みに行ったんだけど」

 大きい方のペンギンはノンノンと言った。

「超でっけぇバナナが浮いてんだよ、空中に」

 興奮した声でノンノンが言うので、まんまるはシッと口の前で黒板消しみたいな生地の手を当てた。

「バナナが浮く訳ないじゃん」

 まんまるが高い声で言った。

「ノン子が寝ぼけてたんでしょ」

「いやマジだって」

 ノンノンが少し語気を強めた。

「バナナが浮いてるんだって。びっくりしたんだから」

「ふうん」

 まんまるは線みたいな目をしてまた微睡みに戻ろうとした。子供のペンギンにとって睡眠は最重要事項であり、仮にバナナが空中に浮いていたとしても、さほどの興味はそそられなかった。

「ねぇってば」

 ユサユサとノンノンがまんまるを揺すった。

「も〜」

 まんまるはアンパンマンの小さなタオルケットを被り直すと無視しようと背中を向けたが、ノンノンは爆弾みたいにバカなので、いつまでもしつこかった。

「わかったよも〜」

 まんまるが根負けした。


 二匹は音を立てないように、寝床の木の箱からゆっくりと脱出した。

「そぉーっと、そぉーっと」

 ノンノンが降りてくるまんまるの小さなお尻を支えた。

「一人でできます」

 まんまるが抗議した。

 飼い主が規則正しい寝息を立てているのを横目に、二匹はドアをゆっくりと押し開けて、ダイニングへ向かった。大きな窓から月明かりが差し込んできていて、普段見慣れている明るいリビングルームが深い群青色に染まっていた。まるで海の底から見上げてるみたいだ、とまんまるは思った。まんまるはぬいぐるみだから海へ行ったことはもちろん無かったが、何故か海底から見上げる景色を記憶していた。ペンギンを模したぬいぐるみは、海の夢さえ時々みた。だからまんまるは自分をペンギンだと信じて疑わなかったし、日頃ぬいぐるみとして扱われる事に対して不思議な感慨を覚えていた。

「あおいです」

 まんまるが小さく呟いた。

「こっちだよバナナは」

 ハス、ハス、と小さな足音を立てて、ノンノンが先へ進んでいった。


 月光を浴びて、黒く佇むバナナが宙に浮いて静止していた。

「な?」

 ノンノンが得意げに隣にいるまんまるを見下ろして言った。身長差があり過ぎるのだ。

「ホントだ」

 まんまるがポカンと上を見上げて言った。

 空中に浮かんでいるバナナを見るのは初めてだったから、それは異質なものとしてまんまるの目に映った。でもそれは不思議と嫌なものではなかった。まんまるはバナナの本数を数えた。三本。逆光に浮かぶ黒々としたバナナは、重力がそこにだけ働いていないかのように、自然と宙に浮いていた。壁に分身の影を落としていた。でも、よく見るとバナナの房の付け根にフックが引っかかっているのを発見した。


「ねぇ見て」

 まんまるがノンノンの手を引っ張った。

「付け根のところに金属のが付いてて、戸棚の取っ手と繋がってる」

「え、ウソ?」

 低い声でノンノンが低く喉を鳴らしながら背伸びをして見入った。

「ノンノン鳥目だからあんまり……あ、ホントだ。浮いてるんじゃなくて、引っかけてあるんだね」

「バナナは置いちゃうとそこから色が変わっちゃうから、飼い主がわざとぶら下げてるんだよ」

 まんまるが少し得意げになって言った。まんまるはペンギンのぬいぐるみの中でも特に賢いのだ。そして小さくて、頭がまんまるになっていて可愛い。

「なるほどな」

 ノンノンは喉を低く鳴らしながら、空中のバナナをあどけなく見上げていた。まんまるはフサフサとしたノンノンと手をずっと繋いだまま、同じ格好で見上げた。

「いいね」

 まんまるが小さな声で言った。

「うん。なんだか、見てると落ち着く」

 ノンノンも同意した。

「またバナナが浮いてたら見に来よう?」

 まんまるが言った。

「いいね」

 ノンノンが低い声で言った。


 そうして二匹のペンギンは手を繋いだまま、ずいぶんと長い間、空中のバナナを眺めた。

 もうすぐ、夜が明けることをペンギンたちは知っている。


(了)


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【掌編】空中バナナ 江戸川台ルーペ @cosmo0912

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