土砂降りの白い部屋
一つ、雨粒が窓ガラスにあたって弾けた。
「雨、降ってきちゃったね」
ベッドの隣に座る彼が言う。
「なら、帰るのは延期かな」
わたしは窓の向こうへ視線を向けたまま、そう応えた。
彼が困ったように笑う雰囲気を感じたけれど、そちらへは目を向けない。
窓には、低いところで黒々と立ち込める雨雲と、あっという間に雨に煙ってしまった灰色の街並みがモノクロ絵のようにはまりこんでいて、どこか現実味がなくて、そんなところへ彼を行かせてしまったら景色に溶けて消えてしまいそうだった。
だから、彼の方を向くことはできなかった。
「俺、仕事あるから……」
言いにくそうに、けれど淀みなく言った彼に、
「っ……」
とっさに言おうとした言葉は、あまりにずるくて、ありきたりで、わがままなものだった。自己嫌悪して、唇を噛む。きっとひどい顔をしてる。でも、重い女にはなりたくない。
つぐんだ口を開けずに、彼の方を向くこともできずに、ただ、雨の音ばかりが沈黙を薄く濡らしていく。
「君だよ」
唐突に、彼は言った。
「君だ。君を愛している」
けれどすぐに、わたしの、言えなかった言葉への返答なのだと気づく。
気づいてくれた。そのことが何よりも嬉しくて、思われているのだと感じさせてくれて、そんなことを言われたら、もっと引き留めたくなってしまうし、引き留めてはいけないとも思ってしまう。
結局のところ、言葉なんて出てこなかった。
ばれないように、視線だけ送ったその先で、彼は困ったように、けれどどこまでも優しく、続ける。
「また、三ヶ月後には、きっと来るから」
三ヶ月後、それっていったいいつなの?
「だから、分かってほしい……」
全部、全部分かってる。分かってるから、分かりたくないの。
言いたいことはあるはずなのに、のどの奥が詰まってしまったみたいに、呼吸さえ苦しくなるほどに、なにも出てこない。
彼は、そっと立ち上がった。また、と小さく言って、ドアへと足を向けてしまう。それを分かっていながら、わたしはなにも言えないまま、ただ横目に見つめるだけ。
彼がドアへ、手をかける。音をたてないように、そっと引く。廊下へと、彼の姿が消えていく。
「……待って!」
ようやく出てきた言葉は、たったのそれっきり。けれど彼はとても嬉しそうに笑って、急ぎ足に部屋へと戻ってきてくれた。
「また来るから」
彼はわたしの額に、キスをする。
わたしは彼の首に腕をかけて、唇を重ねる。
「……絶対だよ?」
彼はしっかりと頷いて、けれど言葉は余計だと最後に笑顔だけ見せて、部屋をゆっくりと、出ていった。
三ヶ月。何をしようか。何ができるだろうか。
雨に濡れ歪んだガラスの向こうの景色。今は何も見えなくとも、いつかは光が差すはずだから。この白い部屋も、様々に彩られるはずだから。
わたしは一つ、息をはいた。
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